2006年1月14日土曜日

雑煮の味

朝、冷蔵庫の中に消費期限が一日過ぎた鶏肉が入っていた。食材を買いだめる時に限って外食が続く気がする。
そろそろ周知になってきているが、俺の冷蔵庫には賞味期限切れのものがないことがない。とある友人は俺んちの食材に手をつける前に、必ず入念に賞味期限をチェックする。賞味期限切れがあると大騒ぎをする。まあその場が盛り上がるならそれでいいんだが、俺もけっこう内心驚いたりして、弁解にならない弁解をし変な汗が出ることもある。
それでも俺は人ほど賞味期限を気にしていないのも確かだ。もちろん古くから居座っている怪しい食材についてはまず賞味期限を見る。リミットを過ぎていないと安心するのはみんなと同じだと思うが、一日や二日の期限切れはまったく気にしない。体内に摂取してよいものなのか否かは、たいがい自分の視覚、嗅覚、味覚に委ねられる。「賞味期限」という言葉、定義が存在する以前の世界の人々がそうしていたように。どこの誰が決めたか知らない日付に俺は惑わされない。

すべては俺が基準だから。


でも、たまにあたったりして、下したり吐いたり発熱したりでそれが過信であることに気付かされるわけである。
そして、それが食材だけにあてはまらないことは言うまでもない。


文章は偉大だ


文章って偉大だなと俺はつくづく思う。文章は自分の言った内容をスクロールして遡ることが簡単にできる。ここが偉大だ。
俺は思いついたことを次から次へと話しまくった挙句、元の話に戻ってこれなくなることがよくある。一応、本題の結論をより強固なものとするために、さまざまな論拠を並べているつもりなのだが、またその論拠から話がずれ始めたりして、一体何の話をしていたのか忘れてしまうのだ。
あれ?何の話してたんだっけ?
自分で話を展開しておきながら、相手に話の道筋を聞いてしまうなんて本当にアホだなと思う。と、同時にやっぱり文章って自分の書いてる内容を簡単に遡れてすごいと思う。


雑煮の味



先ほど冷蔵庫の賞味期限切れの鶏肉を見て、あ、くわなきゃ!と思ったわけだ。で、閃いたのが雑煮だ。俺の思い描く雑煮は母親の年始に作るやつ。これが実に旨いのだ。
しかし作り方がわからない。鶏肉の出汁がよく出てるのはわかるがそれ以外が不明だ。ネットで調べることにした。特色ある方々の雑煮レシピがごろごろ出てきたが、一般的に出汁はこんぶとかつおぶしから取るようだ。

あ、雨に打たれた夏草の匂いがふと俺の嗅覚をよぎった。今夜から雨が降るんだっけ。

これだ。全然、飛びすぎてる。
でですね、昆布がなかったのでダシノモトを使うことにした。ダシノモトはわりと塩っ気がある印象だ。加減がわからなかったので少しずつ追加してみた。すると摩訶不思議。徐々に母親の雑煮の味に似てくるんだ。そして仕舞いには瓜二つになった。
えー、あの味はただのダシノモトだったのか?
心の中でそう叫ばずにはいられなかった。なんだか父親に腕相撲で勝ってしまった時のやるせなさに近い、感傷的な気分にひたった朝でした。
#実は俺は父親に腕相撲勝ったことない。今でも負ける気がします;

0 件のコメント: