2006年2月4日土曜日

さらば親知らず

一昨日の夜中3時ごろ、親知らずがうめき出し目が覚めた。あまりの痛みに再び眠りに落ちることが困難な状態だった。俺は極力薬を飲まない主義なんだが、やむを得ず処方された痛み止めを飲んだ。

くっそー、あのばばあ許せねえ

ベッドに戻った俺は冷凍庫から出した保冷剤を頬にあてがい、顔をゆがめてそう吐き捨てた。あのばばあとは先週治療をしてくれた歯医者さんだ。白いベンツに乗っている。なんで治療をしたのにこんなに痛むんだ?治療方が悪いじゃないのか?激痛に腹が立ち、そう吐き捨てた。
次に目が覚めたのは明け方5時くらいだった。体が熱くなり目が覚めた。布団をはぐと、激しく汗をかいていた。激しくというより、異常に汗をかいていた。どうやら鎮痛剤=解熱剤のようだ。すべての服を着替え、日々の睡眠不足の中、うんざりしながら眠りに落ちた。
散々だ。 そもそも歯医者ってなんとも胡散臭い。歯医者になるには学力よりも資金が必要で、彼らは世のため人のためというより、自分が金を稼ぐためだけに、それを目指しているような気がしてならない。チェ・ゲバラとは大違いだ。大した志向も無くやっているのが歯医者で、ヤブ医者(治療が下手な医者)が一番多くいそうなのも歯医者だ。
言い過ぎた。偏見だと思う。失敬。

俺、怖かったんだよ。親知らずを抜くのが本気で怖かったんだ。この一週間、気が気じゃなく、馬鹿みたいに警戒心で一杯だった。職場でも弱音を漏らしまくりだった。誰一人楽観視させてくれる人がいないんだ。ある人は、熱が下がらなくなり、翌日寝込んだとか、またある人は、神経をゴリゴリ抜いて大変だったとか。しかも昨晩兄から電話があり、出血が止まらなくなり大学病院に運ばれた知人がいた、とか言ってた。要らん情報だ。あほかっ。

そしていよいよ、今日が抜歯の日だった。

2:15、家を出る。2:30病院到着。

病院はガラ空きだった。さっそく呼ばれ、あの、、なんていうのかな、あの歯医者の電動の椅子の上に座った。先生が、

「痛みましたか?」

と言いながらやってきた。待ってましたとばかりに、俺は激しく痛んだ旨を伝えた。すると、

「じゃあやっぱり抜くしかないわね」

と言ってきた。
本当にこの茶髪の女医に俺の歪んで生えた親知らずが抜けんのかよ
この期に及んで少し悪ぶりながらそう心の中で呟いた。だが、なかなか本題の抜歯に入らない。まずは歯の掃除だ。いやなキュイーンという高音を出しながら超音波の掃除機が歯と歯茎の隙間をなぞっていく。痛くなったら左手を上げるように言われた。
なんで左手。右手じゃダメなのか?
なんでだろうなんでだろうと考えているうちに、攻撃を受け続け、口の中が血だらけになっていった。
それが終わると今度は歯周病予防の歯の磨き方を教えてきた。教わったというより、勝手に教えてきた。年齢的にそろそろ歯周病対策が必要なのだとか。いやー、俺もそんな年になりましたか。俺が手鏡を持ち、先生が歯の隙間にワイヤーの歯ブラシを突っ込む。次から次へと突っ込んでいく。

「出血は恐れなくていいです。」

とか言いながら、またしても血だらけになる。
ぶっちゃけて抜歯以外のことは望んでないんですけど。内心、そう思った。俺は病院の医事会計システムに治療実施データを渡したことがあるから、相手がちゃんと掃除代や指導料を取っていることを知っている。まあ、それは置いておいて。

「じゃあ、そろそろ抜歯しますね。」

ウワ━━━━(*∀*)━━━━ッ!!。

いよいよだ。

「すいません、びびってるんですけど。」

思わず子供のような弱音を漏らしてしまった。すると先生、

「大丈夫よ、痛くないように抜くから。」

と優しく言ってきた。妙な安心感だった。
まずは麻酔だ。久しぶりの針の感覚だ。先生はかなり気を遣って声を掛けてきてくれる。

「ちょっと痛むけど、ごめんなさいね・・。」

しかし、俺はこの手の注射はまったく苦じゃない。歯医者には昔から行きまくっているが、幼少の頃から一度もわめいたりすることはなかった。以前、麻酔液が入らなくて、20回ほど針をブッ射されたこともあったが、まあ普通に耐えられた。ゆえに麻酔は大丈夫。 あたりまえやん、痛みを麻痺させるのが麻酔やで。
という声が聞こえてきそうだが気にしない。しかし、今回の麻酔、効いてる感じがしないのだ。今までならもっと痺れを感じるはずだがその痺れがない。
大丈夫かな。。

