2008年11月4日火曜日

なぜ月はあるのか

HOWでなく、WHY。

どのようにして月があるのか、ではなく、なぜ月があるのか。という話。
それは、なぜコガネムシがうちの玄関付近によくいるのか、というのと同じ。
それは、なぜ僕らが生きているのか、というのと同じ。

どのようにしてコガネムシが玄関付近によくいるのか、
どのようにして僕らが生きているのか、そういう簡単なことではない。

HOWの方を、現代科学が解き明かそうとするイージープロブレムといい、
WHYの方を、形而上学が追求しているハードプロブレムという。

いいのかな。
学術的なことはよく分からない。


週末、ずっとずっと前から目をつけていた陣馬山をだらだら歩きながら、あまりにその距離が長いのでそんなことを考え続けた。
高尾山までおよそ16kmほど。毎度の無計画さがよくないのは分かってんだけど、ほんとにひたすら平坦で長くて驚いた。
これ以上にマウンテンバイクに適した山道があるんだろうかという程、山中、高低差がなかった。
休日は混んでるので、平日行きましょう平日。だれか。


さて。
こんなことをいうと、引いてしまう人もいるんだろうけど、やっぱり宇宙は子供を産みたがっているんだと思うんだ。僕らの欲求は、すべて、ビッグバンを起こして次の宇宙を生み出す方向に向けられているんじゃないかって、最近ふと考え、ほとんどそう確信していたりする。
星を眺め思いを馳せるのもそう、法則を見出し、宇宙のメカニズムを解明しようと試みてきた数々の文明もそう、僕らが異性に興味を持つのもそう。自然を守ろうとするのもそう。利己的遺伝子の法則という言葉もあるけれど、それではなぜ生命はDNAを未来へ運ぼうとするのか、という問いには答えられない。

核もその一歩だと思うんだ。ここでいう核は決して兵器としての核ではない。ゴールへの過程の核ね。

今度、ヨーロッパかどっかで、小さいビッグバンを起こして、無から生まれたとされるこの宇宙の初期を再現しようとしているそうだ。その実験の目的は、その謎を解明すること、らしい。

でもそれは手段だろう。本質的な目的はやっぱり宇宙がビッグバンを欲しているんじゃないかと思えてならない。今のところ。



なぜ、月はあるのか。
なぜ、コガネムシが玄関前に居、僕らが生きるのか。

それは可能性のひとつなんだと思う。
僕らはきっと、均等に可能性を模索するという使命を与えられているんだと思う。

だから、可能な限り可能性を模索すると宇宙の流れ的にいいような気がする。
それを人は、努力っていうのかもしれない。

ウエンツもこういっている。
「奇跡は偶然じゃない」
「努力したからこそ、奇跡が起きる」
「努力しない人に奇跡は起きない、努力しない人にラッキーはない」
と。

知ってる?ウエンツ瑛士(必読)

てっきり彼がジャニーズの一員だとばかり思っていたけど、違ったんだね。というかむしろ断ったと書いてある。ちょっと彼、面白いな。


うーん。
いつでも話はエンドレスに長くなりそうなので、寝ます。

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