2007年1月28日日曜日

風の街

この町は風が通り抜ける。冬は確かに寒い。

帰り道、少し東京よりの急な坂道を登ってみることにした。

この町に住み、3年以上経っているのにまだ知らない道が多い。

階段が多く、よく入り組んでいて、俺の心を掴んで離さない。

 

ゆーりがおかーゆりがおかー

百合の花詠む風の丘

ゆーりがおかーゆりがおかー

遠い記憶は風の唄

 

丘の駅を下車するとふと流れてしまうメロディー。

よな抜き音階のセレナーデ。

きっと誰も知らない風の歌。

尾根沿いの一本道を歩くとふと流れてしまうメロディー。

きっと誰も知らない風の歌。

きっと誰も知らない風の町。

 


お気に入りのみかん畑の付近からの夜景。曇っているせいもあり、はっきり写っていないが地平線に東京が浮かぶ。


急な坂から見下ろすと、湯煙でも上がっているんじゃないかと思えてくる。


家の隙間からの眺望もとくに好きだ。「嫌いじゃない」というフレーズを多用する傾向にあるが、この町の景色に関しては素直に「好きだ」といえる。


尾根の一本道。この先のカーブにも見晴らしのいい景色が広がる。


ゆめ工房。知らん。なんだかは。


駐車場の眺めもよい。


尾根からのマンションの入り口は、きっと5階とか6階とかだったりするんだろう。


我が家を見下ろすスポット。クリックで拡大。俺の選ぶ百合ヶ丘十景のひとつ。

また天候のよいときにでも、十景をすぱっと捕まえてきます。

2007年1月23日火曜日

時空を越える

そういえば年末仕事で作ったWebサイトが好評らしい。名刺を取りに渋谷へ戻った際、もうずっとずっとずっとずーーっと折の合わなかった彼が、発注元からの評価が非常に良かったことを自分のことのように喜び、語ってくれた。

照れ臭いのもあったし、ごく普通のことをしたまでだったし、好評の要因を分析するとそこに俺の手柄はない気がしたので、まあまあ、と受け止めていると、いや違うんだと、すべてを承知した上で君の名を出して褒めていたんだと、その場で聞かせたかったと、また発注を考えているようだと、ほんとに機嫌よくお客の賛辞を並べてくれた。

なんか嬉しかった。自分への評価ではなく、彼がそう言ってくれたことがだ。ずっと前から俺と彼との間にはほんとに深い深い溝があると、少なくとも俺は大いに感じていたし、彼も少なからず感じていただろうから。今回の仕事もよくない瞬間は何度も訪れたがぶちきれずにやってきてよかった。今はそう思える。

僕らの仕事は言ってみれば、建築で言うところの設計士と大工さんの両方をやるようなもんだ。自分で仕様を決め、最後まで自分で作ってしまう。いい加減、大工さん側の作業はしたくないと会社には訴えてるんだけど、技術的にやれなくないからということでなぜか最終的にはやる羽目になってしまう。スーツ着てJava書くのはどうかと思うけど、コアな部分になるとどうも自分の手が動いてしまう。

そのプロジェクトは、開発の道具やら環境やら指示も特になくすべて自由にやらせてもらえたんで、余計な制約がなくほんと仕事をした感じがしなかった。こんな風に楽しくやれるんだよね。ほんとは。

会社も妥当な値段で一括請負をしてくれれば、まあそれなりにお金を稼ぎ出せるんだろうよ。

でも人生、金を稼ぐのが目的ではないから。。いや、ここではこれ以上言及しないでおこう。

曲も料理もサイトもアプリケーションもドキュメントも、モノを作るという意味ではすべて同じ。加え、歌を歌うのも、水墨画を書くのも、雰囲気も存在感も、性格も、顔の表情も自分がアウトプットするものと考えればすべて同じ。

何もかもそれらは僕らの魂から産み出されるのだ。

そう、そこで見え隠れしているのは僕らのソウルであり、

時間や空間を超えることも、

それは実際、現実に可能なんだと気付く。

いや可能というより、僕らがそういう目を持ってみれば、

まさにこの現在でそれが起きていることに気付く。

丘の抜け道を猛スピードでかっ飛ばす危ない車は、いつかの僕だ。

この野郎あぶねーじゃねーか

と言ってやりたい。ああ、言ってやりたい。

2007年1月21日日曜日

賞味期限

賞味期限は気にしない。期限切れのものを食し、ごく稀に腹痛を起こすこともあったが、定かな記憶にあるのは大学1年の冬のことくらいだ。吐き出したものがほとんど緑色だったのが印象深く今でも忘られぬ。

