2008年9月27日土曜日

広島は赤かった(2)

つづき。
だいぶ空きすぎた。
こういうのは情熱がどこかへ消え去る前に書かないとゆけない。


ゆけなかったのだが、いまやもう情熱がどこかへ消え去ろうとしている。

だから、要点だけ書こう。


■驚くほど込んでいた


広島市民球場は、最下位の横浜相手だというのに驚くほど込んでいた。
理由は2つあった。

1.今年限りで広島市民球場がなくなる。

2.3位の中日を追い越せば、クライマックスシリーズに出られ、日本一になるチャンスが生まれる。


前者は俺の広島旅行を決定させるほどのパワーを持っていたが、後者はまったく知らなかった。
閑古鳥に違いないと決め付けていたので、ぱっとみ空席の見当たらない混雑には驚いた。なんでも、今年の入場者数は、球団史上2番目の大入りだったそう。


■背番号1がたくさんいた

そこにもあちらにも、背番号1、子供も大人も女性も前田のユニフォームを着ていた。個人的には怪我の多い前田を美化するつもりはないけど、その、前田の作り出した背番号1の価値に感服した。

■小さな背番号9

それから目の前に、アーミーか、白人の集団がいた。試合を見るというより、ベースボールの雰囲気を楽しんでいるようだった。それも一応、広島を応援しているのか、3歳くらいの金髪の子供は赤い、広島色のTシャツを着ていた。背番号は9だった。カリフォルニアとか、オハイオとか、ニュージャージーとか、そういうアメリカの地名が入った赤い、広島色のTシャツだとばかり思っていた。しかしよく見ると、背番号の上には「OGATA」とかいてあった。

そして、8回。
代打緒方が告げられた時、わーとお母さんが子供を抱きあげた。すると子供が
「おーがたー」
とか弱い声を上げたのである。

なんか感慨深かったよ。


それから戻ってラッキー7。

風船を飛ばすのが定石か。そんなことは知らなかった。アーミーもやっていた。俺もやるべきだったと今、少し後悔している。


■呪縛解ける


広島戦を見たのは、何年ぶりだろう。東京ドームで、あのころはまだ津田がいた・・・。

炎のストッパー津田だ。
その試合、8回表まで5対0で巨人に勝っていた。長島のホームランもあったと記憶してる。長嶋ではなく、広島の背番号0の長島ね。
が、8回裏、ダブルストッパーの1人、紀藤が満塁男の駒田に満塁ホームランを打たれ5対4。
そして9回裏、もう一人の守護神、津田が登場した。

守護神、と書いてみたものの、津田は既にそれといえる活躍をしていなかった。出るたび打ち込まれていた。後に知るが脳腫瘍だった。そしてその試合も津田はランナーを背負った。1アウト1、2塁。バッターボックスには4番原。

原の打球は外野手の間を転々とボールが転がっていった。息を呑んでいた満員のスタジアムは総立ちとなった。

サヨナラ負けだった。

・・・・・・

さらに遡ること5年ほど。
小学校高学年だったか。当時まだ後楽園球場だった。
9回表まで、1対0で勝っていた。たしか川口と槙原の投げ合い。9回裏、ランナーをおいて、クロマティーに打席が回ってきた。そしてクロマティーは2ランホームランを放った。

サヨナラ負けだった。

・・・・・・

2度あることは3度ある。
広島リードで迎えた終盤、横浜が反撃に出てきた。

ピッチャー永川

場内アナウンスが流れた。永川がいいのか悪いのか、近年の野球を知らないので、よく分からなかった。ただ、あまりよい抑えではない印象が強かった。が、バックスクリーンに表示された成績を見ると、今年は30セーブ以上上げていた。その成績はある程度の安心感をもたらしてくれた。が、俺の遠い記憶がそれを飲み込もうとする。

4対3、1アウトランナー3塁。

1人返されたら負ける。同点になったら負ける気がした。序盤以降、広島は得点を上げられていなかった。


激闘は省略するけど、結果、永川はそのネガティブな思いを見事切り捨ててくれた。
ひかわ、ではなく、ながかわ、である。
永川はそのピンチをしのぐと、9回も抑えきった。

