登山の帰り、というのもあったか、もう鷺沼で両腕広げたら飛び立ってしまえそうに爽快だった。
今日は大山三峰山という、メジャーでもない山に登った。デジカメは電池を抜いて持っていってしまった。だから写真は撮れてない。
コースは簡単にこんなだ。
自宅~本厚木 | 徒歩&電車 | 7:30~8:45 | 75分 |
バス待ち | -- | 8:45~9:40 | 55分 |
本厚木~煤ヶ谷 | バス | 9:40~10:30 | 50分 |
煤ヶ谷~三峰山山頂 | 登山登り | 10:30~13:30 | 180分(休憩入れて) |
三峰山山頂~不動尻~広沢寺温泉 | 登山下り | 13:30~15:30 | 120分(休憩入れて) |
広沢寺温泉 | 温泉 | 15:30~16:30 | 60分 |
広沢寺温泉~広沢寺温泉入り口 | 歩き | 16:30~17:00 | 30分 |
広沢寺温泉入り口~本厚木 | バス | 17:00~17:40 | 40分 |
本厚木~自宅 | 電車とか | 17:40~19:00 | 80分 |
煤ヶ谷からある程度登った分岐点にこんなものが登場する。
「三峰山は地形が急峻で歩道は狭く沢沿いやクサリ場など多く経験者向きの登山道です。無理をしないで引き返す勇気が必要です。」
それから途中、
「ツキノワグマが目撃されているので十分注意してください。」
とわりと新しい看板が目に付く。熊よけの鈴を持っていない以上、落石注意レベルで注意の仕方が分からない。
三峰山には、三峰というだけに3つの山頂があった。煤ヶ谷から向かって最初の峰は一人が座れる程度しかない。次の峰は二人が食事していたが、それで定員一杯。最後の峰には机が置いてあるが、それでも10人程度しか居られないほどの広さだ。多分、それを北峰、山頂、南峰と言っているんだろう。
違うかな。
仕入れた情報どおり確かに痩せ尾根だった。尾根のすぐ脇はスカッと森ごと奈落に落ちてしまったような山肌剥き出しの斜面が数箇所あり、余計な妄想を何度もしてしまった。山頂付近の1kmはクサリ場と梯子が頻繁に登場した。ちょっとした岩場には杭とクサリが、やや登りにくいだろう岩場や、登山道が崩落している箇所には梯子が施され十分に安全は確保されていた。これだけ整備されたものを無料で利用できるのはちょっと儲けもんだ。
とはいえ、高齢の方と中学生未満の子供らが登るには相応の覚悟が必要と思う。
本厚木からバスで一緒だったご高齢の林さんは、煤ヶ谷のバス停で下り、バス停前にある地図に見入っていた時、向かう先が同じことを知った。お互いの視線の先が三峰山を指していたのだ。林さんは三峰山が昔の本で紹介されていて思い立ってきたらしい。物腰柔らかく非常に上品で、
「最近は登山で手足が痙攣することがあるけど、いざという時はGPSがあるから大丈夫です。^^」
と穏やかに話してくれた。しばらく一緒に歩いたものの、
「私はゆっくり行きますのでどうぞ^^」
とおっしゃられるので、
「それではまた後ほどお会いしましょう」
とてっきりどこかの休憩所で合流することになるだろうと一時の別れをした。が、休憩所がろくになく、その後は会えずじまいになってしまった。あの後の行程は、ステッキをついてではかなり厳しかった。単身だったからなおさら気になる。無事の下山は間違いないと思うんだけど。
山頂付近では、海老名から来たというワイワイガヤガヤ元気な小中学生20名ほどの一行に遭遇した。先頭と最後尾に一人ずついた保護者は気苦労耐えなかったと思う。
「一人ずつ渡れー!足場を確保しろー!!」という先頭を突き進む保護者の怒鳴り声と
「誰だよ、こんな山に登ることにしたの!」という子供たちの愚痴と
決して弱音を吐くわけにはゆかない、最後尾の疲れ果てた保護者の表情が印象に残っている。
