2008年6月29日日曜日

脳が先か、人生が先か

自分の脳が、この人生の一歩一歩を描き出しているのか、
一歩一歩が、自分の脳を形作っていくのか
どうやらどっちが先ってのはなく、人生も脳も相関しあっているようだ。

昨日は梅雨の晴れ間。
昼過ぎに家を出て、だいたい登戸か向ヶ丘遊園に辿りつく予定で歩いた。

道が分かれていたとする。

選ぶとしたら、
細い道、小高いところへ登っていく坂、自然の匂いのする方向、
ひと気のない場所、そして暗がり。

そうやって歩いていると、たいがい、見晴らしのいい丘に出ている。

「あの坂を登れば」

小学校三年のとき、国語の教科書に出てきた話。
息を上げながらも心はすっかりそんな感じだ。


ふとした瞬間、このメガネに引っかかる被写体が見つかる。
写真を撮りたくなる。
そこはなんでもない住宅街だったりする。

「このご時勢、不審者に思われたらどうしよう」

見てくれが30過ぎのおっさんであることを思い返し、感慨深くも少し嘆く。

--

およそ生田緑地についたあたりだった。
一本の細い、家と草に挟まれた、薄暗い緑に続く階段があった。

ぐんと引き寄せられた。
多分、7次元目くらいに心の次元があって、緩やかな坂になっている。
コロコロと転がりはじめるのは必然だ。

階段を歩き出して暫くは、ひとんちに到着する確率30%状態、が続いた。
もし本当にひとんちに向かう道だったらこれは完全な不審者だな・・
もしそんな中、住人が俺の存在に気づいたら、なんと答えよう。

「あ、、えー、ここは森に続く道じゃなかったですか?」

これでいいんだろうか。
なんか駄目そうだ。

--

一気に開けた。
視界に入ってきたのは大きな森だった。

ときめいた。
あたり一面森。
まるで山のど真ん中だ。

あああ楽しい。
こんなのが楽しいと思ってしまう。


この感覚、仕事と変わんないな、と思った。
今の仕事、けっこうこれと変わらない。

多分、いける。いや、多分というか、絶対いける。はずである。

いつもそういう感じで歩きはじめる。
ゴールは見えにくく、道筋は明らかに完全ではない。
だから、分かってもらえないことが多い。

それを説明するのも仕事なんだろうけど、
そもそも説明できるほど、整理できていないので、
できれば直感で分かってもらえるとありがたかったりする。

そう、見えるゴールは、歩き出す前に歩き終わってる気がしてしまう。


といっても、俺のは、まったくもって、アルプスの頂を計画的に攻めるほどのものではない。
知らないところを散歩する、その程度だ。

そっか、散歩か。

少し、今の仕事を与えてくれている会社に感謝しようと思った。






このうちとか、たまらない。


生田飯室東地区急傾斜地崩壊危険区域

という全文字漢字の地域だった。
どおりで森が残っているわけだった。

ほんの少し行くと、向ヶ丘遊園の駅に着いた。
そこから生田を過ぎ、読売ランドまで歩いた。

電車とバスと歩きでうちまで帰った。22時を過ぎていた。


そういえば、帰りのバスから真っ暗な森が見えた。

暗闇は怖い。けれど神秘的だ。

多分、この脳にはまだまだ未開の部分があるんだと思ってる。
知らないところへ行くことは、この脳を開拓することと同じなんだと感じている。

2008年6月28日土曜日

落書きに宇宙を感じた

これをみると、超批判的な意見が圧倒的だけど。


むろん、文化や芸術は触れぬまま残しておくのが美しい。
でもそうはさせないのが、この宇宙というか。

形あるものは、風にさらされ、時の流れとともに意味や姿を変えていく。
ある、は、ないがなければない。
なにもかもあったら、それはないに等しい。

だってもし、もし。

形あるものが滅ばなかったらどうなる?
人間が生まれる一方だったらどうなる?
文化だって芸術だって生まれる一方だったら、どうなってしまう?


それから僕らは不思議と、自分の何かを刻み込みたい、と思ってしまう。
誰かの心に何か自分の痕跡を残したい、なんて思わない人は多分いない。
恋愛から通り魔までその表現方法は実に多種多様だけど、
みな、自分という存在、アイデンティティを確かめるために
相対関係を測るために、何かに痕跡を残そうとする。


たぶん、どうせ痕跡を残すなら、学校の机、なんかより、
より人の目にさらされる価値あるものの方がいい。


ああ、不思議だ。
僕らのほんの些細な「落書きをしたい」といった思いこそに宇宙を感じてしまう。

それが破壊行為であることにはその瞬間は気づかない。
それが風化そのものであることにはその瞬間には気づかない。


そう、今、この世界が墓で埋め尽くされていないということ。
それがすべてだと思う。

多分、何もかも宇宙、ということ。

2008年6月23日月曜日

うちのダーツ台

ちょうど、ライトがダーツを照らしてくれてそれっぽい感じ。
ダーツ台は2700円くらいで落札したもの。
5kgもあるんだけど、ピンポーンってなるやつのところにタコ糸で吊るしてる。
切れたら床が抜けるかもしれない。



スクリーンは、緒方のスリーランホームラン。
自分の所定位置から狙って撮った。
無意識に広島を応援してしまうのは、どうも変えようがない。



よく見てもらうと分かるけど、左下の方の一本。的以外に刺さってます。
こんな時は、修正液(修正テープ?)で塞いでおきます。

2008年6月21日土曜日

ダーツにはまるわけ

久々にダーツをした。

いつ以来だろう、と思い返してみたら、なんとたった一週間ぶりだった。
一週間前が遠い過去のように思える・・・

この熱のエネルギー源はたぶんあの人の情熱にある。始めたばかりというのに、8月までにAフライトになるという。すごいやる気。

仕事そっちのけでみんなでダーツに向かってしまっている。
僕らの目的は人生を美しく描くことだから、なにも仕事に時間を強制されることはない、
と思いつつも、
大切なお客様から頂いているお金で僕らの生活が成り立っていることも否定できないことから、
そのうち、マネージャに突っ込まれるんじゃないかと、少しだけ心配になる瞬間がある。

でもまあ、今のところ、まだ致命的な感じではない。

ところでなぜダーツブームが来ているのか。
というより、個人的にはなぜダーツブームが消えないのか、という感覚。


・社交の場としてリーズナブル
・スコアが自動で計算される(かなり重要)
・カードを作ればスコアが残る(ネットで見られる。)
・スポーツとして敷居が低い(多分、スポーツ)
・初期費用がいらない
・疲れないから長時間やれる
・酒をのまなくてもいられる(これでかい。アイスコーヒーかアイスミルクティーしか飲まない。)
・ボーリングや卓球よりムーディ(なぜか店の照明は暗め)

そんなとこか。
逆にいえば、こういう要件を満たしていればなんでもいいんだと思う。

多分、トランプでも、麻雀でも変わらない。
トランプバーとか、麻雀バーとか、少し工夫すればブレークしそうな気もする。

望むならあと少し体力を使いたい。

2008年6月19日木曜日

プログラムは物語

プログラムは空想を記述できる。
一昨日、4匹のfly(ハエ)の物語を作った。
正確には、4匹ではなく、4種類か。


ここはいつかの品川。
ハエたちは、4種類の宿命をもって、次から次へと生まれてきた。
あるハエは、数学を、
あるハエは、言葉を
あるハエは、現在を
あるハエは、過去と未来をつかさどった。

彼らは時折、行動を監視された。
一定間隔でスナップショットを取られていたのだ!

