2008年2月22日金曜日

人間が本質的にしなければならないこと

いや、昨日はすっかり寝ぼけた文章を書いてしまいました。


さて、今日電車で考えていたのは、

いつか俺、

人間は本質的にしなければならないことをするのに多くの遠回りを無意識でしてしまっている、
例えば仕事と思っていることが実は仕事じゃなかったみたいな、俺がやる必要なかったんだ、
みたいなことが日中、いやこうしている今もまさに起きているんだ

って言ったような気がするけど、

じゃあ、本質的にしなければならないこと、ってなんだ?

っての。



仮に今やっている仕事を、遠回りを一切排除して、超本質的に解決する仕組みを作ったとする。

パソコンでワンクリックするとその仕組みが何やらウゴウゴうごめきだして、やるべきことが自動ですべて完了してしまうとする。

とすると。


僕らの仕事は、職場に行ってワンクリックするだけで終わってしまう。

うわー、今日もやったよなー!とその気になって行った直後に帰る。


いや、だとしたら、満員電車に揺られ職場に行く必要なんかなく、朝起きて、コーヒー飲んで、自宅からリモートで職場にログインしてワンクリックしてしまえばいい。それで仕事は終わってしまう。

うわー、今日もやったよなー!とその気になって、引き続きコーヒーをのみはじめる。


いや、そんなことするくらいなら、
月曜日から金曜日まで自動でクリックしてくれるようなタイマーを、どっかで一度仕掛けてしまえばいい。それでしばらくの仕事は終わってしまう。

うわー、今日もやったよなー!と言う前に仕事は終わってる。



何もすることがなくなってしまう。

もちろん、自動であれ、今までの労働と同等の働きを確かにしているわけだから、相応の対価が支払われる。外から見たら毎日死に物狂いで残業していようが、全自動で人が動いてなかろうが、いいものができればそれでいいわけで、そんな過程はしったこっちゃないのだ。

すると、なにもしなくても金が入ってきてしまう。



さて時間があまった。

仕事しなくても飯も食えるし、家もある。遊ぶ金もある。




寝ます。

つづく。

ガソリンは太陽

僕ら生命体のエネルギー源はなにかというと、

太陽光らしい。

宇宙の辞典に載ってたわ。

俺は驚いたんだけど、当たり前なのか!?


だってだ。

今この瞬間、こうして指を動かし、ブログをかけるのも、太陽のおかげってことだろ

どうよ

あの太陽は、単に洗濯物を乾かすだけじゃないってこと

かつ、

単に肌を褐色にしてくれるだけじゃないってことだ。


そうだよな。

草木は光合成して生きているし、現代の学説では一応、

生物遺骸で石油はできているということになっているじゃん。

ガソリンは石油からできるじゃん。

僕らの生きるガソリンは太陽じゃん。

ガソリンは石油からできてるじゃん。

石油は生物遺骸じゃん。

生物遺骸は草木や僕らじゃん。

僕らの生きるガソリンは太陽じゃん。


なるほどー。。

非常に眠いので寝ます。

2008年2月21日木曜日

自分の記憶にスクロールバー

どうも喋りだすと、話の枝が枝をうみ、その枝がさらに枝をうみ、大本の幹がどこだったか忘れてしまうことが多い。

どうにかしたい。


で、最近、そんな時についつい条件反射的に脳裏に思い浮かべてしまうのがスクロールバー。

今の話、スクロールバーで戻って確認できないんだっけ?

と。

パソコンで長文を書くときによくします。

たぶん、まじでメモリーが不足してるんだと思います。



このスクロールバー、ライブでテレビを見ているときに、ついつい巻き戻しをしたくなるのと同じだよね。

たしかあれって、ビデオに撮らなくてもできるようになったよね。


だから多分、記憶にもスクロールバーがつけられるようになると思うんです。

どこにつけますかね。

2008年2月11日月曜日

500年前の先祖は100万人

これまで多くの人に言ったような気がするけど、今一度言ってみるよ。

500年前の先祖は100万人いる。

750年前の先祖は10億人いる。

1000年前の先祖は1兆人いる。


なぜなら。



自分の両親は2人。

祖父母は4人。

曾祖父母は8人。

というように、先祖は2乗して算出できる。



仮に25歳で子供が生まれるとしたら、100年で4世代となる。

今でこそ晩婚傾向にあるが、

2003年の初産平均年齢が28.6歳で、1980年が26.4歳らしいから、

それ以前はおそらく25歳を切ってくるだろう。

ということで、ここではざっくり1世代25年とする。


たとえば、10歳の彼がいたとすると、彼の親が35歳で、祖父母が60歳で、曾祖父母が85歳といった感じになり、

まあ、なんとなくそれっぽい構成になることが分かる。


100年で4世代、

200年で8世代、

250年で10世代まで遡ることになる。


このときの先祖の数は、2の10乗で1024人となる。

意外と多い。


今を西暦2000年として計算すると、250年前は1750年。

1750年といえば、寛延というマイナーな元号でこんなことが起きたらしい。

03月中旬
西播磨佐用村の常徳寺の住職、簑島で蛤の吐く虹を見る 「西播怪談実記」

04月08日
空に3つの月が並ぶ

04月23日
桜町上皇(31)没
江戸で大風雨・大霰


京で白光が空を飛ぶのが頻繁に目撃される 『妖星伝』

08月26日
二条城天守閣、雷火で焼失
落雷で死亡した乞食の体を借りて3人目の補陀洛人が地上に降り立つ 『妖星伝』

10月初旬
保科正容の元側室おもん没 『柴錬立川文庫 側妾三代・おもん篇』

この年
陀流磨誕生 『剣客異聞録 甦りし蒼紅の刃』

妖異大年表

あっと、妖異大年表です。普通の年表が見つかりませんでした・・。

04月08日
空に3つの月が並ぶ

というのがいいですね。

僕らの先祖は本当は何してたんでしょうね。

なお、どこから算出したか、その当時の人口は2591万人らしいです。


それから更に250年遡ります。

250年で10代だから、500年で20代となる。

その時の先祖の数は何人か?

10代×10代、つまり1024×1024なので、

およそ1000×1000でゼロが6つの、100万人。


500年前といえば、1500年。

その頃の日本は戦国時代の真っ只中かな。

先ほどの妖怪年表を参考にすると。

01月19日
吉田重賢のもとに日置弾正を名乗る者が現れ、重賢に弓術を教える 「本朝武芸小伝」

02月13日
赤峰の乱琉球王尚真、八重山のオヤケ・アカハチを討ち、琉球全島を統一する

04月
八犬士の珠の文字と体の痣が消失 『南総里見八犬伝』

06月07日
応仁の乱で途絶えていた祇園会の山鉾巡業が30年ぶりに復興される

07月28日
京都柳橋から出火し、2万戸余りが焼失する

09月28日
後土御門天皇(59)没

10月30日
幕府、撰銭令を初めて発布する

妖怪大年表

なるほど。

ってどこが妖怪?里見八犬伝から天皇まで全部妖怪なのか?

沖縄のこれはどうなんですかね
02月13日
赤峰の乱琉球王尚真、八重山のオヤケ・アカハチを討ち、琉球全島を統一する

確かに名前だけ見ると妖怪っぽいですけどね・・。

いや失敬。

ここにオヤケアカハチさんのことが書いてあります。



うーん。

何分昔のことなので断言できることは少ないんだけど、

僕らがここにいるということは、僕らの先祖がみな、戦国時代を生き抜いている、

というのは間違いなさそうだよね。


ひょっとしたら、戦場で助け合ってたかもしれないよね。

いや、ひょっとすると、憎しみあっていたかもしれない。

でもどっちでも今となったら大差ないかな。

その当時、500年たった今、こうして接点を持つなんて、1ミクロンも想像できなかっただろうね。


いや、それどころかです。

単純計算だけど、僕らの先祖は100万人いるのです。

きっとこれを読んでる君の先祖と僕の先祖はかなりの確立で被っています。

少なくとも、兄弟の祖先は一瞬にして被ってしまいます。



しかし改めて、500年前の100万人の血を受け継いでると考えると、

不思議な気分になりますね。





さらに250年遡ってみよう。

時は西暦1250年。鎌倉時代だよね。

これまでの理屈通りに計算すると、先祖の数は、1024の3乗になっている。


電卓で計算すると、

1,073,741,824人。

10億人ですね。


あれ?当時10億人もいたの?

