2006年1月31日火曜日

親知らず

歯医者の領収書を見たら、治療箇所に親知らずと書いてあった。動詞のような歯だなと思った。

親知らず親知らず
親は知ってるけど、親知らず。

左腕の痛みが一月治まらないので、誰かの藁人形遠隔攻撃を受けてるんじゃないかという疑念もあるのだけれど、歯医者に行くことにした。左奥下の親知らずの激しい歯痛が左腕痛の根本の原因じゃないかと踏んだわけだ。
まあ、どこか先生がそう答えてくれることを期待して、治療の際聞いてみた。痛みの原因が判らないのは不安で仕方ないのだ。すると、虫歯で首は痛くなっても腕は痛くならないと言われた。
それでも何とか虫歯のせいにしたくて再度確かめてみたんだが、逆に運動しなかったのかと聞いてきた。確かに年末の格闘技と年始の筋肉番付の後の腕立て伏せ以降痛くなった実感は強くあるので、「まあ、しました。」と答えた。すると、それが原因と思うと言ってきた。 なら治れよ、いい加減な。ジッとしててズキズキ痛むのはどうかと思うぜ。

あ、、また奥歯が疼きだした。

今週末、生まれて初めて親知らずを抜く。改めて周囲から情報収集しまくっているんだが、少しくらい楽観的なことを言ってくれる人がいてもいい気はしたが、まじで本当に相当やばいらしいじゃないか。
先生は「大丈夫よ。ただ若いから血が止まらないかもね。」と言っていた。

ああ、恐ろしい!

2006年1月30日月曜日

餃子のスープ

餃子を買ってきた。普通に炒めたらつまらないので餃子のスープにしようと思い立った。

1.お湯を沸かす。

2.斜めに千切りしたねぎをたっぷり入れる。

3.タッパーにみじん切りにしておいた万能ねぎをけっこう入れる。

4.鶏がらスープの素と中華味を適量入れる。

5.片栗粉を水で溶かして入れる。

6.餃子も入れる。

7.生おろしにんにくと生おろし生姜も入れる。

8.醤油も適量入れてみる。

9.とき卵を入れる。

まあ、順番はあまり関係なかったかな。

入れるだけでもうまい料理はできるもんだ。

2006年1月25日水曜日

エブリデイ

新聞を見てた
誰かの肩越し
ふいに響く車掌の声
リアルすぎる歌は
僕らの妄想を掻き立てないからつまらない

マンデー チューズデー
ウェンズデー サースデー
フライデナイ
何してた?
名も無き僕らのストーリー走ってた
マンデー チューズデー
サースデイ サタデイ
夢を話してた
朝から覚めない夢を話してた

マンデー チューズデー
ウェンズデー サースデー
フライデナイ
探してた
捧げる言葉に思いを乗せた

マンデー チューズデー
ウェンズデー サースデー
空を旅してた
君にもやがて流れ出すメロディー

マンデー チューズデー
ウェンズデー サースデー
フライデナイ
何してた?
名も無き僕らのストーリー走ってた

マンデー チューズデー
サースデイ サタデイ
夢を話してた
朝から覚めない夢を話してた

2006年1月23日月曜日

犯人はオレガノ

ホリエモンを信長と例えるならいつか明智光秀のようなやつに刺されるんじゃ?とか推測してしまったのは俺だけじゃないと思うが、そうきたかと。法律が彼に制裁をくわえるわけだな。
しかし世間は大騒ぎしているようだけど、俺の人生からしてみたらそんなことは蟻んこが石につまづいて転んだくらいなどうでもいい話で、それより、先日のスープがまずくなった原因がオレガノにあった、ってことの方が重大だ。

スープにオレガノ。普通入れないのか?

とりあえずそこらへんにあったから入れてみたんだ。人生何事もトライしてみないtね。パセリにコショウにバジルにオレガノにナツメグ。西洋っぽいスパイスを順番に入れていったんだ。味を確かめながらね。
最後がナツメグだった。
振りかけた瞬間、すぱーーっって予想外に多量にかかっちゃってね。まずいとは思ったよ。しかし、あんな変な味になるとは予想できなかった。なっちゃんとめぐちゃん足してナツメグ〜みたいな可愛らしい名前とは裏腹に、サイケデリックなケミカルテイストスープに早代わりしてしまったんだ。
俺はその手のアートが苦手だ。デカダンス気取りなアートはそれそのものがアートとは到底思えない。素朴なのがいい。ナツメグの仕業でさっきまで変哲も無くうまかったスープが、一口一口ひどい苦痛味になってしまったんだ。

