2006年6月29日木曜日

フーリガン

さっき「フーリガン」という映画を見てきた。渋谷のスペイン坂の坂上にあるちっさな映画館でだ。キャパが小さい上に客はまばらだった。
すぐ後ろの席に、わいわいがやがやおばさん4、5人の集団が座った。若者の喧嘩映画を見に来るとはどういうことなんだろうと疑問に思った。
上映が開始すると、なんとなく彼女たちの心持が分かってきた。とにかくよく笑うのだ。以前アメリカで映画を見たときアメリカ人のリアクションの良さに驚いたが、おばはんたちはちょうど同じようなリアクションをしている。しかも、うち一人はどうもすべての事柄が受けるようで、どんなシーンでもいちいち笑い転げた。俺も最初はそんなおばさんが可笑しく笑っていたんだが。あまりに度が過ぎるので

そこは違うだろ

いい加減、声を大にして突っ込んでやろうかと何度か思った。喧嘩に向かうシーンまでもケラケラ笑い転げられたら、たまったもんじゃない。



さて、話が進むにつれ、この映画がコメディーではないという自信が確信に変わっていった。喧嘩のシーンは実に爽快だった。くらった蹴りも放ったパンチもまるで自分が実際にその場でやっているかのような心地よさだった。
しかし、サッカーにかこつけ決闘を繰り返す彼らだったが、ストーリーはやがて意外な方向に展開していく。

これから見る人もいるかもしれないので、詳しくは書かない。ただ、GSEのリーダーはかっこいい。

映画館を出ると、いつでも喧嘩ができそうな気分になっていた。よくある格闘技を観戦した後に自分が強くなった気がする空想的なのとはまたどこか違った。どこか懐かしい気がした。よくよく考えてみると、壁の向こうに仕舞い込んだ随分前の自分を思い出していた。もちろん、徒党を組んでいる人たちが大嫌いだったので、あんな団体戦を繰り広げたことはないし、そんな殴り合いをしていたわけでもない。でも、好戦的という意味で魂は限りなくイコールだった。

そんなことを考えながらスペイン坂を下った。スクランブル交差点を渡り、ハチ公の前に差し掛かった時、かつてそこで絡まれた記憶が蘇った。もう10年ほど前になる。ヤンサーの俺とエーイチに、”ガンつけられている”と決め込んだ彼がしのしと歩み寄ってきてこういった。

「なに?喧嘩売ってんの?」

ヤンサーとはヤンキーサーファーのことらしい。彼が後にそう説明してくれた。 当時はチーマーやらギャングやらがまだ真っ盛りで週末のセンター街は普通に危険な香りがしたし、オヤジ狩りとかナイフ所持とか、そういうのをニュースとかではなく身近で実感できる時代だった。
僕らを仲間と判断したのかは知らないが、いくらかの会話の後、彼は名前を名乗り、饒舌に自分のおかれる立場を話し始めた。少年院への入退院を繰り返していることや、彼の名が警察やイラン人も含め渋谷で知れ渡っていること、暴力団のことなどなどなど。
たしか、

「俺は殺さなきゃいけないやつが3人いる」

そう言っていた。俺が笑うと

「笑い事じゃない、殺さなきゃ俺が殺される。」

彼はそう付け加えた。
最近ニュースになった生き埋め事件の主犯格の少年のようなカタギな風貌ではなかった。目を見れば何かまずいものに浸かっていたのは明らかだったし、次の瞬間何をしだすか分からない不気味さを漂わせていた。彼には渋谷の喧騒とはまた違う空気が流れていた。
俺がタバコをくわると、彼はすぐさまポケットからジッポを取り出し、火を差し出した。礼を言ってその火を頂くと、今度は彼がタバコをくわえた。彼はいかにも俺からの火を待っているような素振りを見せたが、悪いが俺はただ見過ごした。
彼は今どこでどんな暮らしをしているんだろう。

映画には様々なメッセージが込められていた。エンディングの音楽が流れ始めても、誰も席を立とうとしなかった。虚無感に襲われ動けなかったんだろうと思う。人は失うまでその有難さに気付かない。かといって、失うことを恐れていたら何も出来ない。人の欲望は儚く虚しい。

