2007年2月4日日曜日

ツタンカーメンの呪い

あるあるに限った話ではない。テレビ業界で働く人ってちょっとした目立ちたがりであり。そんな彼らにスクープ合戦をさせたらどうなるか。捏造は目に見えた結果である。それによく出来た話を望んでいるのがまた視聴者なわけで。この手の問題が今後も続くことは容易に想像がついてしまう。
またNHKはともかく民放は広告収入で成り立っているのだから、フェアな報道は決して出来ない。さらにそこに出演している人たちがまたどっかのCMに出ていたりするのだから決してフェアな発言はできない。
だから俺はテレビを鵜呑みにはしない。情報は自分から取りに行ったほうがいい。
それに、メディアは一人称による観測の羅列しかできない。事象は無限の側面を持っているというのに。これはクオリアと同レベルにハードプロブレムといえる。観測者が感想を述べた時点で、それは偏った主観を述べたに過ぎなくなる。


クオリア


話はずれるんだけど。クオリアって知ってるかな?説明を読んでいくと、どうやら事実と思っていることは、各自がそう感じているに過ぎない、ということに気付く。ウィキペディアに詳しく書いてあるんだけど、一部抜粋すると、、
君は白と黒しかない世界に育った人に

という色の説明ができるか?
そんなことが書かれている。そして少し考えた後、いくら言葉を並べてもそれが無理であることに気付く。仮に「波長 630-760 nm の光が網膜に入射すると現れるやつ」といって分かるヤツがどこにいよう。

もちろん、多くのメディアは真実をそのまま伝えようとしているのかもしれない。それと、故意に事実を歪めたあるあるとは問題の次元が違う。
次元というか、目的が異なっている。共栄を図るための報道か、特定の人のための道具だったのか。
事象は観測者により異なるわけで、少しの知恵を使うといくらでもギミックを仕込むことができる。そこに、個人的な欲求のエッセンスを注いでしまうと大問題になるわけだ。



DNAとグラビトン

DNAは新しい情報に非常に敏感だ。健康問題であれ、宇宙人やネッシーなどの未確認物体であれ、ミステリーサークル、かまいたち、ポルターガイストなどの怪奇現象であれ、DNAは謎めき放つものごとには否応なしに情報収集を図ろうとする。これは実に興味深い。まるで時空を歪め、物質を飲み込んでしまうように見えるグラビトンのようにも思える。

ツタンカーメンの呪い

捏造といえば、ツタンカーメンかなんだかの呪いの話もそうだ。当時、イギリスのどこかの新聞が発行部数を増やすためにありもしないことを面白おかしく書いたらしい。その件に絡んだ人々は続々謎の死を遂げることになっているけど、当然、呪いなんかあるわけなく、スクープした誰だかは今でも元気に暮らしているそうな。
しかし、あるあるの事件と、ツタンカーメンのこの問題はやっぱり目的が異なるのだ。なぜ、このツタンカーメンやピラミッドの話に対し社会はそこまで批判的ではないのか。
それはみんなに考えて欲しい。
しかし、生き物というものは不思議なもんで、自分に変化を与えないものにはまったく興味を示さない。そこには時空の歪みが存在しないのかもしれない。こうしている今も当たり前に空気を吸っているわけだが。
猫だって犬だって文長だって、仮にみんなに知られていなかったとしたら、その存在を知ったとき、どんなリアクションを示すんだろう。みんなけっこう驚くと思うよ!
そういえば、先日大輔が『神々の指紋』のまやかしに完全にかかっていました。俺もノアの箱舟に代表される洪水伝説は絶対にあると思うんだけど。

0 件のコメント: