2011年11月30日水曜日

InvocationTargetExceptionの原因は、Caused byに書いてある

たまの投稿がこんななのはどうかと思うけど、はまったので。


java.lang.reflect.InvocationTargetException
    at sun.reflect.NativeConstructorAccessorImpl.newInstance0(Native Method)
    at sun.reflect.NativeConstructorAccessorImpl.newInstance(Unknown Source)
    at sun.reflect.DelegatingConstructorAccessorImpl.newInstance(Unknown Source)
    at java.lang.reflect.Constructor.newInstance(Unknown Source)
    ................
    .............
Caused by: java.lang.NullPointerException
    at java.util.Arrays$ArrayList.(Unknown Source)
    at java.util.Arrays.asList(Unknown Source)
    ................
    .............




"Caused by"に原因が書いてありました。当たり前ですかね^^;
てっきりシグニチャ違いで呼び出せないものと決めつけていたけど、その先の処理にブレークポイントを置いてみると、到達してるんですね。そこで、"Caused by"の事象が発生していると。
他に例外出まくったのですっかり読み飛ばしました・・。

は、早くも明日から12月。FacebookやTwitterよりやっぱブログだよな、と思うこのごろです。

2011年3月21日月曜日

ホワイトデーは過ぎてしまったけど

今回の地震の騒動の中、ホワイトデーは過ぎてしまった。
この記事読んで気が付いた。

夫の最後の贈り物、指輪に誓う「娘と強く」

みんなお返しした?
俺、明日、します。

2011年3月17日木曜日

買占め

結局、買い占めれば、他の人が買えなくなるということ。
電車の席の奪い合いとほぼ同じ。

自分さえよければそれでいいのか。

事業部長が息子にこういっていると言った。

「誰かが死ななければならないとしたら、まずお前が死ね。」

むしろこれしか言ってないと。
俺、そういうの好きです。

- Posted from iPhone

2011年3月12日土曜日

Googleのパーソンファインダーに感動

地震が発生して数時間後に立ち上げられたGoogleのパーソンファインダーに感動した。
http://japan.person-finder.appspot.com/
安否確認のための仕組み。
Googleは何でも見つけ出してくれる。

「世界政府っていうものが仮にあるとして、そこで開発しなければならないはずのシステムは全部グーグルで作ろう。」
という言葉を思い出したが、その志が分かりやすく示された一例と言える。
昨晩時点の登録者数は数百人だったが、11日正午現在2万人を越している。

しかし、仙台に住む義姉家族三人の安否はまだ確認できていない。

今のところ、一般ユーザに、パーソンファインダー上で安否確認できた人数を確認する術はないようだ。
が、ここで安否確認できていない人数は、つまり、行方不明者の潜在数でもある。
テレビでいう行方不明者数は、いったい何を積み上げた数なのかが気になる。

--
NHKの安否確認放送は、情緒的でいい。
一方で、古き良き時代の不平等さを見せつけられている気もする。
限られた時間で一体どれだけの要求に応えようとしているんだろうか。
電話番号を何度も公表しているわりには、一向に繋がらない。
番号を間違えないようと促しているわりには、昨晩からまったく繋がらない。

入力は、たった数本の電話回線で、
出力は、全国に対してたった一つの映像という。

呆れてしまう。現実は比にならないほど雑多だ。

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それから、パーソンファインダーの情報。
切り口を変えれば、あらゆる形で活用できそうだ。
例えば、地域ごとの安否確認状況をリアルタイムで提供してくれると嬉しい。

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自分自身は、昨晩は名古屋から帰れず。
宿泊予定だったホテルも、軽く100人を越すだろう重複予約で宿泊できず色々大変だったが、
遠方名古屋で感じたこと。


やっぱりみんなスマートフォンを持った方がよさそうだ、ということ。
スマートフォンでできること、これからの人間に必要最低限の機能になる気がする。

同時通話量に上限のある電話回線を当てにしてはいけない。
スカイプ、ツイッター、メール、フェースブック、などインターネット経由で情報交換をした方がいい。

それと併せて、充電用の電池を携帯しておいたほうがよさそうだ。
それと、いざという時の集合場所、安否確認方法、少なくとも家族内では統一しておきたい。


それともう一つ。
避難所には、インターネットに繋がるパソコンを少なくとも1台置いてあげてほしい。

2011年2月6日日曜日

ソーシャルネットワーク

昨晩仕事帰りに見た映画の話。

これね、久々に睡魔と闘わずにすんだよい映画。
自身、一応のユーザでもあるFacebookの、生まれる前から今に至るストーリー。
ひどい睡眠不足が連続した一週間の最後に見たっていうのに、映画が終わった瞬間、妙な興奮ですっかり頭は冴え渡り。