見たらサヨナラ負けする。
20数年ぶりにこの呪縛が解けた。


■横浜色のTシャツ

ひとつ。
広島応援において、決定的に失敗だったこと。
それは、俺が横浜色のTシャツを着ていたこと。
そっか、赤い服を着ていかなければならなかった、ということに気づいたのは、球場に入ってからだった。

妙な視線はそのせいだったのかもしれない。



■広島城

試合の前、広島城の天守閣に登った。
そこには、懐かしいメダルの自動販売機がおいてあった。
ドリンクの自販機もあった。
外には、天守閣より高いマンションが建っていた。
天守閣の壁には「落書きはしないでくだされ」と侍の土下座する絵があった。

留まろうとすれば呑み込まれていく。
なにかに。確実に。



■原爆ドーム


原爆ドームと市民球場が隣り合わせだとは知らなかった。そういうことは言ってくれよな。誰かな。

それはもう多くのことを考えさせれた。
でも、悲惨なそれらを見て、嘆くだけなら誰にでもできる気がするので、あえてそんな凡々のコメントはしないでおこう。


やっぱ宇宙は子供を欲しがっている。


そういうことなんだと俺は理解している。
あ、この仮説についてはまた今度書くことにして、もう一つ。


悪いのは原爆ではない。

原爆がなくなれば、抑止力がなくなるわけだからね。おこるよ、いろいろと。その時は、広島長崎の原爆犠牲者の比ではないかもしれない。

何が悪いかって。本当に難しい問題だ。

留まろうとすれば、呑みこまれるし、走ればぶつかるし。

時空ってまったく単純ではない。


ではまた。

2008年9月21日日曜日

広島は赤かった(1)

先週、広島、島根、山口を旅してきた。

母の出身地が山口で、昔からそちらの地方の話を聞かされて育った。

遠浅で透き通る瀬戸内の海、
そこで食うに困るほど獲れる貝や蟹、
道端になるイチゴ、
親戚の山の無数の松茸、
山口の国立病院を父(祖父)の仕事の関係で転々としていたこと、
錦帯橋、

とかとか。


母は広島ファンだった。
母は広島がピンチになると、テレビのチャンネルを変えるよう不愉快そうに言ってきた。
母のみならず、母の家系はみな広島ファンだった。
祖母は数年前に亡くなったが、90歳を過ぎて尚、新聞片手に近年の広島の不甲斐なさを憂えていた。
そんななので、打った後に走る方向すら分からない女性には、相応にげんなりした。

あ、広島って、広島東洋カープのこと。


1980年代


広島戦は、対戦相手が巨人のときだけテレビで見られる。

その事実を知ったのは、小学校高学年の頃だった。
そういえば、いつもテレビで見る相手は巨人だよな、ということに気づいた。
たまにやるテレビ中継は大いに食い入った。

広島が苦境を打破すると、無意識に歓声を上げていた。
それが隣近所まで聞こえていたことを、
広島が苦境を打破できなかった時に起こる、俺んちに聞かせることを目的とした隣のうちの拍手喝采によって知った。

あ、隣のうちは巨人ファンだ。
ちぇっ。

それに対抗する思いはまったくなかった。
が、広島が逆転するとまた無意識に大声を出してしまった。

それが隣近所まで聞こえたことを、
さらに逆転された時に起こる、より一層の拍手喝采によって知った。

隣のうちは、けっして広島戦以外でその拍手を起こさなかった。
いま思えばひょっとして、アンチ広島だったのかもしれない。

んなわけないか。


補足すると、うちの一族は広島ファンかつ、熱烈なアンチ巨人だった。
だから単に巨人が負けるのも、楽しいことだった。
そこに広島の勝利が絡んでくると、その心地よさは麻薬のようだった。

それくらい、当時の広島の試合はしびれ、そして日本のプロ野球も盛り上がっていた。


さらに補足すると、普段あまりものごとを言わない父は、
#酔っ払うとウダウダしゃべりだすんだけど。
近鉄ファンと公言しているけど、隠れ巨人ファンなんじゃないか、
という嫌疑が、試合中の些細なリアクションから掛けられていた。

「ばかなこというなよ」

いつでもそう答えたが、
巨人ファンであることは、我が家の中では、
もう人間として軽蔑するに値するレベルだったから、仮にもし巨人ファンだとしても、
そうであることは決してカミングアウトできなかったと思う。



1990年代


しばらくして、巨人ファンは全試合テレビ中継されているという事実を知った。
高校の頃だったか。
自身、巨人主体で物事を考えることがなかったので、その事実になかなか気づかなかった。

4chの巨人戦の放送はひどかった。
広島のピンチを、

「このチャンスを生かしたいですねー。」

といい、広島のチャンスを

「このピンチは何とかしのぎたいですね。」

といい、広島が勝てば

「残念ながら負けてしまいましたが、」

などと抜かした。
その一方的な偏り具合が気に入らず、読売系列すべてが嫌いになった。
巨人、ヴェルディ、読売新聞、日本テレビ、渡辺恒雄、などすべての関連が。

高校の頃には、巨人ファンを見つけると、
「それでいいのか?あんなんで勝って楽しいのか?」
と疑問を投げかけるようになっていた。

今となればどうでもいいことなんだけど、
まあ当時はどうでもよくなかった。


高3の時、クラスに3人の広島ファンがいた。
板橋と鉄平ちゃんと俺だった。
関東に住んでいると広島ファンは皆無に等しかったので頼もしいことだった。

実はその頃、広島は既に弱小チームとなっていた。
戦犯は、先日北京オリンピックでドラマを演じた仙一の一味、山本浩二。

選手と監督は必要な能力が違う。
選手には分析結果を忠実に再現する、または本能的に反応する身体能力が必要だが、
監督にそれは必要ない。
逆に監督にはもっと総合的にものごとを分析し、判断する力が必要で、
仙一同様、山本浩二はそれを持っていなかった。

チームは万年Bクラス。そのほとんどが最下位。
小学生だった頃、NHKで、
「実はここ10年間でもっとも優勝しているチームは広島なんですね。」
とアナウンサーが言っていたのを強く覚えているが、
その当時は知ることはできなかった屈辱の歴史が、1992年の優勝を最後に始まっていた。


が、打線は驚くほどよかった。
7、8点差くらいなら軽くひっくり返した。
逆に、7、8点差つけても、軽くひっくり返された。
かつて、北別府、大野、川口らを擁して、投手王国と呼ばれたあの時代とはまるで姿を変え、
大味な試合を展開し続けた。
山本浩二により、広島は明らかな打撃偏重チームへと生まれ変わり、
チーム成績とは関係なく続々スターが生まれていった。
にわかに広島ファンが増えだしたのもこの頃だと感じている。


退屈な授業では、理想のオーダーを何度も書いた。


1番 ショート  野村謙二郎.315 32本 30盗塁
2番 セカンド  正田 .340
3番 センター  前田 .325 27本
4番 サード   江藤 .321 39本
5番 レスト   金本 .300 30本 30盗塁
6番 ファースト ロペス .320 30本
7番 ライト   緒方 .300 36本 50盗塁
8番 キャッチャー 西山 .280
9番 ピッチャー ?

右の代打、町田 .300 12本
左の代打、浅井 .323 11本

だいたいこんな感じだった。
代打の町田と浅井は、他球団へ行けば十分にクリーンナップを打てる実力者だった。
シーズンを通して打席に立てれば、30本塁打以上は打っていただろう。
それから、いつもセカンドに悩んだ。正田は少し時代が違ったが、俺のベストオーダーに当てはまるセカンドがいなく、少し古い正田をはめた。
キャッチャー西山もしっくり来なかった。彼のとりえは、見た目によらない足の速さだった。
ピッチャーはベストといえる投手がいなかった。
山内、小林かんえい、など時折注目される投手が現れたが、酷使し、いとも簡単に潰れていった。


前田、江藤、金本、野村、緒方

彼らがいる間、チームは最下位でも、ファミスタは広島が強かった。


1990年代後半


さらに特筆すべきは、アルフォンソ・ソリアーノという存在感のほとんどない打者がいたこと。
あまりに好打者が揃いすぎていたため、それ以外の選手の出番は限られていた。
ソリアーノはベンチで可愛がられていた黒人。そんな印象だった。
彼は、団野村により広島を退団し、ヤンキースへ移籍した。
まったく知らなかった。
が、その3年後、ヤンキースがワールドシリーズで優勝した際、ソリアーノはレギュラーとしてセンターを守っていた。


広島が弱くなり、野茂がメジャーで活躍するようになってから、俺の視線はメジャーに傾くようになっていた。

ソリアーノがワールドシリーズで優勝したチームに所属していたのは、偶然の巡り会わせだろう。当時はその程度に考えていたが、どうやら違った。
彼はその後、30本塁打、30盗塁を3回記録し、2006年には、ジャー史上4人目の40盗塁、40本塁打をやってのけた。
また、二塁打も40本以上記録し、メジャー史上初の40本塁打40盗塁40二塁打全てを同時に達成した選手となった。
メジャーリーグのファン投票で1位を獲得する選手となったのだ。

あ、
あの時のセカンドにソリアーノを入れておけば・・・、
これはすごい打線じゃないか!

と今気づいた。



2000年代

江藤は巨人に移籍した。
金本もその数年後に阪神に移籍した。
さらに昨年、4番打者として育て上げられた新井も金本に続いて阪神へ移籍した。
黒田は、広島と戦う自分が想像できないと、ドジャースへ移籍した。

もはや俺の中で、日本のプロ野球は過去のものだった。

あれ?まだやってたの?

程度の。




つづく。

2008年9月19日金曜日

今日の利益は僕のもの、明日の損は君のもの

すべての悪は泥棒の派生である

と、「君のためなら先回でも」を見たとき、親父が子供に対して言い聞かせていた。

リーマンのような投資銀行は個人的には好きになれない。
彼らは、本質的に泥棒と変わらない気がしてしまう。

賢いのか愚かなのか、

今日の利益は僕のもの、明日の損は君のもの

と平然と言いのけ生きている。

2008年9月18日木曜日

蝉の気持ち

山の上、
緑に囲まれる岩国城にたった。

蝉が大いに鳴いている。
どうやらこの歴史ある人間様の城の存在に気づいていないようだ。


あ、、
それはちょうど、
俺が歴史ある蝉様の城に気づけないのと同じかもしれない。


よく考えるんだ。
蝉の気持ちについて。
俺にはどうにも蝉の気持ちが分からない。

蝉に名前はついているんだろうか。
名前がついていなかったら彼らは個体をどう識別するんだろうか。
仮に匂いで識別するとしたら、その場にいない彼のことをどう表現するんだろうか。
彼の匂いを出して、彼っぽさを表現すんだろうか。

トンボの気持ちも分からないし、
家のドアの前に時々いるカナブンの気持ちも分からない。

果たして、人間以外の生き物は、その場にいない第三者のことをどう表現するんだろう。

そんなのないのかな。
彼らの世界の中には。


いや、わかんないよね。
意外と、蝉にペットとかいるかもしれないし。

つくづく、宇宙は同じ空間の中でも複雑に交錯しているもんだ。



そんなことを考え出すと、
ほんとにもう世の中分からないことだらけだ。

無知の知、

とどっかの誰かがいったけど、
知った風な態度を取り続ける人は、どうにも息苦しく見える。
そもそも知らないということは本当に楽しいのに。

勝手な空想をする瞬間、俺の頭んなかは50m走をしている。
突っ走ると気分がいい。
疲れ果て、よく寝られる。

仕事も旅も何もかも同じだ。


すべてを知った瞬間、すべてが終わってしまう気がする。
だから、いつでも健全に知らない、という状態でありたい。
それは決して立ち止まろうと言っているのではなく。
無責任でいようと言っているのではなく。





なんか今、蝉の気持ちを垣間見た気がした。

2008年9月9日火曜日

酒は麻薬である

東の果て、大海原太平洋を背にした島国日本は良くも悪くも偏ってる。

たとえば、なぜか妙に酒に寛容で、大麻に厳しい。
大麻は、マリファナ、ガンジャ、はっぱとも呼ぶらしい。

酒がどう良くて、大麻がどう悪いのか。

真剣に考えたことはあるだろうか。
今から10年以上前になるけど、実家のトイレの本棚に何かの判例集が置いてあり、なんとはなしに、そこに書いてあった、大麻の取締りが不当に厳しすぎるという訴えとその判決を読んだことがある。

原告側の主張は、大麻は酒と麻薬効果は変わらないし、タバコよりも人体に無害なのに、なんで持ってるだけで、そんなに罪が思いの?これは等しく我々に与えられているはずの人権を侵害してるんじゃないの?と言ったもんだった。たしか。
こんな的を得た突っ込みに果たして裁判所はどう答えるんだろうとわくわくしながらページをめくると、なんと、裁判所が最後の根拠として持ち出してきたのが、文化・風習、だった。酒やタバコは古来より日本の文化として根付いているからOK。大麻はそうではないからNG。と。


えーー
いいのかよそれで。
世の中そんなもんなんか。

と強く思った。
思えばこの頃から、自信をもって多くのものを疑うようになったような気がする。


そうそう、散々酒を飲むくせに

「マリファナとかやるヤツは心が弱いんだよ。俺はそういうやつが心底嫌いだ。」

と言い放つ人もどっかにいたけど、ちょっと何かが違えばそのまま逆になってもおかしくない。

散々マリファナ吸って

「酒とか飲むやつは心が弱いんだよ。俺はそういうやつが心底嫌いだ」

という感じの。
俺には同等にみえる。


酒を飲み、大らかになり、普段はできない喧嘩をし、異臭を放ち、げろをはき、電車の席を占領し、ところかまわず寝転び、そして人をはねる。
さらに、記憶がない、という。
依存もするし、中毒にもなる。
家計が破綻し、家庭が崩壊した人もいる。

犯罪率は、アルコールが体内に入った人の方が高いようだ。

そう、アメリカでは未成年者が酒を飲めば簡単に監獄行きとなる。
日本はすごく酒にゆるい。
ロスなんか0時で酒の販売が禁止だった。
当然、朝までやっているクラブもだ。
驚いたし、その後、みんな酒以外のナニカでサイケデリックな感じになっていたのも驚いた。

この時はさすがに禁酒を法律にするのもちょっと厳しいなと感じた。
でもまあ、大麻も酒も変わらないよ。
大麻がオランダで合法なのは有名だろうけど、イギリスでも近年法の規制がみるみるゆるくなっている。


俺は今回の力士の騒動についてあれこれ言うつもりはないが、
理事長は解任すべき!そもそも解任が遅い!と多くの国民が言ったそうだ。
自分を上げてはいけない、棚の上に。
これに限らずそうだと思う。

酒は麻薬である。

そういう教訓です。


なぜ酒やタバコが合法で大麻が違法な国が多いのですか?健康的にはどちらが体に悪いんでしょうか?

マリファナマーチ2008

2008年9月8日月曜日

飽きるとは

自分自身をそれでは測れなくなってきているということ。


自分は、自分以外がいて、それとの相対関係で成り立っている。
一箇所に居続けると、変化が乏しく相対関係が掴みにくくなる。
やがて自分というものが何なのか分からなくなってしまう。
だから人は居場所を変え、それによりもたらされる情報を、ただひたすら全身で浴びようとする。


仮に一箇所にい続けるとする。
それでも、自分以外が変わるので相対的に自分の意味は変わっていくことになる。

なぜ僕らは変わろうとするんだろう。
それは多分、宇宙の派生物はひとしく可能性を模索する使命が仕込まれているから。
僕らはどうしても不変ではいられない。


たとえば、次の瞬間、すぱーーっと何もない宇宙空間に放り出されるとする。

数分もすれば、右も左も分からなくなる。
前も後ろも、
上も下も、
狭いも広いも、
僕らの信じた善も悪も
次第に意味を失っていく。

何を叫んでも、その声はどこにも届かない。

その時、いい加減気づくはずである。
この世の価のすべてが、自分が勝手に信じ込んだ錯覚であると。



それでもやっぱ。
それでもやっぱ、電車の席は譲り合うのが美しいと感じてしまう。
それでもやっぱ、挨拶は大いに感情を込めてすべきだと思ってしまう。
それは社会に対する敬意そのものだと思うんだ。
それはそのまま自分に対する敬意であるようにも感じる。

ぼくらは次の瞬間、宇宙に放り出されるわけじゃないから。


右も左も、
前も後ろも、
上も下も、
狭いも広いも、
善も悪も、
ある程度あって。
何が大切で、どういう行為が悪なのか決まってくる。


飽きるって素晴らしいこと。
変化のシャワーは五感に浴びせ続けたほうがいい。
きっと鏡よりずっと自分を赤裸々に映し出してくれるはずだ。