2006年12月28日木曜日

意味わかんない!

という人がいるけど、そういう人には意味が分かるまで説明することにしたんだ。

うざいし!
という人には、しばらく待った後に「で、なに?うしざいし何なの?」と聞くことにしたんだ。

ありえない!
という人には、「あってはならない」に言い直すよう指摘することにしたんだ。

えー、あってはならねー

のほうがいいよな。俺はこういう方が好きだ。
やっぱ人生、いちいち可笑しいことを言うべきだと思うんだよ。

ありえない!意味わかんないし!

という誰かの声が聞こえる気がする。
ま、どうでもいいか、そんなの。

そろそろ帰宅していいかな。

まだ14時半だけど。俺、仕事納めだし。

2006年12月24日日曜日

きっと君はクリスマスイブ

12月24日だからって特にキリスト誕生の前夜祭を行う必要もないんだろうけど。
きっと君はこない一人きりのクリスマスイブ、うぉおお~みたいな、なんとなくセンチメンタルな日ってことになっている。
わが国では。



一人ぼっちのクリスマス

秋はどこへ?今や吐く息も白い
肩幅狭めて寒さをこらえながら
君の忘れていったマフラー首に巻いた

かじかんだ両手をポケットの奥で
暖めながら君を思い出した
それでも風が心まで冷やし続けていく

降りしきる雪で町はこれ以上ないクリスマス
一人ぼっちで街頭にもたれてる
あの子の夜空もこうして雪が舞い降りてるだろうか
左耳に残るあの歌を口ずさんだ

口を大きく開けて笑ってみたいんだ
確かあの時は腑抜けた僕の顔で
こらえきれず笑い出した君がいたんだ

気付かぬ間に僕らは立ち止まっていたのか
壊れかけてく階段を上りきれず
今凍えても僕のそばに君はいないんだ

僕は帰る道をもはや
忘れてしまったかのように
行く宛てもなく街道を歩いてる

あの子の記憶の中では
僕はもう思い出なんだろう
今は誰かの優しさに触れてるんだろう

降りしきる雪で町はこれ以上ないクリスマス
一人ぼっちで町並みを眺めてる
ああ
左耳に残るあの歌を口ずさんだ



懐かしい。
改めてタイプしてみたんだ。
当時、誰かにまるでマッキーの歌詞のようだと揶揄されたもんだ。

それと音の面で言うと、本当は伴奏をハモンドオルガンにしたかったんだ。
そっちのほうが絶対に決まったと思うけど、結局暫定で作成した自動伴奏+ギターのまま今に至ってしまう。

#最後のほうが音程狂ってるのは置いておくよ

正直、もうこの手の曲は自分自身飽き飽きしてる。
だから、気付いている人もいるかも知れないけど、リンクからたどれる魂のカテゴリーはUmm。
これは「うーむ・・・どうなんですかね。」という意味。
そんなの俺にしか分からないです。すいません。

でもあえて当時の心境を語るならこうだ。

俺の場合、満たされないことが快感だったりするからさ。
人生において問題はないよりあった方が刺激的だし、テレビドラマを見るよりも自分の生活そのものをドラマチックにしてしまい、主人公を演じ切るほうがよっぽど楽しいと思うんだ。

今も変わってないかな。

さて寝る

2006年12月22日金曜日

赤い魂

浦和のファンなの?

そういうナンセンスな質問をしてくる人がたまにいる。浦和で生まれ、浦和で育った俺が川崎フロンターレを応援できるかよ。

しかしなぜここで川崎フロンターレ。とおれすら思ってしまうけどぼく一応、川崎市民なのだ。

それにうちの会社、どういうコネがあってかフロンターレのスポンサーになっているようなんだ。社員はまず知らない。どっかの熱狂的なフロンターレファンがそれを教えてくれた。だが、それによって何かが変わることはない。

それから同じ赤色をチームカラーにしているのが広島東洋カープだ。言うまでもなく俺のひいきのチームだ。近年しばらく弱い。浦和と違って目立たず地味に弱い。今オフは黒田の残留話が美談として盛り上がっている。これ以外明るい話は特にない。広島ファンで有名だった元極楽山本も犯罪者になってしまった。今は八百屋で働いているらしい。それから俺が中学生のころ活躍していた佐々岡がまだ引退していない。それどころか2006年シーズンはカープ投手陣の中で唯一ローテーションを守り続けたのが彼らしい。なんとなくそれが広島の戦力のすべてを物語っている気がする。

余談だが元広島のソリアーノは今年もメジャーリーグで大活躍した。メジャー史上最速の200本塁打、200盗塁を達成したほか、メジャー史上4人目の40本塁打、40盗塁もやってのけた。

それと今後気になるかもしれないもうひとつの赤い魂がボストンレッドソックスだ。今オフ世界的に大ブレークしたマッツーこと松坂大輔の所属球団である。彼が日本の宝と言われるほどずば抜けた選手なのか甚だ疑問ではあるが、成年男子だというのにどことなく卓球の愛ちゃんみたいな顔をしているところは憎めない。しかし、レッドソックスは強いんだよ。松坂話でレッドソックスを知ったにわかな面々はしらんだろうが、デービッドとマミーは近年ではもっとも破壊力のある3番4番だ。

マミーってなんかいい。でもいつの間にかマルチネスがいなくなってるんだね。

ということで2007年は赤から目が離せない。

共産党のアカではないです。

2006年12月4日月曜日

浦和が優勝する日が来た

土曜日、ついにその瞬間が訪れた。
Jリーグって思えば高3の終わりに始まったんだ。たしか。
当時の浦和のレベルは、ことサッカーに関してはど素人だった俺が見ても、相当にいけてなかった。
ディフェンダーがボールをどかーんと、何となく前の方向の遠くへ蹴るシーンが何度も何度も繰り返された。

回顧してるよいま。

そう彼らはいつだって力いっぱいボールを蹴ったんだ。
遠くへ蹴った分だけ相手が次にゴールまで攻めてくる時間を稼ぐことができた。
蹴り上げるボールに他意はなく、クリアそのものであり、浦和の攻撃につながることは偶然以外になかった。

なのに時折点が入った。
3点も。
たしか、1シーズンに全部で3点もだ。
おそらく福田のPKも含まれていたと思う。
福田のPKは事実じゃないかもしれないけどそんな気がしてならない。

それまで改めてテレビ埼玉を見る機会はほとんどなかったけど、浦和の試合はけっこう見た。
見るたび、呆れるほど弱かった。
次第に阪神ファンの気持ちがなんとなく分かるようになっていった。


あれから10年以上たったのか。
日曜日、わけあって実家に帰った。
百合ヶ丘で購入したスポーツ新聞を埼京線の中で広げると、周囲の人がスポーツ新聞を読んでいることに気づいた。
よく見ると、俺の右の彼も、その右の彼も、満足げに赤い紙面を広げて新聞を読んでいた。

たしかにセルジオの言うとおり、浦和には五人の外国人がいるように見えるけど(アレックス、トゥーリオ、ポンテ、ネネ、ワシントン)、現代日本人の下手なサッカーをよりは見る価値あるんじゃないか。

とはいえ、ジャスコもスーパーもどこもかしこもめでたい優勝記念セールばかりだ。Jリーグが始まってからの年数分、この余韻に浸りたい。

そしてこの町の情熱もしばらく冷めそうにない。

2006年11月27日月曜日

性格平衡

斉藤モタさんが亡くなったことが大いにニュースで流れていてビックリした。そんな有名だったのか・・と。適当にモタモタ言っていたけど、その呼称が間違っていなかったってこともついでに驚いた。

みんなは彼の本を読んだことあるかな?

いい言葉は、いい人生をつくる

やっぱりこれがお勧めなのかな。ちょっと↑のリンクから買ってみてよ。アマゾンのアフィリエイトで一体ほんとに俺に金が還元されるのか試してみたいのでよろしく。買うなら中古の45円のとかではなく、一番高い新品にしてよ。

それはさておき、今日はこれは俺がよく吐き出す理論の一つ、性格平衡について言及してみよう。

性格平衡とは・・・性格も、熱平衡と同様、互いに影響しあって、やがて中間を取るようになるという性質のこと。

あの、、この言葉自体は俺が適当に作ったものなので当たり前のように他で使わったところで通じないよ。

でだね、常日頃、性格平衡が行われているとしたら、どうせなら不足ばかりを訴える人より、日々を謳歌している人の影響を受けて、そっちのほうへ平衡したいじゃん。

「同じ場所に二人の人がいます。一人は星を見て、一人は泥土を見ています。」ってモタさんの本に載っていた言葉をここでも引用したと思うけど、例えるなら彼は必ず星を見ちゃってるタイプの人と言えると思うのだよ。

ちょっとちょっとそこは単にモタさんが天性の才能をもってるからこそできることなんじゃねーの?それはちょっとした自慢だったりするんじゃないの?みたいな僻み根性を煽られる部分もゼロではないんだけど、なにごとも考え方ひとつでどうにでも変わるもんだなと、彼の本は切々と謳っているように思えるんだな。

な。

さてと、俺も今日は星を見ながら帰るかな!

2006年11月26日日曜日

結婚式で歌う

ってやっぱ侮れない。

昨日、友人の結婚式で歌ってきたんだけど今回はどうにも選曲に時間がかかりすぎた。歌詞を見てこれこそ歌うべき歌だ!と思ったのが木曜日の夜中で。それまでもさんざん探してきたんだけどどれもこれもしっくりこなくてね。

乾杯とかありふれたやつは嫌だったし、名曲関白宣言は「今日から俺がお前の家~」とか歌わなければならないけど、新郎が新婦のマンションに住まわせてもらってる印象が強いし、いやみにしかならないし、直前まで歌うつもりだったYourSongも英語ってのがどうしても腑に落ちなかったんだよね。

しかしネットの有料配信といってもすべてがあるわけじゃないんだね。その曲、ピアノとかオルゴールのインストだけしか見つからず、結局、翌朝(結婚式前日)、仕事を抜け出してツタヤでレンタルすることになったのだ。

仕事中、隣のダウンローダーT橋くんにMP3変換をお願いすると、なんとめっちゃ親切なことにアルバムの全曲に正しい曲名を入力してくれたのだ。これだよなと思った。この何気ない親切心が世界中の人々の親切心血流のポンプになるんだよなと。

まあそういう親切心に依存してばかりの俺だが、192KbpsのMP3変換された曲を聞いてみた。

「おお、これならいけそうだ」

瞬間そう思った。日本語だし、結婚式向けの歌だし、歌詞の内容もほとんどOKだし(まあ、100点ではない。彼が作詞において、その納得いかなかった部分を妥協したことは俺も詩を書くのでよくわかる。)、オーケストラサウンドに近いアレンジでシンプルではなかったけど、俺、一応音楽やってるんで、耳コピというか、コード進行がすぐわかるからね。それに、中にはどうあがいてもアコギじゃ無理でしょって曲もあるんだけど、この曲は、そうじゃなかった。

帰宅後、察しをつけたコード進行をトライし、ベースラインを微調整し、ギター一本で盛り上がれるようにそれとなくアレンジし、自分の一番出しやすい音程を探り、なんとかその4分間にクライマックスを迎えられるよういろいろ模索した。練習時間は、合計2時間くらいかな。

しかし練習時に一度も通して成功していない曲を本番で歌うのはやや無理があったな。本番中、やっぱり間奏とエンディングでギター伴奏をどうまとめようか真剣に考えこんでしまったもの。そしてそれは間違いなく会場のみんなにも伝わっていたはずだ。自分の声を拾うマイクの音が大きすぎて、ギターの音は聞こえないし、サビでは振りかざしたストロークがマイクにぶつかるし、ああ見えて、歌いながらいろいろ調整して大変だったのよ~。

プログラムにたとえるなら、不測のパラメータが次から次へと入力され、アベンド(Abnormal End = 異常終了)しかかったけど、臨機応変メソッドを定義してそれを回避し続けた・・。こういうことかな。うまくないな。

それでも堂々と歌っていたようで、そこは感心されました。さすが俺だ。

 

っちゅーことで、パソコンの乗り換えがようやく完了しつつある。今日はX60での初めてのHP更新だ。DreamWeaverも実に軽いよ。

2006年11月22日水曜日

ノートパソコンが

壊れて、電源が入らない。ホームページの更新もできない。

けど、今日、新しいのがやってきた。

thinkpadのX60だ。これは性能がよい。

CPU:2GHz
HDD:120GB
Memory:1GB


どうだすごいだろ。



Thinkpadは4代目だ。X23、X31、X40を持っている。X40は会社のだけど、ちょっと買いすぎかな。それに壊れていたと思ったX31もなんかこうして今、普通に動いている。

実はX31も性能がまあまあよい。

CPU:1.6GHz
HDD:40GB
Memory:768MB

十分だ。




だから?
といったところで寝ます。

2006年11月9日木曜日

心の薬

ういっす。

風邪で息苦しく寝れぬ夜が続いてしまいました。昨日意を決し、滅多に行くことのない内科に行きました。車はないし、自転車はパンクしてるし、キックボードに乗るほどの気力はないし、歩いて行くしかありませんでした。スピードは、よぼよぼのお婆さんやベビーカーを押すお母さんに抜かれる程低速でした。

ああ、なんてざまだ

なんて考える余裕もなく、ただひたすら駅の向こうの病院を目指しました。黒いガラスに映る自分を見て、その歩幅のなさを実感しました。駅のその先の250mがいやに長く感じました。絶不調な時に見知らぬ病院に行くには勇気が要りました。朦朧としながら待合室で待機していると、ドクターらしき人が目の前を通り過ぎていきました。

「おっ風邪引いたかっ!」

一瞬こっちをみて、歯切れよくそう言って去っていきました。瞬時に人間性を垣間見た気がしました。ドクターは経験を持っていました。僕の曖昧な記憶よりも、的確にその症状の始まりと経過を言い当てました。月曜日から予感があったので、カイゲンを飲み続けていたことをいうと、

「カイゲンじゃだめだよー!効かないよー!」

と大笑いしました。ナースも笑っていました。でも、確かにカイゲンに書いてある効用と症状がぴったりだったんですけど。

「いい薬出しますからね。すぐに楽になるよ~。」

どこか暗示に掛かったようでした。心の薬はこうして処方されました。診察の直後、明らかに気分がよくなっていました。

でも、帰りは情けないけど駅からタクシーに乗りました。

 

キャノンデールよ、再び

で。今日は自宅療養ということで時間があるので、いろいろネットサーフィンだ。



U-17 彼、柿谷というそうだが実にうまい。流行のYou Tubeを取り入れてみました。

ところで街乗り用の自転車を買わねばならない。そう自転車といえばキャノンデール。俺の憧れ。割高感が拭えずいつも買わずじまいだけど。

今日、久々にめぐり合えたんだ。一年半ほど前に落札し損ねたF400のこの黒と黄色のこやつに。

当時、20万弱の値段が付いてて、ためらった隙に持ってかれてね。しかも今回は5万円でしかも残り日数が1日!

これは運命か!俺に買われるためにお前はそこで売られているのか!売主の彼が言っているヘッドショックのまずさは何とか別のと交換することで対処できそうだな。ふむふむ(ネットで調べまくり)。ちょっと手間が掛かるけどまあいいか!買うか!さて落札ボタン押すか!

最後にもう一通り写真を確認してと・・

あ、、えーー!

と。ここで重大なことに気づく。よく見たらギアがない。致命的だ。これじゃ俺の丘は走れまいよ。ギア付きに変えるとしたらとんでもなく大改造になってしまう。それならフレームだけ買ったほうがまだいい。しかし簡単にフレームから組み立てることができるくらいなら自転車屋さんがいらないって話だ。キャノンデール特有の工具とか必要そうだし。

はー残念、今回は平地の人に譲るか。

ところで風邪はほぼ完治したよ。まだ咳き込むけど明日からまたよろしく~!

寝る。

2006年11月3日金曜日

宿坊

息が白い。ここは寺。21:53。布団の中。

ガラス格子の扉の向こうは100以上の位牌がひな壇のように並んでいる。うーん、心地よいとは言い難い。

時計は少し進んでいて、今、22:00を告げる鐘が10回鳴った。俺の耳元だ。って待てよこれ。30分に一度、夜通しなり続けるってことか!?

そもそも、今回のお誘いについて電話があったのは昨晩。日中、たしかに

「座禅しに行きません?」

とメールはあったけど、翌日だとはな。こんな企画を考えてくれるのはもちろん彼しかいない。俺のいっこ下の、同じ誕生日の彼だ。

ここ暫く個人的なことがまったくできない状態だったので悩んだんだが、座禅という沈黙の中の神秘的な儀式に以前から興味があったし、漠然と宗教全般に関心もあったので、いっちょ行ってみることにしたのだ。

登戸、府中本町、新秋津、秋津と乗り換え、飯能に到着したのが14時過ぎ。

しかしあれだ、飯能といえば、駅周辺にビルはなく、ロータリーの木々は枯れ、ベンチはやや風化しかかって、、どこか時代に取り残された感じがたまらなく哀愁。

などと勝手な想像していたんだけど、着いてみると普通に駅ビルあるし、スタバもあるし、ミスタードーナツもあるし、松屋も吉牛もあるし、たくさん人いるし。哀愁なのはむしろ百合ヶ丘の方だし。ということでちょっと寒かったのでユニクロでフリースを買った。便利な町じゃねーか。


ここは秋津。


飯能からのバスの中。


次はつくえー。つくえー。京急のYRP野比も驚いたが。


埼玉県民におなじみの国際興業バスだ。飯能駅から1時間ほどかけて終点、名郷に到着。


ふと下を見るとビ、ビニールの手袋が!いきなり事件発生か!


なんて、旅に出るとどうしてもそういうのを期待してしまうわけで。


のどかだ・・。


ああ、さっきから言ってる彼はいちだい君。

シャッターの瞬間そっぽ向いちゃったけど、ちょっとにやけてますね。


寺発見。


お寺の奥さんに撮っちゃ駄目なところを尋ねたら、特にないと言っていたので安心してとりまくる。


この右の猫・・


だいぶ俗っぽい。金運か。。

でだ。

寺に上がると、既に先客が4人来ていた。しかしなんだかみんな無言なのだ。座禅の予行演習か、ただ単に人見知りなのか、人に興味がないからなのかよく分からなかったが、とにかく全員無言。超寒いのに寒いとも言わず、肩幅を狭めているだけなのだ。みんなすごい。

そこでいくつか質問を投げてみることに。

Q1.寒くないですか?

寒いです。(みんな)

Q2.どこから来ましたか?

東京です。(みんな)

Q3.ブディストですか?

ブディスト?ああ、仏教徒ではありません。(みんな)

だめだ会話が弾まない。みんな一人で来ているようだったが、核心の寺に来た理由についてはやっぱり俺も聞けないし、諸事情あるんでしょうから、名前も聞けない。写真もへたにとって、写ったりしたら怒られそうだから撮れない。

そうこうしているうちに、住職現る。そして開口一番、

「え?寒くないですか!?扉閉めていいんですよ。」

ああ、玄関の扉が全開じゃねーか。

「お茶も飲んでくださいね。」

ああ、お茶あったのか。

きっとみんな郷に入ったら郷に従うつもりでいるんだろうが、仏教という特殊な郷のルールをよく分かっていないため、ひとまず可もなく不可もなく何もしないでジッとしておこう、という流儀を貫いているようだ。

「このお茶がえらい薄いのも修行の一環なんですかね。。」

「どうなんですかねー、はは・・」

ということで、ちょっと文章書くのが面倒になってきたので、スピード上げますが、その後は、40分座禅して(苦痛)、説法聞いて(なるほど仏教)、精進料理食って(粗食ではない)、20時ぐらいから順番に風呂入って(広い)、寝たい人から寝て(寝れない)。。

 

で、就寝の前の、修学旅行だったら枕投げをする時間に深く会話をしたのが今まで20カ国に行ったことのあるニコヤカくんと、10代の頃をパラグアイで過ごしたシュウちゃん。

#シュウちゃんという呼び名は後日(この二日後)聞くことになる。

ニコヤカくんの方は、カナダに留学いていたというので、オーロラを見たか聞いてみた。

「オーロラならフィンランドで見ましたね。ふと窓の外を見たら一瞬だけ見えたんです。フィンランドは出張で行ってたんです。」

とニコヤカに言っていた。

それは妖怪ではなかったのか?と聞き返したんだが、残念ながら普通にオーロラだったようだ。しかしオーロラなんてそれくらいがちょうどいいよな。高い金払ってオーロラツアーに行くなんて馬鹿馬鹿しい。やめよう。

それからシュウちゃんの方がまたすごくて。このお方は、座禅の最中に遅れてやってきたので当初の沈黙メンバーにはいなかった人。いたら雰囲気間違いなく違ったと思う。

彼はほんと守備範囲が広いのだ。どんなネタにもついてこれるし、というより、だいぶ先を行ってるのだ。いろんな話に聞き入ってしまった。ついでにスペイン語を操るシュウちゃんに俺のうる覚えのスペイン語が正しいのか確認してみた。

?Que hora es?(今何時ですか?)

Adios amigo, hasta la vista!!(じゃあ友よ、またな。)

あと、

tener que (=have to。~しなければならない。)

おおー、使えねー。使えないスペイン語3フレーズしか覚えてない。だてに再履修していない。ちなみに、パラソルもスペイン語だ。

para sol(=for 太陽)

しかもシュウちゃん、実家の最寄り駅の駅ビルに入っているマッサージ屋さんのオーナーでよ。俺、その店の前、何度も通ってるし。三宿通りの奥のタイ古式マッサージの話をしたら、どうやらそこにも店を出す前に勉強で行ったことあるって言ってるし。その他もまあ、実にいろいろやっていて。


で、ここが寝室。奥が位牌堂。

ちょっとお化けがでないかと期待しつつ、電気を消したが普通に寝てしまった。

浅い意識の中で聞こえてきたのは鐘の音だった。その鐘は12回鳴った。0時なら0回でいいのに。。

しかし、妖怪にはなかなか会えないもんだ。

 

宿坊二日目


水墨画のような朝だ。↑クリック

えらい寒い朝だった。

座禅は壁に向かってするのが正しいそうだ。今回は窓を壁と見立てやったのだが、鳥は飛び交うし、気を抜けば、あの俗猫に視線が行ってしまうし。


笑いを堪えるので精一杯だった。


雑念だらけの座禅後の掃除。


美しい朝食。

食後はお湯を注ぎ、漬物でごしごしと綺麗にし、それを食す。確かにそれ正解かもしれない。

それとこの器、ちょっとずつ大きさが違って、見事に簡潔に重なるようになっている。


写経。1000円也。


他のみんなは帰ったというのに、しゅうちゃんとの会話はとめどなく続き、結局この後温泉に行くことになる。

ロサンゼルスドジャースのキャップをかぶった郵便局のおっちゃんが、勧めてくれたのが、


この大松閣の温泉だ。


たしかによい見晴らし!


皇太子殿下がごひいきにしてくださるんだと、誇らしげに地元愛を語る姿がなんとも謙虚で美しかった。


別館の食事処で、2800円の御膳を頂く。雰囲気も相まってうまかった。

 

まとめ

座禅しにくる人たちはむしろ、煩悩の赴くまま興味本位で動くタイプが多いんじゃないか、という俺なりの結論に至った。ゆえに気がよく合う。

それと説法を聞いて、表現の違い、実践方法の違いこそあれ、抽象化すると世界中のどの神様も同じになるんじゃないかという思いがより強まった。住職の言葉にもあったとおり宗教は生き方の教典に他ならない。

 

楽しもうという心があれば、人生何もかも楽しい。それに、人の喜びを自分の喜びに変えることができるなら、その幸福はより間断なく訪れるんじゃないかと考える。

 

2006年10月31日火曜日

おっちょこちょい

昨日、妖怪おっちょこちょいが現れ、ネットワーク上のフォルダーを消してしまった。数日かけて作ったエクセルマクロが二度と帰らぬものとなり、ほんと困ってる。俗にいうファイルの復元(ゴミ箱から消したファイルを復活させること)も試みたのだけど、どんなツールを使っても見つからず。ああ。



筋肉痛引かず


先日大人の運動会(魂パウンド企画)に参加し、十数年ぶりに全力疾走をしてみた。こんなところに筋肉あったのかよ、ってくらい全身筋肉痛。会社に行くのが非常に辛い。高速に歩けない。


この扇は綺麗なんだけど


こっちは扇になってないよね。

とにかく笑いの止まらない運動会でした。

こんくらいの顔出しならOKだよね?

 



俺のマイダーツ


ダーツバー経営のNさんの影響が波及してるのか、最近、どうもダーツをする傾向にあって、ついに!

ついに俺もマイダーツを買ってしまった。

ああ、これでダーツのせいにできなくなる。


シンプルに組み合わせました。

タングステン90%でいいらしい。よく分からない。

たまには卓球もしましょう。



だめだ眠い。寝る。

また明日。

2006年10月28日土曜日

ジョンカーワン

今日も食った。晩飯の後にアイスクリームの乗ったハニートーストを。普通に一斤あったなあれ。3人でも食いきらなかった。

そう、今日は後半ズバズバ20のトリプルが出て、535点の自己ベストを記録した。あれだね、欲を出さないほうがいいもんだねダーツっていうのは。それとは別に高得点を狙う裏技も発見したし、600点をオーバーする日もそう遠くなさそうだ。誰かこの秘技について知りたい人いるかな。まあ、これはかなりせこい技なので笑いを堪えられるかがキモになる。いやー、ほんと

うわー、蚊だ。蚊がいるよ。この季節におかしくね?

ところで。ここのところ確かにメールの返信やら滞る傾向にあるけど少し許してほしい。

電話したらちゃんと出てほしい
メールしたらできるだけ早く・・
僕らはそう、彼らもそう、誰もがそう思ってる

いつかの歌、ハイド&シーク。よく分かってるってことで。

ジョンカーワンについては各自調べておくように。ワールドカップで2勝すると言っています。

ではねます。

2006年10月25日水曜日

おかし

午後はおかしが食いたくなる。午後というより、食事の後に必ず甘いものが食いたくなる。満腹なのに普通に菓子パンを食ったりする。この衝動のメカニズムが何を意味するのかは俺には分からない。でも沸々と湧き出るこの衝動は確かで、隠しようのない事実だ。

今日もしょうが焼き定食を食った後、それは訪れた。

・どうぶつチョコクッキー
・ラングドシャホワイトチョコクッキー
・駄菓子屋さんのきな粉あめ

購入したのはこれだ。いっぱしのサラリーマンがこれを手にしてレジに並ぶのは勇気がいる。やはり誰かに頼まれて買わされてる感はうまいこと漂わせる。時にはかっこつけて煎餅とかも購入するがこれはカムフラージュに過ぎない。

いつかリアムが「俺はエルヴィスと同じレベル」と抜かした。

今なら俺にも言える。俺もエルビスと同じレベルにあると。あまいもの好きという意味で。

by 押尾ギャラガー

2006年10月19日木曜日

妖怪に遭いたい

昨日から考えていたんだけど妖怪はむずかしいな。

Wikiの妖怪一覧によると妖怪は幽霊をも包含する感じだ。どうやら理屈では説明の付かない事象(自然現象とか事件とか)を説明するときに古人は妖怪の存在を仄めかしたようだね。

リンが発火する人魂もそうだし、木霊や山彦もある意味、妖怪なのかもしれない。そういえば東京が大空襲を受けた時には無数の屍の上をいくつもの人魂が浮かんでいたと聞いたよ。

お岩さんは単なるハンセン病患者かもしれないよね。

ゾンビもね、時折、人は心肺停止後に蘇生するからね。

だって想像してもごらんよ。誰だってハッと目が覚めた時、暗闇に閉じ込められていたらびっくりするだろ?とにかく脱出しようと、出してくれよとドンドン叩いたりするのはごく当然のこと。当の本人はまさか自分が棺桶の中にいるなんて知りっこないんだ。

まあ土葬の西洋ではこういうことが普通に起こりえるわけだ。

うらめしやーのお化けや、あのキョンシーの腕が前に上がってるのは、死後の筋肉の硬直によるものだよね。やましいことでもあると都合悪く解釈しちゃうんだろうね。

金縛りもね、疲れ果ててると誰でもなるし、心霊写真とか幻覚とかもね、人間はものを認識する時にまず自分が知っているものに照らし合わせるらしいからね。写真の中に黒っぽい点が三つあったりすると、

人の顔だ!