そういえば、最近はそこらへんの人によく道を尋ねられる。昔みたいに絡まれることはもうまったくない。

2006年6月23日金曜日

ナイトメア

そこにいる何者かの何かによって140歳の寿命を70歳に縮められた瞬間、恐怖のあまり覚めた。心臓がバクバクいい、汗がにじみ出ている。
でも、70歳ならまあいいか。まだ倍以上生きられるし。
直後、秋田で殺害された子、長男の放火で焼死した子、昨日川に流された子のことが脳裏をよぎった。詳しくは思い出せないが彼らを思うと心臓のバクバクがさらにひどくなった。
夢か現か区別がつかない状態が暫く続いた。
時計を見ると5時半だった。4時にかけたはずの目覚ましは二個ともとまっていた。
窓の外は薄明るい。慌てて、ビデオ、アンプ、プロジェクタの電源を入れた。プロジェクタの映像はウォームアップに時間がかかった。静けさの中、スピーカーから聞こえる音を頼りにチャンネルを探した。そしてすぐにそれと分かる実況音が聞こえてきた。
「日本、先取点を取りましたが、前半終了間際に追いつかれ、現在は1−3!!後半もあと残すところ・・・」
寝ぼけまなこのまま、すべての電源をすぐさま切った。
そして、また眠りに落ちた。
結局、ブラジル戦は1−4でもう一人のS君の勝ちだった。なんでもそのS君は他でも1−4ブラジル勝利を賭けていたらしい。

2006年6月22日木曜日

サッカー賭博は楽しい

競馬とかはやらないのだけど、身近なもので賭けっこするのは嫌いじゃない。
今回は同僚3人でブラジル戦の賭けを行なった。オーストラリア、クロアチアと外している分、今回当たればかなりの金額になる。
S君
3−1 日本勝利
0−1 ブラジル勝利
0−3 ブラジル勝利

もう一人のS君
0−3 ブラジル勝利
1−3 ブラジル勝利
1−4 ブラジル勝利

F君
2−0 日本勝利
1−1 引き分け
1−2 ブラジル勝利

F君はまあ俺なんだが、一番、日本びいきな不利な賭けをしているね。そして、もう一人のS君 はだいぶクソ真面目に当てにきてるね。
持って行かれてたまるかよ。
頑張れ遠藤。
日本の二点目は遠藤のミドルシュートと予想しています。

では決戦に備え寝る。

2006年6月21日水曜日

いきつけの店

昨夜はいきつけの店に行った。
都会の喧騒は仕事帰りの俺を孤独にさせる。
声を出し、いつものやつをマスターに注文する。
店内はビブラートに揺らめく演歌が少しだけ控えめに流れている。 哀愁だ。
いつものやつが出てくるまでカウンターの隅に座り、しばし曲に聞き入った。

「原宿 表参道 揺れて青山通り〜♪」

ふむふむ。ここ渋谷だしな。
一瞬納得してしまったが、冷静に考え直した。

「原宿 表参道 揺れて(濡れて?)青山通り〜♪」

繰り返されることn回。
地名をサビにし、熱唱するとは演歌道恐るべし。
でも、ビートルズのアルバムに俺の大好きなアビーロードってのがあるしな。あれを日本に置き換えると青山通りみたいになるのかもしれない。いや、abbeyが修道院という意味であることを踏まえると、雰囲気的には青山通りより骨董通りの方が近いか。もしもIF、仮によしんば海援隊が骨董通りというアルバムを出していたら世界を席巻する大ヒット作品となったんだろうか。
そうこうしている内に、マスターがカウンターの向こうでサインを送ってきた。待ってましたと取りに行く。そして紅生姜をたんまりトッピングして、ひとくち食す。

うーうまい。実にうまい。

漬物も吸い物もメインディッシュもなんとなく全体的にブラウンだ。うまいけりゃなんでもいいのだ。

これくらいにしとくかな。

富士そばのカツどん。450円(哀愁付き)。

2006年6月20日火曜日

アップロードできず

ここ数日、FTPでファイルアップロードができない状態が続いた。サーバー自体には接続できるのだが、肝心のコマンドが使用できないのだ。
バナー広告をトップページにしか掲載していないゆえ、ホームページの置き場であるsound.jpから締め出しをくらったのかとばかり思っていた。ここ2、3日見せしめのごとく、日記部分にでかでかとバナーがでていたし。
仕方なしや、先ほど自宅サーバーにでもするかとクロバコを注文してみた。これを自宅に設置し、http://kota.ccの指し先を我が家のクロバコにすればsound.jpの世話にならずホームページを公開できるようになるのだ。
自分のディスクそのものを公開することになるので、よくある「数十メガバイトまで」などという制限はなくなるし、維持・管理を自分がするわけだから、誰かに使用料を払うこともなければ、うざったい広告が出てくることもなくなるのだ。
ただインターネットからの攻撃に対する策を考えねばならのはめんどくさい。