しかしだよ。
どうやらだよ。
違ったんだ。申し訳ない、その時は犯人をナツ・メグだとばかり決め付けていたんだが、今日ペンネのアラビアータを作ってみて彼女たちは冤罪だったということが判明したんだ。だって前回の余りのまずさにナツメグだけはいれねーぞと注意していたのにまた前回同様のケミカル味になってしまったんだ。

ということで本当の犯人は多分オレガノ。
気をつけたい。オレガノ。

やっぱりガラムマサラはまいう。なんにかけても旨い。それから、ニッキも。ニッキじゃねーやシナモンだ。シナモンはコーヒーに入れまくり。
まあ、それだけだ。つまんねーこと書いてんなあと思った人も多々いるでしょうけど、人生、そういう日もあるもんだ。

冒頭の件。やっぱり本能寺の変、これはまだ先にあるように思われる。

2006年1月22日日曜日

ああ、もう日曜日だ

昨日は土曜日だっていうのに会社のメンタルヘルス研修があった。
幸せも不幸も表裏一体。
自分がどこに焦点を合わせるか次第なのだ。とかとか。
やはり心理学も哲学も道徳も宗教も、その本質は大差ないように思えた。

どれも要は破綻しない幸福を追求する学問だよね。
違うかな。まあ、よくは知らん。
物質的なもの(金も同じ)を多く手に入れることで自分の欲求を満たそうと思ったら幸せにはなれない。
なぜならそれは限りあるリソースの奪い合いをしているに過ぎないから。
やがて必ず歪みを生み出すことなる。

今、目の前にあるものにどれだけ満足しているか、楽しめているか、それがイコール長い人生の充実度でもあるのだと思う。

自分が笑顔で挨拶をすれば、相手もそうしてくる。黙っていれば、相手も黙る。
何度挨拶してもダメな奴は放っておきゃいいよ。そういう人は自分で気付かないといけないんだ。


書初め



本当は今日は書初めの日だったんだ。2、3日前に突然延期を知らされたのだ。
それは別によいのだが、この日に向けて徐々に募らせてきていた俺の書初め魂が朝から疼いて止まないので一つ筆をとってみることにした。

おお。


ふと、思った言葉を書いてみたんだが、意外に書けてない?小学生以来にしては。

峻坂も 住めば都だ 百合ヶ丘

でも、俺がやりたいのは文字のほうじゃなくて、絵だ。筆を使って絵を描きたい。水墨画というやつ。できあがったら隅っこに小唄と入れるんだ。



by 小唄


窓の外は雪国



窓の外は見事な雪景色だ。まるでスキー場に来たみたいだ。


ふはー!
俺はスキー場のレストランの食事が好きだ。折角なのでそんな気分に浸れる朝食を作ってみた。


しかし半分くらいしか食えませんでした。
さあ見るぞ、返さなきゃいけない映画を見るぞ。


追伸


先日の大遅刻の件。職場について申し訳ない顔一杯で挨拶をすると、
「寝坊なんてそんなのいいですよ!ほんとに一人暮らしで何かあったんじゃないかって心配していたんですよ!!」
と、まあ、みなさん怒るというより、むしろ安心してくれたわけで・・。ほんまかたじけない。

2006年1月19日木曜日

完全なる寝坊

目が覚めたら時計の針が10時をとおに回っていた。

え!?

すぐさまいろんな時計を見て回ったが、確かにすべてが同じ時間をさしていた。
えー!なに?今日何曜日? 必死に考えてみたが、どう考えても木曜日だった。いつもの悪い夢であることを願ったがどう考えてみても現実だった。今日は10時から待ちに待たされた大事な打ち合わせがあったのだ。

やばい!なんでだよ、なんでこうなるんだよ
だれだよ目覚まし止めたの!
やばい・・
まじでやばい・・・!

目覚まし時計はベッドの脇にあった。普段はベッドから遠いところにおいてるんだ。きっと俺が止めたんだろう。しかし目覚ましをセットしたことも止めたこともまったく記憶になく。。

何もかも記憶にございません。


言い訳が通用するなら何でも言ってやりたかったが、何も見つからなかった。携帯を見たら何度も着信があり、、速攻電話したんだが出るわけも無く。。


ああ・・打ち合わせ中だ・・。
やーばい、まじでやばい。
仕方なくメールをした。

「完全なる寝坊です。ほんとごめんなさい!」

2006年1月18日水曜日

乗るならキックボード

最近キックボードで丘を越えることが多い。

マウンテンバイクがパンクしてるんだ。何度となくパンクするから修理する気が2ヶ月ほど失せている。 キックボードはタイヤがゴムの塊なのでパンクの心配は無用だ。
丘の向こうの麓にビデオ屋があるのは日記でも何度となく言ってきた。丘の頂上から500mほど一気に下るんだ。もうちょいあるかな。俺はこの丘の見晴らしがほんとに好きだ。
だがたまに勢いつきすぎてブレーキがおっつかなくなる。そんな時はキックボードから飛び降りるんだがこれはきわめて危険だ。

今日は年末の餅つき大会の写真でものっけるかい。

ついてついてひたすらつく。


これが噂の残像拳だ。


手前の人はひたすらついてますね。


奥の人たち大笑いですね。


おお!!餅になりましたね!!

普通に感激した。

しかし、この餅ゆるすぎた。

でもうまかった!

2006年1月16日月曜日

南米ブーム

はっ!DVDを返すの忘れた〜!昨晩、DVDを返す際にまた借りてきたのに、借りてたことをすっかり忘れてた。リュックをあけたら俺の大好きな菓子パンたちが潰れまくってるし!
借りたのは二つだ。新作のスターウォーズエピソード3と、昨日の日記で大盛り上がりしたモーターサイクルダイアリーズの監督の作品で、ベルリン映画祭金熊賞を獲得したセントラルステーション
両極端の二本だが、ともになかなか面白そうだよ。

ゲバラゲバラ。

2006年1月15日日曜日

チェ・ゲバラ

雑煮の味に文字通り味をしめ、今日も雑煮を作ってしまった。
具は二日連続、鶏肉と白菜だけだ。
先日の一人鍋に入れ忘れたものだ。

ところでチェ・ゲバラ、って我々日本人の中でも有名なんですか?
みなさん知ってる?

南米では国境を越え相当知られた存在のようだ。
彼は20世紀中ごろの革命家で、人々はキューバのカストロもゲバラのカリスマ性にはかなわなかったと言っている。
詳しくはここを見てもらいたい。

ついでに、ゲバラとカストロ。 この人、革命家であることから抜群の行動力と知性と人間性が備わっているんだろうということは推測つくのだが、特筆したいのは、彼がその上実に二枚目であるということだ。
えてして、美男や美女はその容姿だけで世間からチヤホヤされ内面がどうにも成長しない傾向にあるが、彼は違う。
天才とは、少年が蝶を追いかけているうちに、いつの間にか山頂まで上りつめてしまうような人をさす。
という誰かの言葉を最近どこかの新聞でみたが、ゲバラはまさにそのタイプなんだろう。
#補足。「天才とは−」の話は、名声を勝ち取ることばかりを考え、本来すべきことを見失ってしまう、韓国の捏造学者みたいなのはあかん、という揶揄で使われていました。


赤いですね。

なんでいきなりチェ・ゲバラなのかというと、俺が共産主義者になったわけではなく、「モーターサイクルダイアリーズ」という映画を見たからなんだ。
ゲバラは二人の主人公のうちの一人だ。
ゲバラ役の彼(ガエル ・ガルシア・ベルナル)、とてもハンサムだ。



どうやら南米のブラッドピットと日本では呼ばれているらしい。
付録のインタビューで彼のはにかむ素顔が見られる。

しかしなぜテレビも雑誌もまったく見ない俺が、世でも大して知られていないこの映画の存在を知っていたかというと、これがしんゆり映画祭で上映されていたからだ。

たまたまネットサーフィンしてたどり着き、その映画祭の存在に驚きつつ、詳細をボケーっと見てて、、そうだ、俺がみたのはこれだ。この写真に強くひきつけられ、漠然といつかみたいなと思っていたんだ。
そしたら、なんと例の百合ヶ丘のへんぴなところにあるビデオ屋に置いてあってね。
迷わず借りたのさ。
#一緒にいた友人も気になっていたようだ。

いろんな偶然が重なって点が線になったんだ。
改めて思えば俺たちはじめから赤い糸で結ばれていたんじゃないかって。
そして我が家のホームシアターで上映中、やっぱり爆睡しましたよ(笑)。
先週の日曜日に借りてね、寝不足だったんだ。で、昨日、改めて見てみたんです。
そしたらいいじゃん!ってことで今こうして書いてるんだけどね。