とかね、だって目が二個と口が一つあるじゃんよ、となんとも勝手な判断を下す傾向にあるらしいよ。

それからこれは毎度言うんだけど、ほんとに心霊がいて、心霊写真があるのなら、ゴキブリの霊とかさ、蚊の霊とか大変だよ。みんな殺しまくってるんだから。そこら中怨霊だらけだよ。でも見たことない。

妖怪というと古風な感じもするけど、概念的には宇宙人やUFOやミステリーサークルも含まれるんだろうな。そういえば宇宙人に連れ去られたって話をたまに聞くけど、実は幼少期に記憶した母親の顔がなんかの際に蘇ったに過ぎないって説があったよね。

やまんばは食い扶持減らしのために子供を間引きしたって話が発端になっているらしいし、河童は川に流された奇形の子供だとかいう話もあるくらいだ。

人間って都合のいい生き物だと思うよ。先日アイドルがテレビ番組で熊の刺身食ってうまいうまいと唸ってたからね。

とはいえ、俺んちのレンジに忘れた頃にすごい古い食材が入ってることがあるんだけど、あれはキジムナーの仕業だと思うな。それから俺のものを次から次へと隠すのは間違いなく神様だと思う。それに雪男なんてただのイエティーだと思う。

まあ、世の中にはこんな人もいるわけだし。何が本当かわかんない。

 

ところで、百合ヶ丘駅からの帰り道、暗がりの長い長い竹やぶの脇を通っていたところ、一人で不自然な動きをしているおばさんに出くわしたんだ。よく見ると、誰もいないのに身振り手振りしながら大笑いとかしてるの。決して携帯を持っていたわけではなくてね。顔ははっきり見えなかったけど。あれは妖怪かイヤホンマイクしてるかのどっちかだと思うよ。

ということで、妖怪に会いたいなら百合ヶ丘だね。この前は全部退治したから俺んち来ても大丈夫と言ってしまったけど、やっぱりもうちょっと残ってるみたいだからおいで、と。

康平にそう言っておいて。

2006年10月18日水曜日

グーグルのエクセル

グーグルスプレッドシートのβ版が公開されたのでトライしてみた。

でもやっぱマクロが書けないのは痛い。

2006年10月17日火曜日

サラダうどん日

今年の夏、俺はサラダうどんを主食として乗り切った。

昔からね、好きなものを食い続けて、飽きるまで食い続けて、満足したらもう食べない、そういうやり方を貫いてきている。俺の生き様として。

でもその波はしばらくするとまた押し寄せてくる。だから食べ続ける。そして食い飽きる。別のもんを探す。

幼い頃の俺の夢は、大人になって好きなだけ生クリームを食べることだった。その夢は見事叶えられた。いい加減最近はさほど生クリームを食べたいとは思わない。

ところでサラダとうどんのコラボレーション、サラダうどん。これは大きく、次の3つの要素から成り立っている。

・うどん
・レタス
・かつおぶし

どれが欠けても俺の定義するサラダうどんにはなりえない。味付けは要素に加えるまでもないと判断し割愛した。それについていちいち言及することは、サラダうどんを食べるには時間と空間が必要である!と訴えるのと同レベルにナンセンスだからです。

です。

他は何でもいいと思う。

例えば食材は、トマト、きのこ、わかめ、きざみ海苔、シーチキン、調味料は、麺つゆ、ゆずドレッシング、少量のマヨネーズなんかがよく合う。やはりぶっかけうどんをイメージするなら、柑橘系の香りは欠かせない。

まじでうまい。

と俺が思うから 10月17日も サラダうどん日

by 小唄ギャラガー

 


犬が素潜りしてます。

2006年10月14日土曜日

へい!

めちゃめちゃ歌の上手い君にもったいないと言われると、本当にもったいない気がしてくる。

そうだな。

しかし、プロのシンガーってある程度の地位を築くまでは金を稼ぐことが目的になるわけだろ?カウントダウンTVとか見てると反吐が出そうになる。俺はああいうの完全に拒絶だからな。

そう、ギャラガー兄弟のように音楽がやれたらよかったと思うことはたまにある。ノエル(兄)が作曲兼調整役で、リアム(弟)は歌うのみで好き放題やってる。ライブの途中ですねて歌わなくなるのも彼なら許される。ボロクソ言われようと、できるならリアムの役回りがなんとも理想形だ。

思えば我が家も俺なんかより兄のほうが余程真面目に音楽をやっていた。兄は小中高とブラスバンドでトロンボーンやホルンを操っていたし、たしか中学時代はプロの奏者になるだとか抜かして親を困らせてたし、高校時代はなんちゃらフィルハーモニーの奏者のレッスンを受けていたはずだ。実際兄は鍵盤もギターも少なくとも俺よりも上手だったし、歌も音楽の先生に学校で一番上手いとべた褒めされたらしい。

俺は音楽部に所属したこと一度もないんだよな。

あいにく兄とは「光と陰」とM生さんに揶揄されたほど見た目も中身も似ておらず、

#陰は俺

音楽の感性もまた兄のそれを理解し難いし、なぜなら兄は、いつでも口だけパクパク動かして生意気なことを言ってそうな東大上がりの、蹴っ飛ばしたら吹っ飛んでいきそうなもやしっ子の、クラシックのみが正しい音楽だと勘違いしている指揮者の親戚であるシンガーを好んでるくらいなんでな。

なんでな?

良い悪いではない。ただ同じ音楽ができないってこと。同じ親から生まれたのに不思議なもんさ。

しかし崇高なジョンに比べ、ポールはどうなってんだろうか。

P・マッカートニー、自身の名前の商標登録を申請

限られたリソースを奪い合うのは俗人のすることだ。賢者は心の奥に広がった不可侵な広大な世界に気づくはずだ。

 

なんにせよ、自分の意思ではなく、みんなの沸々と自然と湧き出る思いで担ぎ上げられた時、それは成功するんだと考える。

by 小唄 ギャラガー

2006年10月12日木曜日

京都について

東京都から東を取ったら京都だって知ってた?東の京が東京で、その間が中京ってことはいつか聞いたことがあったけど。

それから中国の首都は北京で、日本の首都は東京。あと、京といえば、歴史的に問題のある南京も有名だ。

それと、もちろんといえばもちろんだが中国には東西南北の京がある。京に対する相対的な方角を頭につけただけなので、洛陽なんかは時代により、東京、西京と呼び名が異なったようだ。

つまりだ。

東京もこの先、西京になる可能性があるってことだ。その時はたぶん千葉が首都になってる。千葉都。

うーん、埼玉都。栃木都。神奈川都。群馬都、茨城都。

北海道都、いや、北海都、青森都、秋田都。

だめだ、どれもしっくりこない。

ところで京都って都だっけ?県だっけ?

真剣にググったところ、京都県でかなりヒット。

京都県 by google

2件目にチャクウィキなるものによる説明があって。

 

ウィキ

京都 by chakuwiki

ウィキペディアのパロディで実に面白い。

chakuwikiは、バカが、バカなテーマで、バカな情報を集める場です。

だって。

京都について「海に面している事を他県民の80%は知らない。」とあるけど、関東の人はほぼ100%知らないだろうな。しかし、読んでみると見た目を変えた2ちゃんねるに見えてくる。けれどずっと見やすいです。

ちなみにウィキペディアもチャクウィキもウィキの活用法の一つに過ぎないです。

ウィキとは。

いつか仕事のプロジェクトでウィキを有効活用しているところがあってね、その時感じた一番のメリットは検索エンジンを搭載していることだったかな。ぐいぐい業務用語とかとかを調べられてね。自分がプロジェクトを持つとしたらウィキかグーグルデスクトップのどっちかは必ず導入すると思う。

・秀逸な記事より

自宅から2kmのスポーツクラブに車で行き、ウォーキングマシンで2km歩くのが東京人。 (東京)

神奈川県地図(神奈川)

成功者はベンツで山田うどんへ行く。 (埼玉)

なるほど。

 

 

西京と言えば

現在、西京と言えば山口をさすらしい。西京銀行なるものもある。山口と言えば、総理大臣を圧倒的に多く輩出している県であることは有名な話だ。

山口県出身の総理大臣

それから岸信介の孫である安倍総理もまた山口出身だ。

2006年10月5日木曜日

相対性理論

多分、何もかも相対的ということ。光を除いては。

我が家から北の方向にある百合ヶ丘駅までかっとばして9分で着いたとしても、ひょっとしたらものすごい勢いで南方向に進んでいるかもしれないっちゅ妙なことに最近気づいた。

考えてみれば確かに僕らの住んでいる地球は自転をしていてだ、公転もしているし、太陽系自体も銀河系から離れていってるわけだ。さらに今のところ宇宙そのものが膨張していることになっている。

そんな状況下で自分の北に向かう速度をどう表現することができるというのか。

ことの善悪の判断にも同じことが言えるんじゃないか。

一つ外側の視点でものを考えられるようになると、それまでの思想はあっという間に覆される。

どこにとどまって正義と主張するか。

要はそれだけのこと。

とか言ったらはかな過ぎるけど、僕らは人類の一員として心地よく生きるために、今日もまた一つ別の視点の存在に気づき、過去の自分に別れを告げようとする。この繰り返しが新しい価値観を創り出し、新しい未来の礎となるんだと考える。

「人は知らないものに優しくできない」

by 倫理学の小原信先生

確かに確かだ。

 

北って。

「しかしそもそも北って何よ。」

とか問われたら面倒なので

「自分の胸に手を当てて考えてごらん。」

と多分俺は答えるよ。

ここに過去と現在と未来の北極星が紹介されているのでよかったら。

2006年9月10日日曜日

永遠なのは宇宙だけ

と、宇宙授業という本にかいてある。

宇宙がビッグバンにより始まった、ということはもはや現代における定説になっているようだ。
それからやがて収縮していくのが、そのビッグバンのストーリーの終焉だったと記憶していたけど、ここ2、3年の間で、宇宙はこのまま永遠に広がり続ける、ということになったらしい。

ああ、ここにそんな記事がある。

宇宙の年齢は137億歳!?

しかし永遠という概念めいたものが、現実世界において存在しえるんだろうか。

誰かの言った言葉に

「永遠とは始まりがあって終わりがない。終わりがないといっても、あくまですべての終わりまで存在すること。」

てのがあるけど、それってやっぱり、僕らの認識の範囲外には終わりがある、といっている。
仮に宇宙が生まれたとするなら、やっぱり宇宙は死ぬんだと思う。
この生活も僕らの知っている宇宙の一端といえるが、何一つ未来永劫不変と思えるものはない。
時間も空間も終われば、それらを包含する宇宙も終わるんだと思う。

宇宙の生まれた場所

それから気になるのは、ビッグバンがどこで起きたのかということ。
宇宙の外という概念はどうやらないらしいが、ならばビッグバンはどこに起きたというんだろう。
これは宗教的にも非常に繊細な問題だ。
ナンダカを逆算していくと、宇宙はひとつの点になるそうだが、その点は一体どこに始まったのか。

たぶん浦和でないと思う。

でもひょっとしたら奈良県の方かもしれない。
しかし、その点こそが宇宙の源であるわけだから、その点の外は概念としてはないはずなのだ。
概念としてないはずのところに宇宙ができたというのが腑に落ちない。

時間は未来への一方通行というけれど

空間はビッグバンで一気に膨張したということになっているが、時間はその少し前から存在したらしい。
さらにその前には虚数の時間が存在したらしい。
しかし、虚数の時間とか理解の範囲を超えることを言われると肯定も否定できないので困る。

近ごろ、こうして俺が今考えたことはすでに昨日考えた人がいるんじゃないかと思えてならない。
昨日どころか、数年前、数百年前、いやそれよりもっと前に考えた人がいるんじゃないか、と。
俺の将来なりたい俺にすでになっている人はいるだろうし、ひょっとしたら俺も誰かのなりたい姿の一部を実現しているかもしれない。
そうすると、時間は確かに過ぎ去るのみだが、 魂において過去も未来も現在もないのでないのかと感じることがある。

一体俺はこれから何代たどるとプラトンやソクラテスや孔子のようになれるんだろうか。

光を伝える物質

宇宙では空気がないので声は伝わらない。
声を伝える物質が空気だとする。

宇宙には空気はないけど光は伝わる。
光を伝える物質は何だというんだろう。

エーテルと相対論(1920年、アインシュタインの講演)
ちなみに重力は光の方向を曲げてしまう。
ブラックホールに飲み込まれた光はどうなってしまうのか。
ところで光って物質なのか。その答えはここにある。

粒子説と波動説
イーサーネット

宇宙人はいるか

という問いがあれば、みんなは「いる、 なぜなら僕らが宇宙人だから」と答える。

地球以外に知的生命体はいるんだろうか。

この問いにどっかの誰かがこう答えている。
確率的には、この宇宙にひとつやふたつではなく、万とか、それどころの桁ではすまないほどいる、と。
しかし何を持って知的生命体と判断するんだろう。
僕らの五感で感じ取れる情報は宇宙のほんの僅かな事象に過ぎないかもしれない。
仮にまったく異なる五感をもった知的生命体に出くわしても、僕らは出くわしたことに気づかない。
それを知的生命体だと認識できない。
奇跡的にまったく同じ五感を持った宇宙人がいれば同じインターフェースで会話ができる。

送受信はこうやって行われる。

発信側はまずシナプスで送りたい信号を決定する。
次に筒の中にある声帯という幕を震わせ、空気を振動させる。

受信側は餃子みたいなアンテナでその空気の振動をかき集め、
鼓膜といわれる薄い膜でそれを受信する。
そしてシナプスでその意味を解析する。

スターウォーズではへんてこな形をした、 といってもどう考えても擬人化された生命体と、地球上の生命体である僕らのやり方でもって会話をする。
仮にその方法で会話ができたとして、生まれた星、育った環境、生きる上で必要なもの、姿かたち、美意識、きっとそのすべてがアメリカとイラク以上に違うだろうから、同じ目的を有することはまずないと想像がつく。

地球までこられるような高度な文明を擁した宇宙人がいたら、彼らは人類の存在の希少性を知っているはずだろうから、よくある宇宙戦争のようにはならない、という人もいるが、それはどうだろうか。きっと宇宙人は地球人を攻撃するつもりなく、攻撃をしてしまうのではないかと考える。
いろんなヒットアンドアウェイで僕らの趣向嗜好を探るんだろうが、目指すものの違う生命体が織り成すヒットアンドアウェイを僕らが果たして耐えられるんだろうか。
その時がきたら、アメリカという国があるかしらないが、そういったでしゃばりな国がステルス戦闘機よりさらに進化させた機体で最新鋭のレーザー砲と瞬間移動を駆使し、人類のため良かれと攻撃をしてしまうんではないだろうか。
同じ人間だって会話の成り立たない人がいるくらいだ。
宇宙にそう簡単に通信の成り立つ相手は見つかるまい。

それでも新たな可能性を模索してしまうのが僕らに仕組まれた宿命でもあるわけだ。
この宿命も宇宙を継承しているような気がしてならない。

ここでいう継承はコンピューター言語で言うところの継承。
今のすべてのスーパークラスはObjectだけど、そのうち、Universeとかにならんかな。

class Universe{
}
class Human extends Universe{
}

ステルス戦闘機

昼間公園までランニングをし、そこでパンツいっちょでベンチに寝転がり本を読んでいたところ、 ガサガサ枯葉を掃除するおじいさんが俺のベンチのところまでやってきた。
すぐ脇をガサガサやっているのに、ひたすら寝転がって読書をするのはやや失礼かと思い、体を起こしおじさんを見た。
ようやくおじさんがこちらを見たので挨拶をすると。

「いいよ、寝てて。しかし暑くないのかい?」

「いやー、暑いですけど、家で本を読んでいるよりは健康的かと思い。」

「勉強をしてるのかい?」

「宇宙の本を読んでるんです。宇宙の捕らえ方が近ごろまた変わってきてるんですよ。」

するとおじさんがみるみる話し出したのだ。
この瞬間を待っていましたとばかりに。
まずはオハイオ州の火星から飛来した隕石の話だった。

「隕石ってのは白いんだね!」

手を隕石大にかざし、その瞬間を思い出したかのように感激を伝えてくれた。
なんでもおじさんは、アメリカの軍人と関係があり、その場所に行ったのは日本人で7人目だと言っていた。
ステルス戦闘機やアパッチにも触ったらしい。

それから佐世保の出身で原爆を見たとも言っていた。
数年前、原爆を落とした、まさにその飛行機を写真に収めてきたんだが、奥さんに見せたところ激昂され、破られたそうだ。

日本人の馬鹿

そう、書いてある昔の施設を残したアメリカの歴史記念館にもいってきたとか。
当時の日本人とアメリカ人の写真を並べ、そもそもこんな格好をした日本人がどうしたらアメリカに勝てるんだろうか、とかいうことも書いてあったらしい。

どこなんだろ。

スペースシャトルはうちのが見たらしい。

そろそろ月にもう一度人間が行こうとしていること、スペースシャトル計画が失敗だったことを教えてあげた。おじさん、感慨深げにあーそーなのかいと頷いていた。

スペースシャトルの後がまオリオン

おじさんの年齢は68歳。まったく正体は不明だったが、アメリカの大学から日本語の先生をやってくれと頼まれてもおり、来月には十数人のアメリカの学生が日本にくるんだとか。
合掌造りの飛騨高山を案内するつもりだったけど、登戸にしたと言っていた。

こけそうなほど違う気がしたけど、登戸には時代ごとの古い建物とか、岡本太郎のなんやらもあるらしく、けっこういいらしい。

「バンクーバーでは、1600坪の白人の家に住んでたんだよ。
神宮球場と同じくらいの大きさだよ。その夫婦は庭で乗馬をしててね。
でかいのはいいんだけど、なんもなくてね。
2、3日いたら飽きちゃうよあんなのー。
それにあっちは犬も食わないような肉ばっかで、
てんぷらって言ったってチーズのてんぷらだよ!
んなもん食えるわけないよ。あはは。それから、小僧寿しじゃなくて、、 」

「すしぼっくす?」

「いやー、 それでもない。」

すしぼっくすだったらもう少し絡んであげようかと思ったんだけど。
しかし共有知識のヒットアンドアウェイをすると止め処なく会話が終わらない。

「そこのスーパーの寿司係は中国人でさ、握りの寿司を重ねるんだよね。
だから、それをレジに持っていくとさ、一個分の値段で済むんだよ。
ほらまたやったーラッキー!とかね。いつもやってたよ。」

去り際、 ワシントンについてまた話し出して、やたら薦めてる感じだったので、今度是非行ってみますと言ったら、

「おうおう、若いうちにいろいろ行っといた方がいいよ。結婚したら行けないから。」

30分ほど話した後、そんな言葉を残し、おじさんは去っていった。
だが、そのまた30分後ぐらいに戻ってきた。なにもう帰っちゃうの?と。
今度はおじさんの友人に国際線のパイロットがいるらしく、コックピットに呼ばれて入ったこともあるんだよという話になった。
おじさんのむすめさんが、ちょっとエンジンを止めてとお願いしたところ、パイロットは「もうちょっとまってね」と答えたらしい。

そして、もうちょっと待ったらほんとに飛行中に停止させて、メーターの下がり行く様を見せてくれたんだと。

「ほら、こうやって下がっていくんだけど。
そろそろ、下がり過ぎると危険だからまたエンジンかけるね。」

はー!そんな楽しいことをやってよいのか。
高校の同級生の大森君(国際線のパイロットをやっている)に頼むしかないと思ったが、

「いやー、今はいろいろ厳しくなったから無理だろうな。」

と言っていた。
どっから来たか聞かれたので、

「百合ヶ丘駅のほうです。 」

と丘のほうを指した。

「ぉおー。なら、近いな。若いうちに行っといた方がいいよ。
結婚したらどこもいけないから。
結婚したら(自分を思い返すようにして)、ああ駄目だ、どこもいけない。あははは。」

公園を出ると噴出した水分を補給するために500mlの缶ジュースを一気飲みした。

はー、これ!

俺が一番上手いと思っているのは、イタリアンでも中華でも富士そばでもなく、実は、激烈のどが渇いたときに飲む清涼飲料水。空腹は最高の調味料。
おじさんは、言うなれば宇宙の中で気づくことのできた知的生命体だった。

430光年は光の速度で7ヶ月

北極星までの距離は430光年なので、我々の一生をかけてもたどり着けないのでちょっと残念な話。かと思ったらそうではなく、仮に光の速度で進んだら7ヶ月で到着するらしい。
それでもその7ヶ月分は地球から見たら430年分に相当するんだと。
長さや時間は観測者によって異なることは相対性理論でも言っている。

相変わらず対してよく分からない性理論。

これが相対性理論だよね。
地図を読めない女、話を聞かない男みたいなね。

だめだ。宇宙を語るには知識がなさ過ぎるのでそろそろ寝ることにする。

僕らの寝ている間に見る夢の中にその鍵があるのかもしれない。
その、宇宙を抽象化していくと、とある紐にたどり着く超ひも理論ってのがあるようだけど、この今のこの思考もまた紐のなせる業なのか?夢も紐か?習慣も癖も空間も時間も紐か?事象も物質も抽象化すると同じなのか?

ナンノコトダカワカナイ。

まずい寝ないと。

スペースシャトルを運ぶ飛行機

今一番感激しているのは、ウィキペディアのすごさ。
それと、忘れてはいけないのは、文字と識字能力を与えてくれたこの文明だ。

寝る。

2006年9月3日日曜日

キックハイカー

渋谷には岩盤浴のできるお店が沢山ある。

気になるので先日行ってみた。まず5分間うつぶせになり、次に10分間仰向けで寝て、休憩を入れる。このセットを何度も繰り返すのだと。たしかに1セットを終えると汗が吹き出てやまない。ちょうどそれは毎朝、百合ヶ丘駅までかっぱしった後吹き出る汗と似ていた。

特に高い金払って岩盤浴に行く必要はないのかもしれない。

 

卓球

UCアーバインの学生と卓球をした。したというより、たまたまその場に居合わせて、俺の卓球っぷりに触発されたか、対戦を申し込んできたのでやってやることにした。

俺は卓球部ではないが、ラグビー部時代に部内で2位だったし、近ごろも我ながら意外に上手いんじゃないか?という気になっていたので、未知の相手の挑戦も臆することなく引き受けてやったのだ。

しかし、いざ始めると相手のサーブが超高速なのに気づく。体験したことのないその速度に面くらい、得意のリターンエースを放つどころか、ポップフライ気味に返すのがやっとなのだ。苦戦する俺をみかね、隣のテーブルにいた彼の仲間がアドバイスをくれた。

「こいつのサーブきたないんで気をつけてください!2種類の回転を使い分けてるんです。」

なるほどそういうことか!

と条件反射で理解した風をしてしまったが、何がどう2種類なのかまったく分からない。すると超高速サーバーの彼がこう説明を加えてくれた。

「リターンがネットにかかってしまうのはバックスピンのやつなんですよ。アウトになっちゃうのは、トップスピンのやつです。」

なるほどそういうことか!

って、それ俺がサーブを返してから分かることじゃねーか。ということで申し込んだ2戦目もあえなく敗戦。上には上がいるってもんだ。

うそ、俺はぜんぜん上じゃないですよ。

ところでおろせの行っていた学校はUCアーバインだっけ?カレッジだっけ?よくわからないけど、その彼らと会話をし、カリフォルニアのオープンな気質を懐かしく思い返したのでした。

2006年9月1日金曜日

岩盤浴

渋谷には岩盤浴のできるお店が沢山ある。

気になるので先日行ってみた。まず5分間うつぶせになり、次に10分間仰向けで寝て、休憩を入れる。このセットを何度も繰り返すのだと。たしかに1セットを終えると汗が吹き出てやまない。ちょうどそれは毎朝、百合ヶ丘駅までかっぱしった後吹き出る汗と似ていた。

特に高い金払って岩盤浴に行く必要はないのかもしれない。

 

卓球

UCアーバインの学生と卓球をした。したというより、たまたまその場に居合わせて、俺の卓球っぷりに触発されたか、対戦を申し込んできたのでやってやることにした。

俺は卓球部ではないが、ラグビー部時代に部内で2位だったし、近ごろも我ながら意外に上手いんじゃないか?という気になっていたので、未知の相手の挑戦も臆することなく引き受けてやったのだ。

しかし、いざ始めると相手のサーブが超高速なのに気づく。体験したことのないその速度に面くらい、得意のリターンエースを放つどころか、ポップフライ気味に返すのがやっとなのだ。苦戦する俺をみかね、隣のテーブルにいた彼の仲間がアドバイスをくれた。

「こいつのサーブきたないんで気をつけてください!2種類の回転を使い分けてるんです。」

なるほどそういうことか!

と条件反射で理解した風をしてしまったが、何がどう2種類なのかまったく分からない。すると超高速サーバーの彼がこう説明を加えてくれた。

「リターンがネットにかかってしまうのはバックスピンのやつなんですよ。アウトになっちゃうのは、トップスピンのやつです。」

なるほどそういうことか!

って、それ俺がサーブを返してから分かることじゃねーか。ということで申し込んだ2戦目もあえなく敗戦。上には上がいるってもんだ。

うそ、俺はぜんぜん上じゃないですよ。

ところでおろせの行っていた学校はUCアーバインだっけ?カレッジだっけ?よくわからないけど、その彼らと会話をし、カリフォルニアのオープンな気質を懐かしく思い返したのでした。

2006年8月29日火曜日

さらば夏の日よ

まだすべてを話すには早すぎると思う。

毎年、この季節になるとたまらなく切なさを感じる。去年の夏の終わりもそうだった。問題解決に注力するのは嫌いではなく、自ら足を踏み入れてしまう傾向にある。でも、誰かが困っていたら、その人が美しい自己犠牲愛のもと疲れ果てていたら助けてあげたいと思うのはきっと俺だけではないと思う。

過ぎ去れば思い出となり、この感情の起伏の分だけ歌が残る。

まだやや暑いけど窓をすべて閉めて当時作った歌を歌ってみた。広域マイクを使っているので、雑音がいろいろ入っている。抱えたギターはうっすら埃をかぶっているし、弦はややさび付いている。

森田童子のごとく一発歌ってみた

月明かりに照らした僕の頃は今も美しく透けてる?