と、ここまで考えてみたもののFTPができない原因をちょっと真剣に調べてみると、Windowsファイアウォールの設定に問題があることが判った。なんだよな。先日無意識のうちにFTPをブロックする設定に変更していたらしい。
クロバコの注文はもはや取り消せないよ。
ひとまず送られてきたらファイルサーバーとして暫し使用することにしよう。松生さんのディスクを借り続けるのもなんだしな。
ということで、どなたか環境が構築されたら領域貸します。

2006年6月17日土曜日

ワールドカップは戦争以下

最近、海に潜らずにはどうもいられない気分で一杯になってる。今さっきも耳抜きの練習を台所でしていたところだ。それに近々こんなカヤックでも買おうかと思ってる。三浦半島あたり、探してみればちょっとしたシーカヤックポイントもありそうだ。ブルジョワなクルーザーよりよほど自分の五感、体力、運動能力をフル活用できて楽しいのではないだろうか。そして、絶好のポイントまで行ったら海に潜るんだ。

ということで、神奈川+素潜りでググってみた。

結果

上位は死亡事故のニュースばかりだ。

くわばらくわばら

そして気がつけば「マイヨールはなぜ死んだ」を読みふけっていた。

このおじさんの仕事はなかなか興味深い。さらにけっこうな文才なのである。


(以下ここから借用) どうせ死ぬのならば、一緒に死んだほうが良い。敵機が爆弾を落としても、直撃でなければ人間は死なない。
  その頃のことは、ほんの数ヶ月の出来事も、数年の間の出来事のように記憶している。その日一日を生き延びることが大変だから、記憶が濃縮されているのだ。
その頃の子供は、米国の戦闘機の形と名前を知っていた。あれは、グラマンだ、とかあれはコルセアーだとか、言い当てることができた。日本側の戦闘機は、雷電と飛燕が防空に活躍していた。月光は夜間戦闘機だったから、昼間は飛ばない。圧倒的に米国の飛行機が多く、日本側はあんまり飛ばさなかった。本土決戦にそなえて飛行機を温存しようとしているのだと大人たちが話していた。たまに飛ぶと日本の戦闘機は結構強かった。空中戦で、雷電がコルセアーを落としたところを見たことがある。飛燕が落とされるところも見たこともある。そんな光景は軍国の子どもたちにとっては、今のワールドカップよりも血を躍らせるものだった。子供に「大きくなったら何になるの。」と訊ねる。子供の側の選択は、陸軍か海軍、そしてあこがれの飛行兵、予科練、その三つしかない。
(ここまで。)


なるほど。読みながらにして自分も血が踊ってしまった。やはり戦争と比べるとワールドカップなんてつくづくなんでもない。勝っても負けても世の中何も変わらないもの。敗退した国はそんな出来事忘れ去ってしまうだろうし、勝った国だけがぽわーんとアホみたいに余韻に浸っているのだ。

そもそもワールドカップなんて日本人にとってなんてことはない大会だったのに、ドーハの悲劇以前は大会が存在していることすら知らなかったのに、ひょっとしたらあれ以前は一部の人が捏造した歴史でそもそも大会すらなかったかもしれないのに、今のこの盛り上がりようはすごい。

そう、つまり、今のこの盛り上がりそのもののが、無から作り上げた奇跡のストーリーの一場面なんだ。

とか思ってみるとなんとなく素敵だし、みんなも俺もここは一つ頑張ってみないかという気にさせられる。そして今夜のクロアチアとの勝負に俺は

2−1日本勝利に4000円

を賭けた。当たれば12000円になる。あほな日本男子3人は分の悪い日本勝利にそれぞれ、1−0、2−1、3−2のスコアで賭けたのだ。前回のオーストラリア戦に凝りもせず。

ということで、そろそろいざ出陣かな。

いや、番組表見たら明日だった。

2006年6月16日金曜日

オレオレからの電話

アマゾンでとある本を探していたら、新品で700円するところ、1円で中古販売していた。送料が350円くらいするので大した割安感はないが、そんな商売してて儲かるのかと心配になってしまう。

そういえば先月こんなことがあった。

平日の20時を過ぎたころだったろうか。不意に父親から「今日は何時に帰ってくるの?」と携帯にメールが来たのだ。

はて。

父からのメールなんて、ずっと以前にたった一回試しに送ってもらった時以来だったし、そもそもその日実家に帰る予定などまったくなかったのだ。 すぐさま実家に電話をすると、母が

「あんた何時に帰ってくるの?ご飯は作っておいたけどあまり遅いと寝ちゃうからね。相談ってなんなのよ?」

あ?なのこと?