これは偉業の物語ではない。
同じ大志と夢を持った二つの人生がしばし併走した物語である。


映画の出だしにこう流れるんだ。ああ、たまんねー。
俺が、このDVDの付録である未公開シーン、キャスト紹介等々を片っ端から見て、尚、もうちょっと見たいなあと思ったことを伝えれば、いかにこの映画が俺の心に突き刺さるものであったか察しがつくよね。

事実に即したさり気ないストーリー、広大な大自然を映し出す映像がいい。
ときおり一般人と思われる人々も登場してたりして、ドキュメンタリータッチなのもよい。
旅の魅力も盛りだくさんだ。

もともと中南米の顔を男らしくてかっこよいと思ってる俺だから、これから来るかもしれないよ、俺の中に南米映画ブームが。
その昔、考古学に惹かれていた頃、マヤやナスカやマチュピチュについての本を読みあさり、図書館でビデオを借りたこともあるからそれなりに下知識もあるし。

ああ、マチュピチュにいってみてぇ。

そう、劇中のこの言葉が実に印象的だ。
閉鎖的な権力社会に屈する貧困な南米の人々をみながらゲバラがこう呟く。

「どうしてこの文明に、マチュピチュが滅ぼされたんだ。」

と。たしかそんなことを言ってた。

とかとかね。
こんだけ推したらきっと以降見た人は大したことねーじゃんと思うんだろうな。
まあ、要は単なる青春時代の旅の映画ですよ。

そして俺の今日の食事は二度のお雑煮でした。

そろそろビデオ返してくるかな。

2006年1月14日土曜日

雑煮の味

朝、冷蔵庫の中に消費期限が一日過ぎた鶏肉が入っていた。食材を買いだめる時に限って外食が続く気がする。
そろそろ周知になってきているが、俺の冷蔵庫には賞味期限切れのものがないことがない。とある友人は俺んちの食材に手をつける前に、必ず入念に賞味期限をチェックする。賞味期限切れがあると大騒ぎをする。まあその場が盛り上がるならそれでいいんだが、俺もけっこう内心驚いたりして、弁解にならない弁解をし変な汗が出ることもある。
それでも俺は人ほど賞味期限を気にしていないのも確かだ。もちろん古くから居座っている怪しい食材についてはまず賞味期限を見る。リミットを過ぎていないと安心するのはみんなと同じだと思うが、一日や二日の期限切れはまったく気にしない。体内に摂取してよいものなのか否かは、たいがい自分の視覚、嗅覚、味覚に委ねられる。「賞味期限」という言葉、定義が存在する以前の世界の人々がそうしていたように。どこの誰が決めたか知らない日付に俺は惑わされない。

すべては俺が基準だから。


でも、たまにあたったりして、下したり吐いたり発熱したりでそれが過信であることに気付かされるわけである。
そして、それが食材だけにあてはまらないことは言うまでもない。


文章は偉大だ


文章って偉大だなと俺はつくづく思う。文章は自分の言った内容をスクロールして遡ることが簡単にできる。ここが偉大だ。
俺は思いついたことを次から次へと話しまくった挙句、元の話に戻ってこれなくなることがよくある。一応、本題の結論をより強固なものとするために、さまざまな論拠を並べているつもりなのだが、またその論拠から話がずれ始めたりして、一体何の話をしていたのか忘れてしまうのだ。
あれ?何の話してたんだっけ?
自分で話を展開しておきながら、相手に話の道筋を聞いてしまうなんて本当にアホだなと思う。と、同時にやっぱり文章って自分の書いてる内容を簡単に遡れてすごいと思う。


雑煮の味



先ほど冷蔵庫の賞味期限切れの鶏肉を見て、あ、くわなきゃ!と思ったわけだ。で、閃いたのが雑煮だ。俺の思い描く雑煮は母親の年始に作るやつ。これが実に旨いのだ。
しかし作り方がわからない。鶏肉の出汁がよく出てるのはわかるがそれ以外が不明だ。ネットで調べることにした。特色ある方々の雑煮レシピがごろごろ出てきたが、一般的に出汁はこんぶとかつおぶしから取るようだ。

あ、雨に打たれた夏草の匂いがふと俺の嗅覚をよぎった。今夜から雨が降るんだっけ。

これだ。全然、飛びすぎてる。
でですね、昆布がなかったのでダシノモトを使うことにした。ダシノモトはわりと塩っ気がある印象だ。加減がわからなかったので少しずつ追加してみた。すると摩訶不思議。徐々に母親の雑煮の味に似てくるんだ。そして仕舞いには瓜二つになった。
えー、あの味はただのダシノモトだったのか?
心の中でそう叫ばずにはいられなかった。なんだか父親に腕相撲で勝ってしまった時のやるせなさに近い、感傷的な気分にひたった朝でした。
#実は俺は父親に腕相撲勝ったことない。今でも負ける気がします;