大丈夫だよと笑ってほしい。

慌しく夏が過ぎ振り返る間もなく深まる季節よ
あまりにいくつも忘れ物して忘れたことすら忘れた
少し窓を開けて秋の匂いを吸い込んだ

スチール弦押さえる指先が痛いよ
だいぶ久しぶりのギター
つまらない嘆きつらつら少なからずウンザリしている

さらば夏の日よ
つらいならその胸もさらけ出して

晴れた日は自転車で丘に駆け上がりあのメロディー歌おう
言い訳はくだるもくだらなくもなくこの澄んだ空に捨てな
水しぶき浴びて虹の中よみがえる夢をほら見ようよ
耳元に緑の風吹き抜ける歌君にも聞こえるかい

月明かりに照らした君の心は今も曇りなく透けてるよ
大丈夫だよほら泣かないで

晴れた日は自転車で丘に駆け上がりあのメロディー歌おう
言い訳はくだるもくだらなくもなくこの澄んだ空に捨てな
慌しく夏が過ぎ振り返る間もなく深まる季節よ
あまりにいくつも忘れ物して忘れたことすら忘れた
水しぶき浴びて虹の中よみがえる夢をほら見ようよ
耳元に緑の風吹き抜ける歌今でも聞こえるかい

 

夏の終わりは秋の始まり。

低い位置の月が大きく見えるのは完全なる錯覚らしい。本来遠くにあるはずの月を、近くのビルや山と見比べたとき、その大きさを実感するんだと。

みんながハッピーに暮らしていればそれでいいんじゃないかと思う。

2006年8月27日日曜日

NIKKI SONIC '06

googleでkota.ccと検索し、わがHPを閲覧することがたまにあるんだけど、先日それをやったら、こんな風な結果になって。

こんな風な結果

一件目を何かと思ってみたら、NIKKI SONIC '06のThanksのページの下のほうに俺のHPのリンクが貼ってあって、ちょっと驚いた。

はーねむい。今日はずっと寝てばかりいる。

 

2006年8月26日土曜日

くじらの島の少女

夕刻、ベランダからキックボードを引っ張り出し、それを担いで丘を駆け上がった。3分ほどで頂上にたどり着く。駆け足のまま、キックボードに乗った。東のほうに夜を迎えようとする町並みが広がっている。目的地まではひたすら下りが続く。ところにより自転車で登りきれないような急勾配もあり、若干の危険ではあるが車道を車と同じくらいのスピードでかっ飛ばす。その甲斐あって新百合まで歩くとけっこうあるのだが、10分もかからずついた。

しんゆり映画祭の存在を知ったのは今年の年始ぐらいだったかな。ゲバラを題材にした映画、モーターサイクルダイアリーズを知ったのもしんゆり映画祭のウェブページだった。

そう、キックボードでかっ飛ばしたのは、これを見るためだったのだ。

しんゆり映画祭なつやすみ野外上映会@麻生中校庭

観客は意外と子連れのファミリーが多い。若者は少ない。まあ、俺も若者じゃないし。


バザーみたいな感じのお店が出ていて、餃子100円、焼きそば200円、ビールも200円と安い。


余興でサクソフォンの四重奏をやっていた。

さていよいよ映画が始まる。

祖先はクジラに乗ってやってきたという伝承を持つ、ニュージーランド・マオリ族の娘パイケア。彼女の母は出産の時になくなり、父は跡継ぎばかり望む親に反発して家を出てしまったため、族長でもある祖父の元で暮らしている。海は美しいが、村は荒れ、若者たちもどこか投げやりに日々を過ごしている。ある日、そんな状況を憂え、次の族長を選ぶための伝統を学ぶ学校が開講した。祖父を愛し、マオリの伝統を受け継ごうとするパイケアは一生懸命になるが、そんな彼女を祖父は厳しくはねつける。


全体的に陰鬱な感じだ。


何もこんな大自然を前に、そんな暗くなんなくても!と思えることも多かったが、伝統を守ろうとするマオリ族の長はいたって真剣。

途中、ここでも紹介した大好きなニュージーランド国家の一番の歌詞がマオリ語であることを思い出した。どことなく馴染みのあるフレーズで、あと一歩で分かるんじゃないかと思えてしまった。

ところで、映画の中でマオリ族伝統の踊りを伝授するシーンが登場するが、それはつまり、ハカなのだ。ラグビーを見る人なら知っていると思う。不思議とニュージーランド代表オールブラックスのみ、試合前に踊ることが許されている。ハカを見るとたまらなく血が騒ぐもんだ。

これとか

これとか

あれ?これは相手チームもやってるけど。相手はどこだろ。

おまけ。(ウマンガの真似か?)

「なんか日本人のおじさんみたいだね。」と子供に話しかける声がどこからか聞こえてきた。その、映画の本題とはまったく関係ないおばさんのコメントがつぼにはまり、おっさんが出てくるたび、おかしくなってしまった。で、よくよく考えてみると、西郷隆盛どんにそっくりなのだ。ついでに主人公の少女も誰かに似ていて、よくよく考えた結果トムハンクスだってことが分かった。そういう方向で盛り上がってしまったところもあったが、少女の演技が実に上手く、その儚げな雰囲気に終盤は飲み込まれていき・・・。

と、ようやく盛り上がってきたところで大雨が振り出す。まさに土砂降りだ。

俺は傘がなく、テントに退避するも、あんま見えなくて。。まあ、小さなお子さんに分かりづらい映画だったかな。「あ、なんであの子ないてんの?」とか、感動のシーンに疑問が多く聞こえてきたし。

ところで本祭は、10月1日(日)、10月6日(金)~10月9日(月)に開かれるそうだ。

 

2006年8月25日金曜日

麻布十番祭り

かわいらしい後輩が真剣にシステムの説明する俺を横目に、くすくす笑った。

「え、なんかへん?」

と聞くと

「ふふふ。藤原さん、いつも煎餅の匂いがします。」

何を言うのかと思ったらそんなことだった。確かに煎餅ぼりぼりさせながら説明してたことは否定できない。

BTW。前回の俺のスカシガオって、きっとスガシカオと読み間違える人もいるはずだ。別にだからどうってことはないけど。

俺、眼精疲労で乱視だし、なかなか焦点が合わない。同じ仕組みなのか瞳孔も適切な開き具合になるのに時間が掛かるんだよね。夜は車のヘッドライトが目の奥が痛くなるほど眩しく感じることもある。そんななので、真夏の昼間は目をしかめ、太陽光線をできるだけ眉で遮断する。で、姿勢が悪くて、なんかちょっと斜めになってて、ポケットに手を突っ込むと楽だからそうする。けっしてかっこつけているわけではなく。

そういうことなのでよろしく。

あと、目が悪いのでメガネする。伊達メガネ?と必ず聞かれるが、目が悪いのでしてます。ネクタイとか、ファッションセンターしまむらで290円のを喜んでしてるし、よろしく誤解のないように。

BTW。麻布十番祭りに行った。

みんな十番祭り知ってるかな。聞くところによるとテレビやラジオや各種メディアで取り上げているらしいじゃん。先日、書いたとおりバスに乗って行った。現場に着くととにかく人が溢れかえってんの。流れがクロスする地帯はいつ将棋倒しが起きてもおかしくない感じ。そしてかなりの需要過多。どの店も長蛇の列で供給が足りない。

しばらくごった返す人ごみをのろのろ歩いている内に思い始めたのが、この祭りが一体何を祭ってるんだろうかということ。なんか神社とか、神輿とか、盆踊りとかそういうのはまったく見当たらず、ただあるのは麻布十番商店街に立ち並ぶ屋台と、群れ返す人ごみ。

しかし、これだけ人がいれば有名人か知人に会うんじゃないか、と思っていると、ふとアントニオ猪木とすれ違う。その後、自ら掛け声掛けちゃったりして人ごみの中を自己顕示。それからノーフィアーの高山もいたらしい。きっと彼らはでかいから目立つだけでノーマルサイズの著名人もたくさんいたと思う。

それはそうと、一刻も早く六本木ヒルズに抜けようと、屋台の裏手を歩いていると、ハタハタが見えて、その脇のババベラアイスが目に留まり。え、これ秋田のじゃん、ということで立ち止まった。

「ババベラなのにババーじゃないじゃないですか!」

「そんなことないわよ、ババーよ!」

とかいう問答を含むいくらかの会話をおばさんと交わした後、隣のおやっさんとこんな会話を展開する。まず俺から、

「うちの親父、秋田なんですよ、横手です。いや、横手じゃなかった、、横手は高校で、すんでたのは・・」

「へー!横手高校?おじさんも横手高校だよ。」

「まじですか!」

「親父さん、いくつだい?」

「64だったかな。」

「ええ、おじさんも64だよ!」

「え、同級生!?」

「親父さんの名前、なんていうの?」

「藤原ひろし。」

「おおおー!!きみひろしの息子か!おじさん、小学校も中学校も一緒だよ。」

「えー!まじですか!」

「親父さん、昨日ここへ来たんだよ!」

「へえ!!」

「君はA学でたんだろ!?お兄ちゃんはW田で!」

「!!」

ってか俺の父親もそんなことくらいしか言うことないのかよと思いつつも、驚きの展開だった。知人に会いそうな気はしていたが、まさか親父の旧友に会うとは、しかも親父が前日その場に来てるとはな。

後日、十番育ちのO田さんに聞いていくつか分かった。バスを降りたところがたまたま多国籍屋台コーナーで、マックス激込み地帯だったこと。あと、外苑西通りの一本向こうに一応神社はあったということ。祭とはほぼ無関係なようだけど。

2006年8月22日火曜日

俺のスカシガオ

そう、先日、麻布十番祭りへ行った。思いつくまま渋谷からバスに乗り込んだ。毎度のことだがバスに乗るたび幼き頃の遠足を思い出す。こんなごく平凡な日にバスで遠足にいけるなんて俺ってちょっと贅沢してんな、と思えてしまう。富士そばのかつ丼といい、我ながら安上がりだ。バスに乗るなら一番後ろがいい。座席の広さもそうなんだが、後ろに荷物が置けるのもそうなんだが、視線が高いのがなによりいい。乗用車では味わえない風景が続々飛び込んでくる。

明治通りを突き進み、天現寺の交差点を越え、国道一号を左折するといよいよ麻布十番が近づいてくる。

なんども言ってる通り、そこらへんは俺の庭だ。そこらへんというか、港区、渋谷区、品川区、目黒区は出前時代に培った土地勘で、麻布十番の坂を上がったところにある井川さんちとか、白金トンネルの脇の御法川さんちとか、都営アパートの909の岸さんのうちとか、あまり自慢できない場所まで覚えてしまっている。そんなこんなでその地帯へ行くと、どうしてもバイト時代の思い出が蘇ってくる。

まさに麻布方面だったと思う。とあるお婆ちゃんは配達の僕らに決まって500円のチップをくれた。そのお婆ちゃんから注文を受けると出前の指令が誰にくるかバイト君たちはかなり気になった。マネージャーに指名されると、

よっしゃー!