記憶力に自信がないだけに、必死に思い返してみた。しかし、何を言ってるのかさっぱり分からない。すると母が、

「あんた何とぼけてるの?昼に電話してきたでしょう!相談があるって言ってたじゃない。何なんのか聞いたら、うちに帰ったら話すよ・・・と元気なさそうに言ってたじゃない!」

という。

はあ?

ますます分からない。俺は仕事しすぎで頭が可笑しくなってしまったんだろうかと考えた。夢遊病の気も断じてない、とは言い切れないし。なにがどうなったんだろう、ひどく困惑した。しかし、昼はみんなと食事してたぜ俺。。あ・・・!

「ちょっとまってよ、それオレオレ詐欺じゃないの?そいつなんて名乗ってた?」

「俺だけど・・って言ってたわよ。」



「でも、お金振り込めとは言ってないわよ。あんたの声そっくりだったし。ちょうどそんな風に声が響いてたわよ(俺は声の響く階段で話していた。)。すごい落ち込んだ感じだったから、あれはほんとよ。間違えてうちに書けちゃったのかしら。」

「あほだな(笑)!それ向こうの手口だよ。」

だがしかし母の話を聞けば聞くほど、その相手との数分のやりとりがえらく普通に成立していて驚くばかりなのだ。結果として、母は俺をひどく心配し、晩飯を作り、布団まで敷いて俺の帰りを待つことになったのだ。
でもどうしてそいつは金を振り込めと言わなかったのだろうか。電話を終えた後、そこが引っ掛かりしばらく考えた。

つづく。


つづき。 すっかりその気になってる母に対し、なぜ彼は決まり文句の台詞を言わなかったのか。母との会話中に、なにか警戒心を抱かせる、振り込め詐欺を断念せざるを得ない要素でもあったのだろうか。

いやちょっとまてよ

ひょっとして二段作戦ではないか?一度目の電話で不安に陥れておいて、その後、警察かなんかの振りして再度電話して振り込ませようという手口では?ああそうだ。帰宅すると言いながら夜半になっても帰宅しない俺を案じさせ、何か事件でも起きた風な感を匂わせておき、そこにとどめの電話をする計画に違いない。
これはまずい。俺はすぐさま実家に電話をした。そして、暫くは俺は携帯にしか電話しないので、イエデンに掛かってくる俺は俺と思わないよう伝えた。まあ母は相変わらず普通に成り立った会話を大笑いしながら切々と俺に話していたが。

一晩開けて。

どうやらその後電話は掛かってこなかったらしい。
実はこういうことだったらしい。彼らは二回目の電話を銀行の振込み業務終了時間の直前にしたようなのだ。時間ギリギリを狙い、今すぐ振り込まないと大問題になると迫真の演技で忠告するのだそうだ。
んだがその時間はあいにく母は家におらず、誰も電話に出ることはなかった。残念ながら。
というオチらしい。 彼らは手当たり次第電話をしていて、少しでも分がないと判断すると一方的に向こうから電話を切るようなのだ。知人のうちには何度も、それぞれ違うストーリーを用意して掛けてきたという。
まあ、その演技力を生かして、オレオレ詐欺集団で劇団でも作ったらどうなんだろうかと、きっとモデル上がりの俳優よりはよほどナチュラルな演技をするのではと思ってしまわなくもないがいかがでしょう。そういえば、ちょうど彼ら、車で移動してるというなら、昔いた自転車の紙芝居のおじさんのごとく、町の人を相手に地道な活動でもすれば人情味溢れる素晴らしい話にもなりそうなんだが。