じゃじゃーん。


って、無理やり盛り上げた感じ。
要は、テストデータを作りたかったのです。
10万件でも1億件でも作ってほしくて。

ミヒャエルエンデならどんな物語を書いたんだろう。
やっぱ、果てしない、もものような、
この大宇宙を映し出した物語を書いたんだろうか。

ちょっと彼の書いたプログラムを見てみたかった。

あ、そうか。
考えてみたら、プログラムが物語なら、物語はプログラムだ。
コンバートできるということ。か?
どうなるんだろう。

なんとなく、読者が良きに量るべき部分、にコンパイルエラーが出てしまいそうでもあるけど・・・

2008年6月18日水曜日

品川から東京は12分

新幹線といえば、品川から乗れるもの、と理解していた。
出発の10分前に到着できるよう、プリンスホテルで悠長に昼食をとった後、駅に向かった。

駅前の交差点で信号待ちしている時、重大な過ちを犯していることに気づいた。
そういえば東北新幹線は品川からは出ていなかった。

まずい!と思った。ひさびさに本気でまずいと。

駆け足で山手線に乗り込んだ。
品川から東京は意外とあった。

品川→田町→浜松町→東京

くらいかと思っていたが、新橋と有楽町があった。
びっくりした。
あんのかよ、と突っ込みかかった。
12分もかかると書いてあった。
その通りにつくと、出発時刻を越えてしまう。

だめだな、、

と諦めかけた。
でも、乗り遅れたことが決定したわけではなかった。
多くのことを想像した。
余震で新幹線の出発が遅れるんじゃないか、とか
営業の人たちも遅れちゃうんじゃないか、とか
この電車、頑張って早くつくんじゃないか、とか

右手には少しだけ飲んだアイスコーヒーをもっていた。
東京駅に着く直前、おもむろにストローでのみだし、飲み干した。
電車の扉が開いた時、時計の針は、新幹線の出発時刻をさしていた。

階段を駆け下り、人ごみを駆け抜けた。
ホームに着いたのはおよそ一分後。
どこにも目当ての新幹線はいなかった。

やっちまった・・・

改札のねえさんに聞いてみると、
・次のはやては1時間後
・全席指定で指定席を買いなおさなければ座れない
・指定席は5450円する
とのことだった。

うーん・・。

途方にくれた。
おそらく時間通りに乗ったであろう事業部長に電話をした。


彼は微塵も怒らなかった。
客とのアポもあるのに、微塵も嘆かなかった。
次の行動を適切に真摯にアドバイスしてくれた。

すごいと思った。
彼は本当に賢く、
その賢さを正しい方向で発揮し続けているんだが、
その瞬間もまた賢かった。

1時間遅れて、新幹線に乗った。
立ち乗り覚悟だったが、車掌さんは空いている席を案内してくれた。

ラッキーだった。


ちなみに、出発前
「余震に気をつけてくださいね」
とか言われて、
「大丈夫、全部よけてきます。」
とか言ったものの、盛岡はまるで地震の影響はなかったようだ。

「岩手といっても、岩手は東京、千葉、埼玉、神奈川分の面積があるんだよ?神奈川の南で起きたことを埼玉の人が気に留めないのと同じだよ。」

と言っていた。なるほど。
内心びびる必要はまったくなかった。

2008年6月8日日曜日

それでも「現代は人類史上もっとも平和な時代」

ニューズウィークの「アメリカ後の世界をよむ」の一説によると、そういうことらしい。
ここでいう平和とは、組織的な暴力による死者数が少ない、ということ。
テロや戦争の犠牲者が1950年以降で最低レベルにあるようだ。

ではそれ以前がどうだったかというと、感覚、調べるまでもないように感じる。
アウシュビッツとか、xx大虐殺とか、都市部への原爆投下とかやっていたのである。
もう少し遡ると、人食いや首刈りが世界のいたるところで行われていた事実が残っている。

首刈りなんてなんて野蛮な!

