2009年3月28日土曜日

XStreamで文字コードを指定する

XStreamは、XMLの最初でencoding="UTF-8"を指定してもその様に解釈してくれない。文字コードはデフォルト、OSの文字コードとなる。指定したければ以下のようにする。

1. 永続化する


public void save(Object obj, String path) throws IOException {
BufferedWriter bw = null;
try {
bw = new BufferedWriter(
new OutputStreamWriter(
new FileOutputStream(path), "文字コード"));
XStream xstream = new XStream(new DomDriver());
xstream.toXML(obj, bw);
} finally {
if (bw != null) {
bw.close();
}
}
}


2. 復元する


public Object open(String path) throws IOException {
Object obj = null;
BufferedReader in = null;

try {
in = new BufferedReader(
new InputStreamReader(
new FileInputStream(path),"文字コード"));
XStream xstream = new XStream(new DomDriver());
obj = xstream.fromXML(in);
} finally {
if (in != null) {
in.close();
}
}
return obj;
}

2009年3月15日日曜日

避けられない闘争本能

賛美は、平均を抜きん出てるからこそ生まれる。激賞すれば、その反対が当然いることになる。僕らはヒーローやスターを羨望するが、その感情そのものがその反対、ヒールや落ちこぼれを作り出すことになる。だからといって、その感情が悪いとはいえないし、ビッグバン以降模索を続けているこの宇宙における自然の摂理のようにも感じる。

一般相対性理論は、宇宙定数という根拠に乏しい謎めいた定数を補完したが、超ひも理論をもってしても同様の帳尻合わせの定数が生じてきそうであることが、最近の研究により分かってきているらしい。ならば、その定数こそが、この僕らの宇宙の象徴といえるんじゃなかろうか。

そして、いうなら、僕らの本能もその定数に左右されている気がする。

どうにも明日朝のWBCキューバ戦が見たい。それは丁度、世界中の子供たちがポケモンバトルに熱中するのと同じ。それは丁度、世界中の若者が恋愛するのと同じ。

出来レースや仕込まれたドラマを見るのとは違う。せめぎ合う緊迫感、その中の演技ではない本気こそが大好きなドキュメンタリー。

多分、こういう瞬間に宇宙の進む方向を垣間見るんだと感じる。だから、人はそれに熱中するんだと感じる。

そろそろ寝なきゃいかんかなと思っています。

2009年3月10日火曜日

政治はアナログすぎる

今の政治、経済はアナログだからどんなこともできてしまう。そもそもやっちゃいけないことができてしまう仕組みが問題で、できない仕組みにすることもテクノロジーの応用などで可能と感じる。
現状あまりにアナログなので「知らない」「記憶にない」とかいう人間じみた言い訳もついつい言いたくなってしまうんだろう。

合法な献金のみ受け入れる、という仕組みにすることも十分できる。俺ですらいくつものやり方が思いつくが、それが何一つ実現されていないのは実現されては困る政治家がたくさんいるからなんじゃないだろうか。


それにしても自民党の発言はいちいち胡散臭い。いちいち言うべきことをなにかのフィルタにより歪めている。西松建設の件に関しても、彼らは、率直に小沢一郎を攻めることができない。なぜなら、自民党内に同様の人間が多数いるからである。さらに西松建設からの献金の総額は自民党の方が多い。すると自らを守るために黙る。都合のよいことだけを言う。自民党はそういうことだらけである。

多くの癒着を抱えている彼らの口からはほとんど率直な言葉は出てこない。

時折、ついて出る率直な言葉は失言だったりする。自民党は旧時代の人ばかりなので、時代の空気を読めない。なぜ空気を読めないか。単純に「老人とはそういうものである」という片付け方もあるだろうが、情報量の不足が指摘できるんじゃないかと推測される。旧時代の人は現代のようにインターネットもなく、明らかに情報の少ない環境で育ち、人格形成している。当然、情報が少なければ普遍的な正義は導き出せない。よって人格も少しずつ曲がる。そういうもんだ。

安部、福田と中途半端な総理が続いた後の切り札が、口の曲がった現総理である。誰だっけ。忘れた。日本は本当によくない。

こんな腐れ政治を作り出しているのは、ほかでもない僕らである。そういう自覚が国民全体に希薄な気がする。政治は日本人のまさに象徴である。

無関心でも、適当にほどよくものごとが動いていた時代はもう終わっている。気づく必要があると思うんだ。

2009年3月9日月曜日

宇宙は何個あるんだろう

とふと考えてしまう瞬間があるんだけど、先日同僚にその解を求めたところ、

「え?4つですよ。」

と迷わず答えがかえってきた。

「え?4つなの?」

と聞くと、

「ええ、4つです。」

と断定してくる。

「その4つって?」

「アルファ宇宙域と、○□※宇宙域と、×■△宇宙域と、xxx宇宙域です。」
(忘れた・・・)