と思うよね。どういうことか。


もう気づいていると思うけど、先祖を辿っていくと、同一人物が何度も登場してくるはずなのです。

いや、登場しないとおかしいのです。

10億人もいないんだから。

世代のサイクルも、20歳のところがあれば、30歳のところもあるし、

父方の曾婆さんと母方の曾爺さんは兄弟かもしれないし。

きっと簡潔に表現する数学式とかあるんだろうけど、俺は知らないので、ここは感覚で分かってください、というしかないな。



そういうことなので、

1000年遡ると先祖は1兆人になる。

もうそろそろいいよね。



それともう一つ。

逆をいいましょう。

子孫は、先祖を辿るのと違い、ちょっと難しいです。

1人で何人もの子孫を残せるからです。

仮に1組の夫婦から2人の子供が生まれたとします。

2人が2人の子孫を残すから、人口はそのままです。

最近は少子化が進んでるから、人口は減少傾向にあります。

昔はどうだったでしょう。

1750年時点で2591万人ですから、現在は1,3億人でおよそ5倍の人口であるといえます。

どういう増加率を辿ると今に至るのか、その計算式は、、またしても俺にはわかりません。

俺の数学は数Ⅰどまりです。

ただ、平均でも2人以上の子孫を残さないと今の人口には至らないのです。

つまり、A時点(未来)とB時点(過去)があるとして、

A時点から見たB時点の先祖の数より、

B時点から見たA時点の子孫の数の方が多いということになります。


つまり、西暦1500年の僕らの先祖の残した子孫は、確実に100万人以上である。

ということになります。


あってるかな?

なのでつまり。

いつかの天皇の子孫であるとか、

いつかの将軍の子孫であるとか、

いつかの大名の子孫であるとか、

そういうことを言っても、それはほんとに、100万人とか、10億人とか、1兆人がいえるくらい

どうでもいいこと、になってしまうのでした。


やるならやろうぜ、この自分の世代で。

2008年2月10日日曜日

釣り

人は釣りがしたくて、川や海に行く。

釣られているのは人なのか魚なのか。

魚は最高のえさをまいて、人を釣っているのかもしれない。

悟りとはなにか

銀河の数は数千億と言われているらしい。

人類が地球外の生命体と遭遇することはないとしても、

僕らが見ている星を、彼らが見ているということは

普通にあるはずだ。



オリオン座とか、北斗七星とか、カシオペヤ座とか、

当たり前なんだけど、

そいういう形で見えるのは、太陽系周辺から見た場合にのみいえること。



前も言ったけど、北極星は

今現在の地球から北に位置する星、という相対的な意味のもので、

時代が変われば実体は変わる。



僕らの人生がどうなるか分からないのは、

たぶん、宇宙がこうしている今も広がっているからなんだと考えている。



一つ外の概念が内側のすべてを覆すってことはよく聞く話で、

これを「オセロ的演繹」と、演繹の意味も理解せずにいうことにしてるんだけど、

宇宙が定かでない限り、僕らもまた定かにはならないんだと。



高校時代、数学の授業で、無限分の一はつまりゼロであると教師が言ったことを強く覚えている。

無限分の一=0?

じゃあ、僕らがここに存在するということは宇宙が無限でないということの証なのか?



ところで、存在するってどういうことだ?

仮に人類が他の星のナニモノにも知られることなく、

微塵の影響も与えなかったとして、存在したといえるのか?