と思うだろうけど、世界最大の首刈り族は日本人である、という情報もある。
武士の時代は、刈ってきた頭の数で給料が決まったらしい。

なんと。

それはさておき、現代に生きる僕らは本当に平和を実感できているだろうか。
多分、否。
世の中、ひどいニュースが多い。
ニュース番組は好きだけど、考え込んでしまいそうでたまらず消したくなる。
ホームに突き落とされたり、通り魔に刺されたり、刻まれて捨てられたり。

そんな中、個人的にずっと感じていること。
決して現代は物騒になってはいない、ということ。
コメンテータの加える「物騒な世の中になりましたね・・・」は少しずれていると感じている。

その理由。

1.人口増加で事件が単純比例で増加しているだけ

もしそうなら、物騒さは変わらない。
おそらく、凄惨な事件は以前からずっとあったはずだ。
『ヘンゼルとグレーテル』や『姥捨て山』や「畜生腹」の話なんかを聞くと、
「事件」ではない「慣わし」ですら、現代社会で保障された人権を大きく侵害してしまっている。もちろん、慣例風習と、予期できない八つ当たり的な殺人事件は性質が違う。
仮に慣例風習を除いた「事件」の発生率がどの時代も一定だったとする。人口が爆発的に増加している現代は、必然的に事件の数も増加することになる。つまり、事件の単純な増加は「物騒になっている」という根拠にはならない。日本社会における事件発生頻度は上がるかもしれないが、一個人でいうと、むしろ下がっているんじゃないかと感じる。実際数値の根拠もあるようだが、ここで言っているのは感覚。


2.情報網が劇的に発達している

それから、情報網がシナプスのごとく行き渡り、どこか遠くで発生した事件がこと細かく伝えられる。以前なら、近所で起きた事件もここまで詳しくは知りえなかったと思う。結果ぼくらは、本来以上に身近な、いつ自分の身に起こってもおかしくない事件と錯覚してしまう。
直感のズレはここでもいつか紹介した。情報量のバランスがずれていれば、導き出される結果も当然ずれる。

その報道の詳細さについては賛否両論ある。が、事実を伝えることは、ある程度重要だと考える。苦しみは、次の事件発生の抑止力なる。と思ってる。


ところで今回の事件、犯人の感じる思いは、置かれた状況を考えると、結果こうするかは別問題として、よくわかる気がする。
少し前まで、エンジニアとしていくつもの現場を回ってきた。扱われ方はまちまちで、表現方法は別として彼の気持ちは分からなくもない。
一方、被害者に視点を移せば、言葉がみつからない。
仮に犯人を社会が作り出したと考えるなら、その傷は僕ら一人一人が均等に受けなければならなかった。

多分、事故は必然だったんだろう。
僕らの競争が前提の社会は、今回のような犯罪を生み出す仕組みになっているんだと思う。
グローバルなうねりの中、気づかない人もいれば、気づかぬ振りをする人もいる。

本当に難しい問題だ。



それでも一つ。
話を元に戻すなら、「現代は人類史上もっとも平和な時代」らしい。

目に見えるものを見、その中でやれる限り、真摯に尽くす、
できるのはこれくらい、なのかもしれない。

なんとも答えは出しにくい。

宇宙はまったいらではない

欲求は雑多だ。
与えたいという欲求と、与えられたいという欲求と。
よくよく考えてみると、与えるものと与えられるものの量はいつでも同じなのかもしれない。

宇宙はまったいらではない。
スーパーボールを地面につけば、何回かはねた後、予期しない方向に行くのはごく普通のことだ。
そこにあった小石を咎めることはできない。

情報は重要だ。
小石を知らずには結論は出せない。

たとえば、コンビニの強盗を捕まえた店員はヒーローではない、と思ってる。
たとえば、電車で、携帯電話で喋っている人に勢いよく背中からとび蹴りする人もヒーローではないと思ってる。

強盗がなぜ強盗になるのか。
店員はなぜ強盗を捕まえるのか。
あれだけ駄目だと車内放送しているのに人はなぜ携帯電話で話すのか。
人はなぜとび蹴りまでくらわすのか。
そもそもなぜ駄目だと車内放送するのか。

うちの近所には、時代錯誤な、スクールウォーズのころのまま、みたいな地域がある。
246を猛烈なバイク音で突っ走っている彼らは、そのへん出身の子供であると聞いたことがある。
虚勢は虚勢に過ぎない。
が、難しい。