そのときの食あたりの原因はモロヘイヤスープだ。賞味期限切れ直前で安く購入したのをすっかり忘れ、その一週間後くらいに飲んでしまったのだ。モロヘイヤスープのそもそもの味を知らず、というより当時はモロヘイヤの味すら知らず、そういものだと思い込みガブガブのんだわけだ。時期が悪く、学年末のウィルキンソン先生の英語のテストが受けられなくなってしまったのだ。そういえば、そのウィルキンソン先生の名前を桑田圭介がいつかの学園祭で叫んでいたのだ。

「ウィルキンソン先生げんきですかー!!」

って。親近感が沸いたことをふと思いだした。

BTW、異物を受け入れない体の仕組みってよくできている。きっとそのまま吸収してしまえばもっと悲惨なことになるんだろう。

なに言ってんだよ、だからゆえ僕らは生きているんだろ

って冷めたことを抜かす人もいるだろうが、僕らの思考の範囲外のところでそういった理に適ったメカニズムが全自動で働いていると思うと、なんとなく、

俺が頑張っているから、ゆえに俺ここにあり

というより、自然の摂理の上でふわふわと生かされているような気分になってくる。大好きな言葉、「自然の摂理」をどっかのカルト教団の名称でオーバーライドされると困るので、俺はあえて普通に使い続ける。

本題に戻るけど、不二家の問題は尼崎の列車脱線事故と同じに思えるのだ。自分を棚にあげて、他人を叩くのは好きじゃない。それに何度も主張していることだけど、賞味期限の日付に頼っていたら、本能が退化して大冒険に出られないので注意してほしい。

ほんとに。

いつか出るから準備しておいてね。

 

以下、ここ二日ほどはまってるサイトです。ご堪能を。みんなも簡単に書き込めるのでレッツトライ。

 

 

 

技術的に言うと、これってAjax(エイジャックス)なんですかね?ユーチューブ動画に文字を重ねてるだけなんだよね。きっと。

2007年1月20日土曜日

all one

僕は君であり、君は僕である

君の喜びは僕の喜び

君の悲しみは僕の悲しみ

 

僕は彼であり、彼は僕である

彼の喜びは僕の喜び

彼の悲しみは僕の悲しみ

 

僕は水であり、水は僕である

水の喜びは僕の喜び

水の悲しみは僕の悲しみ

 

僕は青年であり、少年はいつかの僕である

僕は少年であり、青年は未来の僕である

僕は人であり、森はいつかの僕である

僕は森であり、人は未来の僕である

 

君の心しかみえず、君の心に問いかける

僕は心をさらけ出し、僕の心を声にする

 

思いはやがてモノとなり、モノはやがて土となる

 

僕は君であり、君は僕である

君の喜びは僕の喜び

君の悲しみは僕の悲しみ

 

君の心は僕であり、僕の心は君である

2007年1月15日月曜日

玉砕

念のため申しておくけど、鳥肌実の口癖「玉と砕けよ」は玉砕のことである。玉砕という言葉は、以前兄に勧められ読んだ、水木しげるの「総員玉砕せよ! 」で知った。日本兵は最後の手段として玉砕するよう仕込まれていたのだ。映画「蟻の兵隊」でも中国人が証言していた。

「天皇陛下万歳!」

と叫び、銃弾の嵐の中を特攻してきたそうな。

「大東亜に眠る衛兵たちは諸君らにふしだらをさせるために平和の礎になったのではない。」

トリズムの申し子実くんの演説芸の中でもここが妙に心に残ってしまう。今、この瞬間が多くの犠牲の上にあるとすれば、くだらない不満は捨ててしまっていいんじゃないかと思えてくるのだ。

 



衝突

ちょっと古いニュース。

衝突する2つの銀河

そうだよなと。やがていつかは僕らの銀河もどっかの銀河と衝突をするわけだ。僕らの将来の姿が宇宙に映し出されているって付議じゃない?いや、過去の姿かもしれないけど。

うーん、なぞめき。

2007年1月7日日曜日

空は青

空は青。
地面はアスファルト色。
朝焼けの地平線は希望で輝き、
沈む夕日は今日の色。

2007年もただ導かれるまま突き進み、
どこに突き進んでいるかたまに分からなくなるけど、
それもまた俺のアイデンティティとして許してくれよと。

と、ここで一息アップルミルクティー。
やっぱフォションのアップルティーを牛乳で割るのはうまい。
うわ。これみてよ。
フォションパリ本店で人気ナンバー1のアップルティーだってよ。
なんか紅茶の味覚に自信がわいてきた。
ダージリンとアールグレイがどうにも苦手で
アップルティーかアプリコットのどっちかだと思っていながら、
毎度アップルティーを買っていたんだけど、
それでいいんじゃねーか俺。
やっぱ時代がついてきてるな俺に。
牛乳で割るのはどうかと云われるけど、試してみて欲しい。
と、さも俺流の飲み方のように書きながらこれは母のやり方でした。
気に入って10年くらい前からやっています。
これです。
みんなの町のカルディで1500円くらいで売ってます。
ケチってほかのアップルティーを買うとまずいので要注意。

