2008年11月16日日曜日

変わらないルールはない

大麻を悪と決め付ける記事を書く記者は、きっと、大戦中に遡れば、そこで、日本万歳と大声で叫び、平然と侵略戦争を肯定する記事を書いていたんだろう、と想像されてしまう。

大学に悪しき大麻が蔓延していると、それを嘆くような論調の記事が目立つが、それが本質的に嘆かわしいことなのかは、はなはだ疑問に感じる。どの記事を読んでも、大麻が合法でないことは書いてあるが、なぜ合法でないのか、なぜそこまで取り締まるのかはまったく書いていない。あそこまで無根拠に論じられると、逆に不審に感じるのは俺だけだろうか。

おそらく、ビール業界は大麻は違法であるべきだと願っているだろう。簡単に安価に栽培できる大麻が合法になったら、それなりのダメージを受けるだろうから。そういう意味では、これら一連の大麻を気嫌う記事は、ビール業界の圧力かもしれない。とも感じる心もゼロではない。


権力はどの時代も、自分たちに都合のよい神話や歴史やルールを作ってきた。それを疑う目を持たなければならないのは、北朝鮮やイラクを見ていれば分かること。いや、アメリカを見ていても分かること。いや、日本そのものを見れば十分に分かること。

そもそも、今僕らが考える、合理的な宇宙観を築き上げたのも、与えられた常識、ルールを疑ったところに始まる。気を抜けば、僕らが文明と呼ぶそれは、自己中心的な世界観を作り出してしまう。この王家こそが中心、この権力、国家こそが中心、地球こそが中心、太陽系こそが中心、という。そして、どの時代も、新しい合理的な価値観を受け入れるのには苦しんできたようだ。


想像力の欠如 大麻で転落“高偏差値大学生”の末路
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081116-00000508-san-soci


「もはや性善説も限界を感じさせる状況だ」とかっこよく締めくくっているつもりかもしれないが、では、この記者は何を善と思っているんだろう。大麻がどう悪なのかを論じることなく、法に反するとしか述べていない。それから親の時代の良識と比べてもたいした意味をなさない。

大麻の吸引は、想像力の欠如から起こるんだろうか。真実を見極めようとする模索と違うんだろうか。
真実を知る権利は誰にでもあるはずだし、僕らがそういう欲求を持つのも、宇宙から生まれた派生物としてごく普通のような気がする。目の前に真実があれば、多少のリスクを犯しても、それを知りたいと思うのはごく当然じゃないんだろうか。真実を追求してきたからこそ、僕らの今の世の中があるんじゃないんだろうか。


結論を急ぐけど、僕らがたった今信じている正義が、どの時代においても正義であるとはいえない。社会に生きる以上、ルールを守ることは大切だが、それを鵜呑みにするのもどうかと思う。鵜呑みにすれば、カルト教団の信者と大差ない。

インターネットにより、この世界には情報が溢れている。きっと僕らは僕ら自身の目で、ルールの真偽
を見ぬかなければならないんだと感じる。

そしてどの時代も、老朽しかかった権力はそれをもっとも恐れている。


http://asayake.jp/

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