2008年6月8日日曜日

宇宙はまったいらではない

欲求は雑多だ。
与えたいという欲求と、与えられたいという欲求と。
よくよく考えてみると、与えるものと与えられるものの量はいつでも同じなのかもしれない。

宇宙はまったいらではない。
スーパーボールを地面につけば、何回かはねた後、予期しない方向に行くのはごく普通のことだ。
そこにあった小石を咎めることはできない。

情報は重要だ。
小石を知らずには結論は出せない。

たとえば、コンビニの強盗を捕まえた店員はヒーローではない、と思ってる。
たとえば、電車で、携帯電話で喋っている人に勢いよく背中からとび蹴りする人もヒーローではないと思ってる。

強盗がなぜ強盗になるのか。
店員はなぜ強盗を捕まえるのか。
あれだけ駄目だと車内放送しているのに人はなぜ携帯電話で話すのか。
人はなぜとび蹴りまでくらわすのか。
そもそもなぜ駄目だと車内放送するのか。

うちの近所には、時代錯誤な、スクールウォーズのころのまま、みたいな地域がある。
246を猛烈なバイク音で突っ走っている彼らは、そのへん出身の子供であると聞いたことがある。
虚勢は虚勢に過ぎない。
が、難しい。

誰がよくて、誰が悪いのか。
なぜ同じ人間という種族なのにここまで両極端なのか。
本当に難しい問題だ。


今踏み出した一歩にどんな意味があるのか、
今言った一言にどんな意味があるのか、
なかなか人間には分からない。

ひとつだけいえるとしたら、その計算スピードは、人間の脳よりコンピュータの方が圧倒的に早い、ということ。

どいうことか。
より、人の一歩、一言が正確になっていくということだ。

僕らは宇宙がどう平らでないのかを、今後ますますコンピュータというメガネを使ってみることになる。
少しずつ、哲学も科学もテクノロジーも道徳も宗教も政治も、少しずつ集約されていく方向になるんじゃないかと近年強く感じている。
近年、といっても、近年以前にはあまり多くを考えなかった。
だから、ここでいう近年は、「30歳あたりからの数年」ということになるのかもしれない。つまり、現代も江戸時代も、縄文時代も関係なく、この年頃の男子なら考えることなのかもしれない。

ところで、正確になったその一歩はどこに向かっているのか。
ぼくらはなぜ進化するのか。
みんな知ってるかな?
俺、この前、垣間見たんだ。それを。


えー、ではまた。
よい午後のひと時を!

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