総じて当初の予想を見誤った感が漂っていた。
でもまあ、このゴールデンウィークにメジャーではないこの山に来てしまうあたり、みな、似た何かを持っているんだろう。
登山の醍醐味は都会生活でくすぶり続ける本能に刺激を与えること、だと思ってる。
だから簡単な山であれば、予習は映画CM程度にしておき、できるだけまっさらな状態で望むようにしている。
ただ、開始と終了地点のバスの停留所とその時刻表は入念に調べておく。"待つ"のが苦手だからだ。ラーメン屋や人気アトラクションにも白けやすい。今日は調べたのに、系統を読み間違えてしまい、本厚木駅で55分も待った。
それからメジャーでもない山の場合、けっこう、停留所から登山口が見つかりにくい。集落がないと、聞く人すらいない。以前、行く手を阻む木々岩々で歩きにくさを感じつつしばらく登っていたら、きれいな登山道に出くわしたことがあった。あ、なるほど、今までのは沢だったか、と後から気づいた。そういう積み重ねが遭難に繋がるんだとつくづく思ってしまう。
計画と実行は、なかなか一致しない。
でも、そこで生じる誤差こそが求めている本能への刺激でもあるように思う。
刺激は絶え間なくあったほうが心地よい。
仕事は複雑な人の心が入り組んだ社会のど真ん中にこそあり、とかく誤差の本質が掴みにくくなる。それに比べ登山は、自分自身と真っ向に対峙できる。自分以外には大自然しかない。苦しかろうが心地よかろうがすべては自分の思い一つである。
それに方向感覚。自分が向いている方角を常に算出し続けるもの。
今回の登山は、結果、ほぼ一本道で、標識も分かりやすかったのでまったくその問題に直面することはなかったが、そうじゃない時がある。そんな時のために、方角は無意識に算出され続けている。こうしている今もね。
そして時々狂う。狂うのは困るが、嫌いではない。自分の限界、至らなさを知ることこそ、次のステップへの一歩になるからだ。帰ってから必ず地図で答えあわせし、狂い始めたポイントを確認する。そして
「なるほどー!!」
と納得する。この瞬間が気持ちいい。
ついでに、最初に抱いたイメージとリアルがどれだけ違うかも確認する。
誤差を知るのがとても楽しい。
それとそう。
今日の登山でもっとも刺激的だったのは、突然、
「ドサッ」
という音が少し先の草むらから聞こえてきた時のこと。
明らかに何かが動いた音がしたのだ。
「まさかツキノワグマ!?」
看板を何度も見たので疑わなかった。
細い山道の両脇は腰の高さほどの草むらで視界が悪い。
立ち止まりしばらく耳を澄ましていると、また
「ガサガサ」
という音がしだした。
確実に人間ではない何かがいる。
大いにびびり、自分の足がすくんだ。
進むべきか引き返すべきか。
いや、ここまで来て引き返すのは気が引ける。
だが、突き進んでクマに襲われるのも困る。
いやでも、ここまで来て山頂にたどり着かないのもどうだろうか。
いやでも、突き進んでクマと遭遇したくない。
そんなのを何回繰り返しただろうか。
いっちょ進む方を選んでみることにした。
ららら~と自分の存在を知らしめるための歌を歌いながら、
ここで俺は最期を迎えるかもしれない、とどこかで思いながら、
ゆっくり慎重に、クマの登場を待ち構えながら30mほど進んだ。
明らかにさっきドサッと聞こえたあたりは通過した。
安堵感が心に充満し始めたそのときだった。
少し遠くの木の上に何か動くものが見えた。
はっ
サルだった。少し大きめのサルがこっちを向いていた。ちょっとちょっと、どっかのチキンがサルをクマって通報しちゃったんじゃねーのか?と思ってしまった。
まあまあ。そういう誤差があるからこそ人生楽しいのです。
やっぱそう思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