とここで二杯目のアップルミルクティー。
うーん、うまい。

今年も話題には事欠かさないと思います。
お騒がせすることばかりと思いますが懲りずによろしくお願いいたします。

ちょっと待ってちょ

俺はどうしてこう年賀状を正しく期限内に出せないかな。しかし、年末もいろいろあり申し、悔しいけどまた遅れてしまったのだ。先日必死こいて出したのでちょっと待ってちょ。

ちょっと待ってちょ。

これは学生時代の友人、昇平のお兄さんが、英語で言うところのHold onとして発した言葉だ。

昇平宅への電話はその時が初めてだった。俺は失礼のないよう自分の紹介を簡単に済ませ、昇平君をお願いすると彼がおもむろにこう言ってきたのだ。

「ああ、昇平?いたかな。ちょっと待ってちょ。」

東京ってすげえフランク。素直にそう思ったよ。そのときは。

 

まじ

話は変わってしまうけど、今朝、井の頭線に乗っていると目の前の女子高生たちが

まじやばい

まじどうしよ

まじ勘弁

と、まじまじ抜かしていたのだ。

ってか、君たちのそのまじって俺の高校時代にマカシ先輩が言ってたまじだろ。

まじ頑張ってこ

まじ気合入れてこ

まじ気持ちで負けたら負けっから

同時に「勘弁」が同級生の黒沢の口癖であることが記憶の中から蘇ってきた。

おい勘弁してよ~

当時の俺もよく影響されたもんだった。しかし、あれから15年くらい経ったこの列車の中、時も場所も異なれば、彼女たちがマカシ先輩や黒沢のことを知るわけがない。俺は言いたかった。君らは最前線の言葉を抜かしているつもりなんだろうけど、それもまた文化の伝播の一端に過ぎないんだぞってことを。

つまりだ。

ぼくらもまたこの偉大な通信プロトコルである日本語を育んできた先人への敬意を忘れてはいけない。やれ団塊の世代の退職金が80兆円だとかなんだとか抜かしよるけど、君らのそのバブリーな金を私欲を満たすために使うのではなく、日本の財政赤字の返済に少し充てたらどうなのだよと言いたくもなるのだけど、ここは諸事情あるんだから多めに見ておくよとして人生の先輩方に感謝しておこうよ。そして、僕らこそは次世代に恥じることのない世界を日々創造していくことに尽力しようではないか。

えいえいやー!

えいえいやーは鳥肌実の影響です。元来気に入った言葉はすぐパクリます。

 



鳥肌実



注意:この、右から一週回って遥か左にいるおっさんの言ってることをそのまま理解しないように。アンチテーゼというやつです。

 

にっぽんの財政赤字

しかし、日本の財政赤字はどうしようもないな。このリアルタイム財政赤字カウンターをほげほげと眺め、途方にくれた。とりあえず銀行員とか公務員とか元国営関連の企業に勤める人は普通の仕事より楽して儲けているみたいなんだよ。面倒だから端的に申すけど、労働に見合わない対価をもらってそれをよしとしてしまったらあかんと思うんだ。そういった楽はなんらかの犠牲があって初めて成り立つのは誰でもわかることだろう。グローバライズされた現代において、その歪は世界中に広がっていて、以前安いバナナの話をここでしたけど、冷静に考えて不当に安いモノを買うときはその生産者の痛み、流通経路にある人間の黒さ、または背後で行われている環境破壊、等々の問題を少しは感じる必要があると思うんだ。

もちろん作業の効率化による価格の下落はしかるべき姿ではあるけども、必ずしもそうではないのが世の中にはたくさん存在する。一応、そういった視線で俺は日々買い物をしているわけです。

とはいえ、俺もひゃっきんは好きだ。これは認める。ダイソーのプラスチックのケースは行く度買ってしまうし、ショップ99のテーマソングは行く度口ずさんでしまう。

ショップきゅっきゅ、きゅ、きゅきゅきゅー!

ってな。けど、安いからといって使い捨てるようなマネはしない。大切な地球の資源を削り取って作ったものなんだから、粗末に扱ってはならいのは分かってる。昨日買ったタンバリンはどこかへ忘れてきてしまったけど。今は誰かが俺の残したタンバリンを使い倒してくれることを切に期待してる。

 



捻挫

さてさてぶーたれはこれくらいにしておいて。年始、滑り台を滑っていたところ、滑りが悪く駆け下りたのですが、その際捻挫をしました。靴を脱ぐとき靭帯が伸びて痛いです。

薄暗い公園で滑り台にトライするときは是非気をつけてください。