個人的に楽しいと感じるのは、こういう破天荒さ。
サラリーマンとしての仕事にこれを求めるのは厳しいか。

やっぱドラマっていうのは疑似体験するものではなく、日常の中にあるもんだと改めて感じた次第です。

がんばります。

2011年1月15日土曜日

歌の不思議

言葉をメロディーに乗せて話す。
これを人は歌という。

なぜ人は歌に引き込まれるか。
それは多分、そこに溢れ出た魂の結晶があるから。


短絡的、せつな的にみえる結晶もあれば、そうではないものもある。

人はそれを聞き分けてしまう。

今を生きるのか、未来を生きるのか。
人が仮に今を生きる動物と一線を画す生命体だとするなら、未来を生きるほうが人らしい。

と言えるかもしれない。


最近すっかりはまっているのが手嶌葵さん。
嶌という字はどうやったら変換されるのか分からない。
いつも「てしまあおい」で検索し、ランディング。

なぜ彼女に辿り着いたか。

ツタヤで千と千尋→Googleで千と千尋の意味→Youtubeで生きている不思議死んでいく不思議(いつも何度でも)→ジブリ作品関連の歌々→テルーの歌→手嶌葵

Googleさまさまです。
これが一昔前なら、きっと一生かけても彼女には出会えていない。









あとこれです。The Rose。埋め込めなかったけど、必クリックです。
http://www.youtube.com/watch?v=4PynL_xtCR8&feature=related

ほんとに歌の不思議です。

2010年12月30日木曜日

ラベリング力

賢さには多くの種類があるけれど、ラベリング力もその一つ。
ラベリング力って、物事を言葉にする能力。

ライブな現実世界では、的確さ以外に速度も問われる。
ついて出る言葉がいちいち的を得ていると人々は気付かず飲み込まれているもんだ。

はあ・・、とか、おお・・!、と。

文章はできるだけ短いほうがいい。
かつ、論理的で順序だっているほうがいい。
笑いや発見、感動のエッセンスが入っているといい。というか、これは欠かせない。


ぐいと2、3歩深みへいざなってくれる感じ、聞いていて心地良い。



ゲバラの発する言葉がそれにビンゴ。
彼は、置かれた現実を、常識という狭い価値観にとらわれることなく、的確に言葉にした。
常識という制約は、多くを知っていないと打ち破れない。
インターネットのない時代、彼は旅を通して情報収集を行った。

と、さも彼を熟知しているような言いっぷりをしてしまったけど、
これは「モーターサイクルダイアリーズ」という彼の日記を原作とした映画での印象ね。
一応、原作も読んだけど、ラテン系の言い回しについてゆけず挫折した。

そしてさらに遡ること何年だろ。1千年以上・・・。
空海もこれまた偉大な旅人だったようだ。
インターネットどころかメディアとして紙だってまともにない時代に、日常の一瞬一瞬から、現代に通ずる、時空を超えた真理を見出したんだとか。


なんでこんなことを書いたかって、
今日、車でラジオをぽけーっと聞いていて、ふと、記憶の箱からゲバラの演説を引っ張り出した人がいたのだ。

なんばしほ、さん。アニメ声。17歳。高校2年生?

歌が上手いかは謎。
現実の認識力、ラベリング力は半端なかった。
才能ってさり気ないもんなんだなと思った次第です。

2010年12月6日月曜日

さんぎょう違い

先日、日経の記者から取材を受けた。
というより、会社の企画部門の人が日経に連絡し、その場が設けられた。

現在手がけているプロダクトについてのね。
このプロダクト・・・、そもそもの”脳と脳が直結する”いつもながらのイメージが自身の中にあり、
それと某大学の要求仕様が一部一致したことで、実際に作ることとなったもの。
社会に貢献する類のものだから、ほんとは製品名含めてここで紹介したいんだけど、
製品名経由でこのブログに辿り着かれても嫌なので、伏せときますね。

記者の方の反応がイマイチだったもんだから、記事にならない可能性も考慮し、
一切の期待はしなかったけど、先週末、

「週明けの月曜日(今日のこと)に掲載します。」

と先方から電話があった。
その後、事業部長から

「聞いたか?日経三行だってよ!なんだよなー。」

との嘆きの電話を頂戴。

俺もさすがにええ!!三行って!!と思った。
俺たちの頑張りが三行に集約。
日経って、何万行あるんだろ。
訃報・おくやみのようなひっそり感か。

喫煙所でもうち帰ってからの週末もそんな三行話に盛り上がり、今朝を迎えた。

隣の彼はすっかり日経を買っていた。(今回のプロダクトの大半を彼が実装。全般において最大級に感謝しないといけない。)
喫煙所でしか会話しない別の部署の彼も日経を買っていた。