知らないんですか?と言わんばかりに次々答えてくる。
どうやら科学ではなく、ドラマの中の話らしい。スタートレックという。
なんだ・・と思ってはいけない。

ついでに彼に

「月は何のためにあると思う?」

とたずねたところ、

「え?月がなかったら、潮の満ち引きもなく、今人類はここにいないんじゃないですか?
何のため?と問うなら、私たちが生きるため、です。」

とこれまた瞬時に答えがかえってきた。
すごいよね。俺なら間違いなく回答に困る。
しかし、これもなんかのドラマの中の話なんだろうか。

ちなみに彼の答えた「4つの宇宙」はちょっと俺の質問の答えとしては不適切であることが、たった今スタートレックを調べて分かった。
どうやらスタートレックに登場するアルファ宇宙域、、、とかやらは、銀河系を4つに分けた区域の呼び名に過ぎないようだ。
銀河系なんてこの宇宙に万とあるし、ぜんぜん答えになってない。

俺が聞きたいのは、ビッグバンを始まりとするこの宇宙が一体何個あるのか?ということ。
ほんとに僕らのいる、137億歳と言われているこの宇宙だけが、この世に存在するものなのかと。
この世ってなんだ?というのもあるけど。

そんな折、今月号のニュートンがいいかもしれないとう情報を入手した。
早速本屋で購入した。メインのタイトルではないが、たしかに

「宇宙はただ一つ?無数に存在!?物理学が予言する驚愕のパラレル宇宙」

と書いてある。
#ちなみにその下は「カメの甲羅はいつできた?」だ。守備範囲が広い。

どうやら、近年、専門家の中に、宇宙をユニバースではなく、マルチバースと表現する人が現れてきていると。
ユニバースではなく。なるほど・・・、ユニバースには、単一(uni)のという意味が込められていたんだ。
ひとえにマルチバースといっても、多くのマルチバースモデルがあり、実際どれが正しいかは分からない。
結局、僕らが認識できるのは光が到達している範囲でしかないので、いくら論じようと、宇宙の外のことについて実証することはできないんだとか。

んなことねーよな、

だって、別の宇宙が近づいてきたら逆に「宇宙の外」から光がやってくるわけだ。
今だって、宇宙外の光はこの宇宙に到達しているかもしれない。
どっかの星に見える光が銀河であることもあるなら、どっかに星に見える宇宙があるかもしれない。

なんなら俺もひとつ、マルチバースのモデルを書いてみよう。

精神世界と物理世界の境目を情報世界が埋めつくすというモデルだ。
情報の中に精神と物質が浮かんでいて、隣の情報世界が接していないところを1つの宇宙と考える。

いや、なんか無理があったかな。
考えれば考えるほど眠くなってきたので、そろそろ寝ようかと思います。

では、次は「僕らが宇宙のかけらからできている」という真実について書きます。

ではまた。

2009年3月3日火曜日

政治は遅れてる

今の政治は時代の変動についてゆけない。
やれ自民、やれ民主だとかいうけれど、問題はそんなことではない。
これはインターネットの普及で劇的に変化し始めているこの社会に、
今の政治システムはもう古い。

どう考えても、仕組みそのものに問題があるように感じてならない。

とはいえ、自民党はやや古い時代の欲求を溜め込んだ組織にしか見えないので、
さっさと解散したほうがいい。
狭い世界で叫んだ正義は、正義にはならない。

こうして時の権力は崩落していったのか、と日々のニュースを見、感じる。
自民党に限らない。
どの時代でも起こってきたこと。

明治維新後、徳川のいちみは徳川の名を名乗らなくなったらしい。
多分、今の政権もそうなるように感じる。

それでもこの国には現政権を擁護する人がたくさんいる。
島国日本は、予想外に(予想通りに?)保守的である。
大声で改革を訴えながら世襲政治を辞めない小泉さんに何ができる。
あんだけ僕らの税金を一部に流れるようにしてきた今の政権に何ができる。
単に変わることを恐れている人が多い気がする。

ネットユーザは一層その傾向が強いらしい。
ヤフーニュースのコメントなどを見ていると、げんなりしてくることは否定できない。

 そういえば、開国してまだ150年くらいしか経ってなかったよな!

と一人頷いたりする。

どっかの雑誌に「どの国でも都会のエリートは国境のないグローバルな世界を愛する。」と書いてあった。
自分を都会のエリートだとは微塵も思わないが、「国境のないグローバルな世界」の方がよほど愉しそうである。是非そうなってほしい。

当然、その先にある皺寄せを食った不幸な現実も直視しなければならない。
これまで散々安く仕入れ、高く売ってきて盲目にはいられない。

それでも一線を引こうとする人がいる。自分を守るために。
島国日本には、意外とたくさんいる。

大事なのは僕らの自主性だと思う。
以前のように、権力が情報を一方的に発信する時代ではない。
受身ではいけない。
自発的に取りに行き、できる限りを見抜き、できる限り確かな一歩を踏まなければならない、
そして、そこに「まずは自分を守る」とかいった利己的なフィルターがあってはならない

そう感じる。