その答えは今でも見つかっていない。



宇宙が定かでない以上、世の中に絶対なんてものはないように思うんだけど、

時には僕らは盲目に突き進む何かに感動する。



悟りとは何か。



悟りを知らない以上その感覚を説明できないし、それを聞いた人もそれを知らなければ理解できない。

外国の料理を紹介する番組で、

食したリポーターがどんな言葉を使っても、僕らがそれを理解できないのと同じなんだと思う。


でもこうじゃないかと推測しています。

悟りとは、宇宙の流れに乗ること。

自分自身が宇宙となり、宇宙の代弁者となること。



ほんとかどうかは、自分が悟りを開いてみるしかわからない。

のかな?

2008年2月6日水曜日

20年後は1日3時間労働

20年後は午前中3時間労働して以上。

みたいな生ぬるい世界になっているんじゃないかと。




18世紀、産業革命がおこり、工場が続々とでき、

それまでとは比べ物にならないほど生産効率があがったってのは

歴史で学んだけど、今またそういうことが起きていると思うんだ。

梅田望夫さんの本を読んだ後でこんなことをいうと、

さも彼の言ったことを真似したかのように思われてしまうかもしれないけど、

それは、思考プロセス分析前線にいる人たちであれば、誰でも感じていることなのです。



そういうことで、このままいくと、20年後ぐらいには仕事量が今の半分以下になっている。


ばんざい!




と喜べない人もいるかもしれない。



でも僕ら、確かに黙々と真面目に働くことを美しいと思ってはいけない時代に突入しています。

だって、いくら僕らがそうしたところで、決してコンピュータにはかなわないんだから。

コンピュータ以上に黙々と真面目に働くことなんて出来えません。

だからコンピュータがやれることはどんどんコンピュータにやらせるんです。

彼らは僕らの指示通りに正確無比にやってくれます。

もちろん、指示が間違っていれば確実に間違えます。


それと、コンピュータのやってくれることの範囲がみるみる広がっていることに

目を背けてはならないと思うのです。


いまや交番のおまわりさんに、その土地のことを詳しく聞くのはナンセンスです。

先日、品川で歯医者の場所を聞いたとき、

2人の警察官がアナログ電話帳検索を時間をかけてやってくれたけど、

その回答はGoogle Localとは比べ物にならないほど不出来でした。

欲しいものはネットで買えるし、

アマゾンに行けば、欲しているだろうモノを次々提案してくれるし、

知りたいことはそこらの知識人に聞くより、ネットに聞いたほうがはやい。



そこらへん、コンピュータにやらせることを適切に切り出すことにより、

超短時間で結果が得られるんだ、たぶん。




えっと、何がいいたいかと。

自分こそ持ちえる商売道具と信じているものが、

ふたを開けると、「そういう場合はこうする、といった決まりきったルール」に過ぎなかった、

ということがけっこうあるってこと。


「そういう場合はこうする、といった決まりきったルール」を僕らは「ノウハウ」といってるんだと思います。


僕らは、ノウハウを身につけ、それを活用することを仕事としています。

そのノウハウが着々とコンピュータに置き換わろうとしています。

ノウハウの大半が、ルールを持っています。

いや、ルールのないノウハウはないといっても過言ではないでしょう。

医学もそうだし、哲学もそう、政治も同じです。

ルールがあれば、システマティックに回答にたどり着けます。



コンピュータがインターネットにより繋がった今日、半端ないことがおこり始めています。

コンピュータの使い倒し方を僕らは知ってしまったのです。

茂木さんが科学的見地からインターネットで起こっていることが脳で起こっていることと同じである、

と言い出す前から、それを感覚的に感じ取っていた人は少なくありません。


インターネットは人類という一つの脳になりつつあります。

今日、知識だけでなく、思考のプロセスもどんどんそちらに流れ出しています。


つまり。

他人の経験をそのまま利用できる時代に来たのです。

他の人の経験は僕らの経験なのです。


それから、先人の経験をそのまま利用することもできます。

昔、考えたことなかった?