2006年1月10日火曜日

背中に歯痛

いやー、肩甲骨の内側から左上腕にとう筋に掛けて痛ぇーっす。年始からなんだよね。年末の格闘技を見た後、筋トレしちゃってそっから筋を違えたように痛むんだ。
さらに、一昨日登山してからは、腕をどの方向にやってもジッとしてる時でも虫歯のような鈍痛がするようになってしまったのさ。首の角度によってはズッキーンとムチ打ちのような痛みが走るんだ。

見上げれば空は青いっていうのに。

この痛み、なんならみんなにも分けてあげたい。

2006年1月7日土曜日

見えなくなった世界

子供の頃、どんな幻想を抱いていたんだろう。

俺は一度だってサンタクロースの存在を信じたことはなかった。神様の存在を信じることもなかった。
幼稚園の頃、怖いものといえば、強盗、地震の地割れ、お化けだった。 ベッドに入り部屋の電気を消すと、頭の中をその三大不安要素がうごうごうごめいてなかなか寝付けなかった。
中でも一番の恐怖は地割れだった。地割れが怖かったのは関東大震災の死因の大半が地割れに飲み込まれものだと母から聞かされたからだ。母は冗談で言ったのかもしれないが、俺には衝撃だった。大地震でミリミリミシミシとひび割れていく地面に大勢の人があれよあれよと呑まれていくんだ。そして這い上がろうとする人々を割れた地面が閉じ始めて押しつぶす。
それから何年もして、地震での一番の死因が地割れでもなく、倒壊でもなく、火災であることを知ることになるのだが、その時感じたえもいわれぬ安心感を今でも強く覚えている。寝る前の三大恐怖の一つが消滅したわけだから俺にとっては大きなことだった。

少しずつ現実を知り、知った分だけ幻想が壊れていく。
そして、知った分だけ客観的に自分を見つめられるようになっていった。 寝る際に部屋の明かりを完全に消せなかったのは、生を受けて大した間もなく、確立された自分がいなかったからかもしれない。現実世界という物差しがなくなる不安は幼少の頃には耐えがたかった。
そしてそれは程度の差こそあれ今でもあまり変わらない。

なにが言いたいかって、見える人には見えたらしいんだ。「信じる」の世界が。

それだけでした。

2006年1月5日木曜日

左腕

あ、夜明けのブルースカイ。

体調がよくなったっぽい。微熱な感じ、嫌いじゃない。ただ、駅までのダッシュはきつい。さすがにふらふらする。そして左腕がここのところ上がらない。なんなんだ?三十肩とかあるのか?
そういえば、信じる。聴いてくれたかい?兄にどんなもんかと伺ったところ、予想外に酷評だったのでplayerから外したんだが、どうやらこれを気に入って口ずさんでいる人がいるらしいじゃないか。
ゆりがおーかーにー!
と俺も歌いながら帰ってるんだ。この歌で一人でも百合ヶ丘に来てみたいと思ってくれたらありがたい。

心が乾いたら君の声聞きたい
優しい言葉待ちくたびれ
空より青く天より高く
この胸に響くはあの鼓動
清々しい風の丘に立てば

ついつい書いてしまったが、この歌詞、少々気に入ってる。是非、歌だけじゃなく、歌詞も読んで欲しい。意味わからんだろうけど。
まあ、人の評価に一喜一憂する俺ですが、以前、桑田圭介がラジオ番組でこんなことを言ってたことを思い出しました。


「いやー、真夏の果実が出来た時もね、マネージャーの相馬君に聞いてもらったんですよ。(ブースの外を指しているっぽく)今もすぐそこらへんにいるんですけどね。真夏の沖縄のホテルでした。夜だったなあ。潮騒の聞こえるバルコニーでフルコーラス、熱唱しましたよ。しろくじちゅうも〜♪ってね(桑田圭介、浸ってる感じ)。こんなんだけどどうだい相馬君?って聞いたんです。そしたら、相馬君、
ああ、いいじゃないっすか!?ふぁああ〜(あくび)、そろそろ寝ていいっすかね?
とか言ってですね、ええ、まあいいんですけど。こうやって日々、いろんな批判の目をかいくぐって私も曲を作っておるわけです。」


♪ちゃんちゃんちゃーん、ちゃんちゃんちゃーん

って真夏の果実が流れ出すんだ。これ、実に印象的で、たまたまカセットテープに録音しててね、桑田圭介のコメントをほぼ丸暗記してしまったわけです。いやぁあ、かれこれあれから10年くらい経つんですね。俺、まだ大学一年生だったんだよな。。
そんなわけで、かの桑田もつれないリアクションされる俺の切ない仲間なんですよ。なんか元気が出てきたよー!

2006年1月4日水曜日

初熱

おうノー。だだだ、だるいっ。悪寒悪寒悪寒。

((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル

実家に帰ると、母さんが自分のルールをすべて俺に押し付け、自分の価値観で俺を評してくる。
俺はだいぶ疲弊した。
はー、つくづく一人暮らしをしていてよかったと思う。
しかし、母のあの独りよがりな能天気さは、ある意味尊敬に値する。
まあ、それは俺にも遺伝してる気がするけど。

ぐわーっ。

ふう。
あ、これウメキね。

だるい時はうめいたほうが楽だって。
さてさて今年初の作曲活動でもしますかね。

よかったら、これ、壁紙にでもどうぞ。

日記の背景になっているグランドキャニオン(これ)と、中途半端なポージングの俺(これ)ですね。
たしかに俺がそこにいたという証拠の意もこめて。

2006年1月1日日曜日

2006

ということで新年明けましておめでとうございます。
2006年がみなさんにとって刺激的で稔りある一年でありますように。
今年は一体どんなイベントが僕らを待ち受けているんでしょうね。
毎日を大事に過ごしたいですね。

背景の写真をいつか行ったグランドキャニオンに変えてみました。
散々選んだ挙句これになったのですがまだ見づらいですかね。

日の出

元日の明け方、なんだかんだいって年越しを伴に過ごした二人と百合ヶ丘駅まで歩いた。


初日の出を捕らえようとカメラを手に家を出たが、午前6時前の百合ヶ丘はどこから太陽が上がるかも分からないほど暗かった。
改札で二人に別れを告げると、俺はてくてくと線路沿いの道を歩きだした。直後、電車は定刻どおりやってきた。乗客はかなり少ない。手でも振れば二人は俺に気付くかもしれない。
よし、彼らを見つけたら、サンバイザーを手にとって大きく振ろう。そして去り行く電車を追いかけてみよう。寒空の下、青春の一ページを飾るべくドラマチックに追いかけてみよう。

しかし、現実の電車はドラマのようにはゆっくり走り出さなかった。加速するとあっという間に俺の目前を過ぎ去っていった。けっこうなスピードだった。ブラザーフッドではよぼよぼな御婆ちゃんが追いかけながらかなりの会話を繰り広げていたんだが。

いつだって始まりは突然やってくる。

ふと見上げると空が白み始めていた。しまった。古臭いドラマのような演出を考えている場合じゃなかった。せっかくカメラを持ってきておきながら、人生初の初日の出のチャンスを逃すなんて馬鹿げてる。俺は線路沿いを歩くのをやめ、丘に向かって走り出した。
丘の階段を130段一気に駆け上がった。そこから日の出が見えるか半信半疑だったが、やはり、東の方向の地平線はもう一つ向こうの丘が邪魔して見えない。すぐさま小走りで尾根沿いの道を丘の頂上に向かった。
途中、いくつかのビューポイントを通り過ぎた。いくつもの思い出が俺の脳裏を駆け巡った。だが、どんな憂鬱な記憶も初日の出の爽快さがことごとくかき消していった。

あほかっ。

何かにそう呟いた。

人生は上書き保存の連続だ。ヴァージョン管理する必要は特にない。誰かも「ハッピーに生きるなら健康と健忘ね」って言っていたし。


ついに東の方面、東京のビル群を見渡せるところまでやってきた。


!!

雲だ。雲で太陽が見えない。

初日の出を見ようと他にも何人かが東の薄暗い空を眺めていた。
確かに残念だった。でも、これ以上、何を望むことができよう。俺はやれることはやった。
めらめらな初日の出はまた来年見ればいい。来年がダメならその次に見られればいい。
神様は僕らがその喜びを実感できるように、美しいゴールは出し惜しみする。

そんなもんだ。

気が付けば、アコースティックギターのストロークが頭の中に流れ始めていた。


あっという間にすっかり朝になってしまった百合ヶ丘。


そして浦和レッズ天皇杯優勝おめでとう!

現場にいた風を装い、プロジェクターの映像を写真に収めただけです。