誰がよくて、誰が悪いのか。
なぜ同じ人間という種族なのにここまで両極端なのか。
本当に難しい問題だ。


今踏み出した一歩にどんな意味があるのか、
今言った一言にどんな意味があるのか、
なかなか人間には分からない。

ひとつだけいえるとしたら、その計算スピードは、人間の脳よりコンピュータの方が圧倒的に早い、ということ。

どいうことか。
より、人の一歩、一言が正確になっていくということだ。

僕らは宇宙がどう平らでないのかを、今後ますますコンピュータというメガネを使ってみることになる。
少しずつ、哲学も科学もテクノロジーも道徳も宗教も政治も、少しずつ集約されていく方向になるんじゃないかと近年強く感じている。
近年、といっても、近年以前にはあまり多くを考えなかった。
だから、ここでいう近年は、「30歳あたりからの数年」ということになるのかもしれない。つまり、現代も江戸時代も、縄文時代も関係なく、この年頃の男子なら考えることなのかもしれない。

ところで、正確になったその一歩はどこに向かっているのか。
ぼくらはなぜ進化するのか。
みんな知ってるかな?
俺、この前、垣間見たんだ。それを。


えー、ではまた。
よい午後のひと時を!

2008年6月3日火曜日

9時当番

この会社には8時当番、9時当番という当番がある。

8時当番はたくさんやることがある。
とあるシステムを全国展開しているが、それらがちゃんと稼働しているか何箇所もチェックする。
そして、それなりの頻度で障害が発生していることに気づく。
朝から大忙し、らしい。
らしい。
俺は転職して半年程度だし、製品全般についてはまったく無知なので
仮に8時当番になってもまったく役に立たない。

それから9時当番というのがある。
何をするかというと、9時に来て通常業務をする。
電話が鳴ったら電話に出る。
なんのことはない。
ここの人は9時に出社しない。
だから9時当番という当番がある。

先日、いつもどおり10時半に出社すると、お叱りのメールが飛んでいた。
TOが藤原で、CCが全員だった。

見せしめか!

と思った。
よく当番表を見てみるとその一週間は俺が9時当番だった。
もう火曜日で2日経過しており、残りは水木金の3日間だった。

しかしそんなお叱りメールほかに見たことがない。
つまり、そういう失態をするのは俺だけのようだ。やっぱ。
しかしみんなはよく忘れずに当番をこなしている。
と感心する。

でも、

当番とか俺に似合わない気がする。
なんか照れくさい。


それに多分、少し仕組みを考えれば大変らしい8時当番の作業はずっと楽になる。
作業の精度もぐっとあがる。
そのときは9時当番とかなくなってる。

難しい問題。
こうして少しずつ仕事はなくなっていく。

!!

少し見えた・・・今。
それについてはまた今度はなそう。

2008年6月1日日曜日

職場の隣の水族館

金曜日。職場の隣にある水族館へ行ってきました。
入ってみると、そこには俺の日常とはまるで違う世界が・・・。
水族館と俺のデスクは50mくらいしか離れていないのに。


ノコギリザメ、ならぬノコギリエイ。トンネルの下から。なぜエイかというと、エイはヒレよりも下にエラの切れ目があるんだと。サメが側面にあるのに対し。


これはエイ。小型です。このサイズなら海で見たことあるけど、あん時はそうとうビビッたな。


これはマンボウ。ほとんどずっとそのまま・・・。そういえば、沖縄のすし屋でマンボウのにぎりを食った・・。たしかうまかった。


蟹の背中に定住する魚。蟹がありったけのモーション(遅い)で動いてみても、魚はふわっと元の位置に。。。


馬になるアザラシ。こんなコントを俺のデスクから50mくらいの場所で毎日やっていたとは・・・


イルカのショー。会場が広くて驚きました。

いやー、貴重な経験でした。今度は昼休みにでもメリーゴーランドに乗りにいこうかと。