なんで勉強するんだろ、なんで覚えなきゃならんのだろ、

なんで親の知識、経験が遺伝しないのだろう、めんどくせーなって。


記憶は遺伝しない、といったけど、記憶が遺伝するのと同等のことができる時代に来たのです。

だから、学ぶという課程がなくても、学んだのと同じ結果を得られてしまうのです。


僕らの人生の効率化に激しく拍車がかかるのは間違いありません。


が、現実不十分なことがいくつもあります。

そういうのが今後の仕事になっていくんだと思います。

そのうちの明らかな一つは、データの問題です。

残念ながら今現在、僕らの将来を見据えることのできる形ではデータが蓄積されていっていません。


んじゃ、100%な蓄積状態とは何か?


これはすごく簡単です。

ぼくらの人生のI/Oをすべて蓄積するのです。


でも冗長すぎます。

だから、適切に抜き出すんです。その後の人生に影響を与えるI/Oだけを。

これは非常に難しい!



ということで、だいぶはしょったけど、

20年後、僕らの仕事は一日3時間です。

3時間働くと、今の生活が維持できます。

仕事がないので、それ以上働くことはNGです。


午前中仕事をして、午後、スターバックスでコーヒーを飲み、夜は教育という啓蒙活動をし、寝ます。

それか、半年都会のオフィスで働いて、半年田舎で農業をするってのもありだと思います。

それでもつまんねー、という人は、半年間、朝から晩まで働いて、残りの半年で冒険にでます。

鍾乳洞には未知の世界がまだまだあるらしいし、

20年後には、均一化と逆方向に突き進んだ超異文化圏ができているだろうから、

そこでカルチャーショックを受けまくる、というのもありだと思います。

2008年2月4日月曜日

なぜ宇宙は生まれたのか

なぜ宇宙が生まれたのか

どうして宇宙は生まれたのか

昨日から気になっていることです。


この世のものは宇宙から作り出されたものです。

星も銀河も星雲も、

人類も魚類も鳥類も、

川も海も山も、

習慣も思想も哲学も、

喜びもため息も大笑いも、

多分、宇宙の産物です。



宇宙が生まれたあの日から

宇宙はずっと試行錯誤をし、様々なモノを創造しています。


僕らもよく試行錯誤し、モノを創造するけど、

それは僕らが宇宙の分身であるからなんだと理解しています。




料理とか、折り紙とか、音楽とか、絵画とかいう

分かりやすい物体としてのモノも然り、

走るとか、話すとか、息をかけるとか、水をやるとか

そういうのもまた、人類の言うモノの定義には当てはまらないかもしれないけど、

同じように創造物なんだと理解しています。



なぜ宇宙は生まれたのか

それはつまりなぜ地球が生まれたのか、

なぜ人類が生まれたのか、

なぜ俺が生まれたのか、という問いとイコールであり、

その答えはすべて同じになるんじゃないかと考えています。



逆の方向も然りです。

人に感情があるなら、ペットにだってあるだろうし、

それ以外の動物だって、虫だって、植物だって、

石だって水だって風だって山だって

星だって銀河だって星雲だって

みんな感情を持っていると思うのです。


そして、人が人を生むように

星が星を生むように、

宇宙はまた宇宙を生むんだと、

そう考えています。



しかしなぜ宇宙は生まれたのか。

ここが非常に気になります。

2008年2月2日土曜日

インサイダーするやつが問題なのか

<中国製ギョーザ>公表前にJT株売り殺到 監視委が調査

インサイダー取引がよく問題になるけど、本当にインサイダーしたやつが問題なんだろうか。


同じ問題が何度でも起きるなら、間違いなく仕組みの方に問題があると思ってしまう。

インサイダーするやつを捕まえたって、問題の解決にはならないんじゃないかと。


生き残るという宿命を負ってしまっている以上、僕らはいろんな模索をしてしまうし、性格、容姿、知性、体力、、、人それぞれ大前提が異なるから、中には予期し得ない価値観を有している人もいる。

そんなこんなで、人の良心に期待はしたいけど、人それぞれ信じる良心は違うんだと思う。

期待ってのも、どこか価値観の押し付けが含まれているように感じてしまう。



専門家にはよく考えてもらいたいです。