2007年1月23日火曜日

時空を越える

そういえば年末仕事で作ったWebサイトが好評らしい。名刺を取りに渋谷へ戻った際、もうずっとずっとずっとずーーっと折の合わなかった彼が、発注元からの評価が非常に良かったことを自分のことのように喜び、語ってくれた。

照れ臭いのもあったし、ごく普通のことをしたまでだったし、好評の要因を分析するとそこに俺の手柄はない気がしたので、まあまあ、と受け止めていると、いや違うんだと、すべてを承知した上で君の名を出して褒めていたんだと、その場で聞かせたかったと、また発注を考えているようだと、ほんとに機嫌よくお客の賛辞を並べてくれた。

なんか嬉しかった。自分への評価ではなく、彼がそう言ってくれたことがだ。ずっと前から俺と彼との間にはほんとに深い深い溝があると、少なくとも俺は大いに感じていたし、彼も少なからず感じていただろうから。今回の仕事もよくない瞬間は何度も訪れたがぶちきれずにやってきてよかった。今はそう思える。

僕らの仕事は言ってみれば、建築で言うところの設計士と大工さんの両方をやるようなもんだ。自分で仕様を決め、最後まで自分で作ってしまう。いい加減、大工さん側の作業はしたくないと会社には訴えてるんだけど、技術的にやれなくないからということでなぜか最終的にはやる羽目になってしまう。スーツ着てJava書くのはどうかと思うけど、コアな部分になるとどうも自分の手が動いてしまう。

そのプロジェクトは、開発の道具やら環境やら指示も特になくすべて自由にやらせてもらえたんで、余計な制約がなくほんと仕事をした感じがしなかった。こんな風に楽しくやれるんだよね。ほんとは。

会社も妥当な値段で一括請負をしてくれれば、まあそれなりにお金を稼ぎ出せるんだろうよ。

でも人生、金を稼ぐのが目的ではないから。。いや、ここではこれ以上言及しないでおこう。

曲も料理もサイトもアプリケーションもドキュメントも、モノを作るという意味ではすべて同じ。加え、歌を歌うのも、水墨画を書くのも、雰囲気も存在感も、性格も、顔の表情も自分がアウトプットするものと考えればすべて同じ。

何もかもそれらは僕らの魂から産み出されるのだ。

そう、そこで見え隠れしているのは僕らのソウルであり、

時間や空間を超えることも、

それは実際、現実に可能なんだと気付く。

いや可能というより、僕らがそういう目を持ってみれば、

まさにこの現在でそれが起きていることに気付く。

丘の抜け道を猛スピードでかっ飛ばす危ない車は、いつかの僕だ。

この野郎あぶねーじゃねーか

と言ってやりたい。ああ、言ってやりたい。

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