「じゃあ、今から抜きますね。」

胸が高鳴る。肩の力を抜こうにもどことなく不自然に力が入る。気が遠くなる気がする。
あれ、俺こんな弱かったっけ。しっかり根付いた歯を無理やり抜くってどんな感覚なんだろ。この先生に本当に俺の歯が抜けるのか?
またしてもこの疑念がざわざわ胸の中を走り回り止まらない。
先生はサイドから攻撃をしかけてきた。ペンチでぐりっと一抜きする手段ではなさそうだ。何かで歯をひっかけたいようだ。めっちゃ力を入れてるのが伝わってくる。
ってか先生それじゃ歯じゃなくてアゴが抜けちゃうじゃないか!
俺はアゴが外れないようにアゴに力を入れた。それくらい強烈にガリガリやっている。しかし、どうも思うように事が捗っていない気がする。先生、すぱっすぱっと同じ動きをずっと繰り返してるんだ。そして時折、歯が砕ける。思わず砕けた破片を飲み込みそうになる。助手にピンセットで取るように指示するが、助手ができず、自ら吸い取っている。なかなか吸い取れず必死になっている。普通に言葉でコミュニケーションを取ればいいのに、次第に先生と助手間で言葉数が減っていくのが目に見えてわかった。その分、アイコンタクトをしているのだ。

なぜ声に出さない?

ちょっとやばい事態になってるんだろうか。なにやら不穏な空気が漂い始めているように感じた。
いつかの春だった。俺が内視鏡を飲んだ時のこと。ついでに十二指腸まで見ますね、とドクターが言った直後だった。胃の中をを映し出すモニターが突如消えたんだ。それまで俺を励まし続けていたドクターが突然、無言になった。明らかに慌てふためくスタッフたち。もう俺も判りきってるんだが、彼らは悟られまいと取り繕ってるんだ。俺は自分が胃カメラを飲み続けていることより、無言で目配せする彼らの焦りっぷりを心配してしまった。1分ほどして、モニターに映像が戻ってきた。すると何事もなかったかのようにまたドクターが俺を励ましだしたんだ。
とかいう記憶が無言の彼女たちを見て蘇ってきた。まだ女医先生は同じ動きを繰り返している。すぱっすぱっと相変わらず空振りしている。いっこうに進捗率があがっていないように感じる。
じゃあ、今日はうまく抜けなかったのでここまでにします。
とか言ってきやしないよな。この人の力じゃ俺の頑丈な歯は抜けないんじゃないのか今度こそ本当に。
いろんな嫌な妄想が駆け巡った後、黙り込んでから五分くらい経ったころだろうか。先生がついに口を開いた。

「あと少しですね。」

待ちに待った進捗率を知る一言だった。
まさか気休めとかないよな。
俺は最近、疑い深い。今度は前から攻めてきた。そして約一分後、何かがするーっと抜ける感じがした。

「はい、抜けました。」

ふー。抜けてよかったー!

こんなに時間の掛かる作業だとは思わなかった。でもやっぱり麻酔は効いていたようで痛みはゼロだった。
それと痛切に思ったこと。実は処置の最中、先生の体の一部がずっと俺に当たっていたんだ。あの不思議なヒーリングパワーはなんなんだろうか。どこかお母さんに抱かれているような、そんな安心感を感じていたのだ。女医さんは偉大だと思った。
先生は、俺が病院を出る際も「お大事になさってください!」と他の患者を治療しながらそう言ってくれた。俺はガーゼをかんだまま「どうもー。」と精一杯応えた。
その後、処方箋を手に薬局へ向かった。薬局の場所を地図で見せられ、どんな遠くなのかと思ったが歯医者からすぐだった。というか、俺の通勤路だった。意外になんでもあるんだな、百合ヶ丘。
血はしばらく止まらなかった。途中、ぺっぺっ血を吐きながら帰った。

事件みたい。

とか思いながら、ぺっぺっ血を点々と吐いて帰った。

寒空の下、遠くを見れば、丘の家々が赤紫色に美しく夕映えしていた。その向こうには僅かばかりに暗くなった青空が広がっている。
階段は相変わらずきつい。丘の頂点付近でおばさんを抜き去ると、彼女の息がとても荒いのがわかった。
この町、俺は本当に好きだ。多少きつくとも俺は絶対に平地には住みたくない。
見渡すあらゆる景色がシャッターチャンスであり、過ぎ去る一瞬一瞬がドラマなのだ。すべてを胸に焼き付けたくなる。 嫌なことが終われば、何もかもが美しく見える。そのためには多少の苦痛は必要だ。


ありがとう、女医先生。さらば親知らず。

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