ところが、彼らがどんなに探そうがそこにそのプロダクトに関しての記事があるはずなかった。
なぜなら、
なぜなら、
掲載されたのは日経産業新聞だったから。

日経本紙じゃなかった。
事業部長の嘆きは、そういうことだったみたい。
というのが今朝出社して分かった。

と同時に、
日経産業といえど一面にそれなりの大きさで掲載されていることに(三行と比べれば。)僅かに感激。

自身は、仮に日経だとしても買うつもりなかったけど、会社が元々とっていたらしく記念に渡された。
そして少し時代の先端を垣間見た感じがした。


それとついでに言うと、この露出が音楽ではなかったことに多少の残念さ・・
やっぱ10年後はシンガーかなって思ってます。

2010年10月25日月曜日

仕事を奪い合わない

いつも言っていることだけど、僕らが生きる上で最低限必要なモノは限られている。
昔ながらの言葉で言うと、衣食住。
これらを提供する行為がいわば仕事といえる。

一方で、この仕事が日ごろの僕らの努力により、効率化され続けている。
今どき摩擦で火を起こす人間はいない。

最低限必要な仕事量は一定なのに、それに必要な労力が減ってきている。
この先、このまま行けば仕事の奪い合いが起きてしまう。


究極的には世界にその機能が1つあればよいのだから。

今はまだ、誰かが開拓した道を歩くだけでも仕事と見做され対価が支払われるけど、
今後はよりいっそう、その価値が落ちてくる。


グローバル化、効率化はぐいぐい進んでいる。
今、気付かない人も、この先身をもって知ることになる。

って、まあ、偉そうだけども断言しておこう。

ひとつの策は、ワークシェアリングである。
不毛な奪い合いはせず、労働は3日くらいに抑え、後は適当に遊ぼうじゃねーか!というもの。


会社だって合併すればいい。
それぞれの企業でこぞって似たようなものを開発しても無駄である。
似たような道を開拓しあっても人類に利益をもたらすとは思えない。
協力すればより短い労働で、よりよいものを作ることができる。


それと。政治。
この現実に政治がついていかないと、
いや、俺について来いくらいの気概でやってくれないと、
社会全体が不幸になると思うのです。

2010年10月24日日曜日

整理解雇は間違い



日航 機長目前、悪夢の中へ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101024-00000004-maip-soci

後一歩で機長になれた副操縦士が、整理解雇となったとのこと。

パイロットの年収は、副操縦士といえど一般サラリーマンと比べれば十分にいいだろう。
だから、突然の解雇により家計が成り立たなくなるということはないかもしれない。

が、イチかゼロ、来月からあなたはクビです、というのは間違いだと強く感じる。

#このクビ。やっぱ我々が世界最大の首狩族だった名残りか?

整理解雇は、その会社に正当な評価機能がないがゆえの産物だと考えている。
それまで働いていた人の能力が、翌月からゼロになることはない。

能力は、フェードイン、フェードアウトである。
野球選手のように、活躍できる年もあれば、そうでない年もある。

にも拘らず、日本ではどうも未だ実体にそぐわない年功序列が続いている。
大きな声では言えないが、自身働いている会社もそうなんだろう。
断言はしないでおこう。

しかし、若者と大差ない働きに対し、不相応な報酬を払ってしまったら、整理解雇の対象となるのは時間の問題である。
一般論。


情報網の発達により、グローバル化が勢いよく拡大している。
よいものはより短時間に発見され、関心、需要が集まってくる。
この辺、インターネットのなかった時代とは明らかに異なる。

あらゆるものがより短時間により実際的に反映される世の中になってきている。
実体を正しく評価できなければ、みんなが不幸になってしまう。

ということで、儒教がもたらした思想かなんかは、知らないが、

盲目に目上の人を敬い、従うことは、直ぐにやめる。
それから、みな、日々正しい評価を下す訓練をし、実践する。
自分が至らなければ、それを真摯に受け入れる。
至ったとしてもそれは殆ど偶然によるものなのだから、社会に還元することを忘れない。



簡単に言うと、正しいことをする、ということです。

厳しいか!?

でもそういうことだと思うんです。
突然首切りを宣告してくるような組織が嫌ならば、

その船を沈めたくないならば、評価の訓練&実践です。