うむ、惜しい。紙一重よの。

長くなりました。ということでこれを読んだ方は気をつけてください。
ではまた。

2006年6月15日木曜日

A Day In The Life

アマゾンで本を買おうとしたら、俺のショッピングカートに余計な本が入っていた。だれだこんなのを入れたのは。なんのホラーだよ。意味分からん。

それはさておき、お気に入りのメロウなAirのアルバムを購入した。タイトルはA Day In The Lifeだ。

A Day In The Lifeといえば、ビートルズの代表的な曲のタイトルで、俺のもっとも愛する曲の一つだ。文字通り人生のとある一日を歌った歌だが、何気ない出来事をさり気なくドラマチックに仕立ててしまうあたり、俺の曲も多分に影響を受けていることを否定はできない。

実はとある曲(未公開)は思い切りそれがインスパイアーされていたりする。

目の前の本にこんなくだりがある。

ギリシャ神話によると、かつて、オリンポス山に住む神々が会議を開き、幸せの秘訣をどこに隠せば、人間がそれを見つけたときに最も感謝するかを話し合ったという。「高い山の上がいい」「地中深くに隠そう」「深い海のそこに隠すべきだ」など、さまざまな意見が出た。そのあとで、ある神が「人間の心の奥深くに隠すのが一番いい」と提案した。 ・・・ 『自分を磨く方法』より


なるほど。面白い表現をする人がいるもんだ。

ということで、俺は俺でしばしA Day In The Lifeが到着するのを心待ちにしてみることにする。

もし、そんな風に俺の曲を思ってくれる人がいたら最高だよなあと思いつつ。

2006年6月14日水曜日

丘の向こう

そういえば昨日の帰り、電車を乗り換えようとしたら、リュックの紐が扉に挟まってることに気付き、非常にあせった。
両膝ついて、扉の下の方に挟まったリュックの紐を力いっぱい引っ張ったんだけど、抜けなくて。
あちゃぱー 仕方なく、急行に乗ったまま我が百合ヶ丘駅を通過した。
ついでにと、シンユリからバスで帰った。
やっぱりえらい遠回りするバスだった。


丘の頂上でバスを降りました。
向こうに東京の夜景が見えました。
やっぱりこの丘はたまんないと思いました。

2006年6月13日火曜日

WBCの余韻に浸ってる場合

昨晩の敗戦は妥当な敗戦だった。
運は自然の摂理であり、万人に平等だ。
あれほどブラジルと対戦しているがごとく攻められ続け、勝っていたら逆に怖い。
そもそも豪州の彼らは、日本の彼らと違って海外のリーグでレギュラーとして活躍している。現実を言ってしまえば、いわばレギュラー対補欠のようなものであり、個人的にはどうにも日本に歩があるとは思えなかった。
こと、WBCで日本は運を使いすぎた感がある。日本は確かに優勝したが、勝敗自体は3勝3敗だった。年初の冬季オリンピックの獲得メダル数がたった一個だったことで運気を高めた感はあったが、WBCの優勝はそれをもってしても出来すぎに思えた。たまたま誰かの決めたルールに日本の勝敗がはまっただけ、ひねくれた言い方をすればそれだけのことだった。日本の野球が本当にすごいのであれば、松井秀樹もメジャーリーグで本塁打王争いをしていよう。助っ人と言われるアメリカで無名な選手が日本のプロ野球で4番バッターを任されることもなかろう。
もちろん広島にいたソリアーノのような例外もいる。

まあ。とはいえ、ラグビーで豪州とやっていたら、史上最高得点差の150点差くらいつけられて負けてもおかしくないんだから、まだ1−3なんてハナクソみたいなもんさ。スポーツ新聞は6分で3失点とか騒いでいるけど、ラグビーならペナルティーキックで3点じゃないか。ドロップゴールでも3点。トライなら5点、コンバージョンなら2点だ。そう、ワントライワンゴールで7点だ。
まあ。
結論。 今年はWBCの余韻に浸ってる場合だと思う。
これでどうでしょう。

2006年6月12日月曜日

気合入れ直し

今のところ、やる気のエンジンがまったく掛からない。
ギアを一速に入れる以前にキーが回らずエンジンが掛からない。
いや、それ以前にキーが見当たらない。
ああ旅だな。
日本アルプスか四国か知床半島か美瑛か屋久島。

まずはキーを捜すか。

2006年6月2日金曜日

バス

夕方、渋谷行きのバスに乗ってる。

しかし、向かってる方向が渋谷じゃない。

昔、バスに乗るといえばちょっとしたイベントだった

そして、今、俺はすごく眠いが、

最後部の座席に

めっちゃ眠い

体が重い。おやすみベイビ。

Fn+F4