とガッツポーズをしたかは覚えていないが、当たりくじを引いた気分で出前に向かった。すしを届けると僕らは、曲芸を終えたアシカのようにご褒美の瞬間を待ち構えた。

#僕ら、と書いたのは多分俺だけじゃないはずだから。

お婆さんが代金とは別に500円をくれそうになると、僕らは、

え!ほんとにいいんですか!!

という素振りを一応し、予定通り頂いたお金をポケットにしまった。でも一回もらえなかったことがあった。あ、あれ?と一瞬たじろいでみたが、僅かな沈黙の後、何ごとも起こりそうにないので仕方なくちぇーっと帰った。それからお婆ちゃんは時々500円玉ではなく、100円玉5枚でくれた。中に古い100円玉が混ざっていることがあった。その古い100円を店長が200円で買い取ってくれたこともあった。ちなみに俺はその一枚をコイン入れにしまっている。

残念だがそんな素敵なお婆さんばかりではなかった。年配の方の中には、皇族か士族か財閥の成り下がりか時代錯誤な差別をする人がいた。東五反田の東南アジア系の使用人を雇っている家は、そういった意味で強く印象に残っている。何を言われたかは忘れてしまったが、"出前なんかしてるお前らとは身分が違う"的なその人の言動に、麻布のお婆ちゃんの古い100円玉とは別の日本の歴史を垣間見た気がした。店に帰り店長に、カチンときた旨を伝えると、その家はどこの出前からも断られてるということだった。ある意味、それを救ってあげていたのがすしトラだったのかもしれない。それから金持ちの家には決まって玄関と異なる勝手口が存在した。とある家で知らずに正面の玄関から入ったとき、その玄関までの大理石の道のりに汚い足跡をつけたと激昂されたことがあった。決して足跡を残すような靴を履いていたわけではなかった。

麻布といえば、麻布高校にも出前に行った。領収書を書くとき、アザブの漢字がどこをどうひねっても思い浮かばず、思い切って尋ねてみた。

「麻に布だよ。」

と教員みたいなオヤジに言われ、ああ!それそれ!と書くと、

「君、意外に字は上手いじゃないか。」

と褒めてくれた。ちょっと悔しかった。俺は中学時代、漢字博士の称号を頂いたが、麻布という漢字は学校では教えてくれなかった。

それからなぜか出前のみんなは頭に何かをかぶっていた。せがれのコージは土方風にタオルを巻いていた。俺と栄一は確かニット帽だった。オシャレな良忠はグレーのターバンをしていた。

良忠のHP!

栄一はさらにサングラスもしていたような気がする。

俺たちの運手、いかに荒いかがステータスであり、寿司は届けるまでによく倒れた。ある時、店にクレームの電話が掛かってきた。どうやらお客さんが倒れた寿司を直す現場を見てしまったようだった。お届けした本人によくよく聞いてみると、その届け先の家の前で直してしまったらしい。そら目撃もされるわ、と思った。犯人はA一だった。

その時、倒れた寿司はせめて届け先の最後のコーナーを曲がるまでには直そう、というルールが確立された。

話し出せば尽きない。

 

いやあ。今日もまったくタイトルと関係のない文章を書いているうちに疲れ果ててしまった。

2006年8月20日日曜日

タッチ

例によって前回のお話、タイトルからだいぶずれてしまった。

夏の甲子園の一番古い記憶は、桑田や清原がいたころのPL学園だ。俺は当時、小学校3年くらいだったかな。生まれもって巨人嫌いな俺は、本能的にPLにも同じ匂いを感じていたんだろう。なんとか負けんかのうと対戦相手を必死に応援していた気がする。これは母親譲りの気質かもしれない。

二年生が半数以上を占める破壊的な打線とエースピッチャー谷口のスクリューボールで快進撃を続けた浦和学院(鈴木健が二年生で四番だった)、それから私立高校が台頭する中、平均身長、平均打率、ともに甲子園出場校中最低ながらも爽やかに勝ち続けた市立浦和、彼らがベスト4まで駒を進めたのは俺が中学校へ通っていた頃の話だ。あれからもうしばらく経っているが、話し出せばあの興奮が蘇ってくるのは間違いない。

ちなみに鈴木健が三年時の浦和学院は、その前年ベスト4となった二年生たちで結成されたチームであり、メディアからは満を持したとして優勝筆頭に挙げられていた。俺もそれを期待し、浦学を県予選からテレビ埼玉で応援していた。甲子園2回戦の相手は香川、尽誠学園だった。激戦の埼玉を勝ち抜いた浦学が四国のよく知らん高校相手に負けるはずがなかった。浦学はごく普通に1点目を入れるが、その後はチャンスを作るもののなかなか点が入らない。向かえた終盤。スクリューの谷口が尽誠四番にスリーランホームランを浴びた。スカーンとあがった打球がレフトスタンドに吸い込まれていった。よく覚えている。アナウンサーも優勝候補の浦学を応援していたか、まるで日本(または読売)テレビで巨人以外のチームがホームランを打ったときのような実況をしていた。そのホームランを打った四番バッターは、実はエースでもあった伊良部秀樹だった。まさかその後日本最速158km/hを記録することになろうとは思わなかったし、家のすぐ近所のロッテ二軍球場にきたり、ヤンキースに入団することになろうとは皆目思ってもみなかった。

高校の夏休みはきまってタッチを見た。ウィークデイの午前中10:30~11:30に二話ずつ放送していた。エースだった双子の弟が死に、ボンクラな兄貴が代わりに頑張ってみるという、盛り上がらないわけがないシチュエーションをベースに物語は展開された。ラグビーを題材にしたスクールウォーズはいまや20代前半の人たちは完全に知らないようだが、タッチの方はどうなんだろう。一番印象深いシーンは劇場版だった。かな。上杉達也が和也の代わりにマウンドに立ったはじめての甲子園地方予選。地方大会の決勝戦で、延長だったか、最終回の裏に宿敵の新田君をバッターボックスに迎える。マウンドにはなんだかんだ弟を思い、影ながらひたすら練習し続けてきた上杉達也が立っている。そしてその彼の死力を尽くした、渾身を込めたボールを新田君が見事に捕らえる。

カキーン

逆光の夏空に打球が舞い上がる。まさかと思った。そしてエンディングが流れ始める。

いくつ目の夏が二人の間をねえ過ぎたの
君がいなければはしゃいで写した渚の写真さえモノクローム

・・・

岩崎良美のやさしい歌声はひどく俺の心を突き刺した。まさか主人公のチームがサヨナラ負けをするとは。

 

横浜高校の松坂は平成の怪物と呼ばれていた。彼の最後の夏の甲子園は多くの人の記憶に留まっているかもしれない。その春優勝をした横浜高校は春夏の連覇が掛かっていた。順調に勝ち上がった準々決勝、横浜高校は延長17回の死闘を繰り広げる。そのすべてを一人で投げきったのが松坂だった。よく準決勝で投げられるわけもなく、別の投手が出場したが8回表まで0-6で横浜高校がリードを許していた。9回表、ようやく松坂がマウンドに上がる。最後の記念的な登板と思ったのは俺だけではなかっただろう。が、しかし、その裏、横浜高校は見事に逆転サヨナラ勝ちする。決勝戦はまるで地方大会を苦しみ勝ち抜いた明青の3年夏の甲子園のようだった。漫画の中では甲子園の模様は詳しく描写されない(たしか)。松坂の決勝戦は、結果だけニュースで聞いたのだが、なんとノーヒットノーランだった。あまりに美しすぎる幕切れだった。こんなドラマ誰が書けよう。書いたものが馬鹿にされるような、それくらい出来すぎたストーリーだった。

 

ということで、今年もなんか盛り上がってるよね。

 

Webページをいくつかご紹介。

早実エース 支え続けた兄の存在(8/16ニュース)

荒木大輔

P/L学園

横浜高校

2006年8月17日木曜日

夏の甲子園

鈴木健のいた浦和学院がベスト4まで進んだのは昭和何年のことだったかな。中学校2年のとき、ワルのTと我が家で熱狂的に応援していたのが市立浦和だったから、、それより何年かは前だったと思う。

Tは今何してんのかな。時々思うんだよね。中学時代共に過ごしたみんなは今頃一体どんな生活を送ってるんだろうかって。仲良かったチャチャイは、近所の戸田の倉庫で働いていると誰かが言ってた。チャチャイにはえらい難しい数学の問題を提示してしまったことがあってね。

半径3cmの円柱に半径2cmの球を3個入れたとき、積みあがった球の高さは何センチになるか?

とかね。明後日32才になる俺にはもはやわからないんだが、こんなものどうだっていいじゃんな。ひどく悩んでいたチャチャイを思い返すと、未だにあの問題を出してしまったことを後悔することがあるんだ。

とかいいつつ、ちょっとトライしてみた。

2+(2×(2×ルート(3))+2=約10.9

参考

直径4cmの球を縦に一直線に積んだら12cmなんだから、だいたいこんなもん?違う?今となっちゃ中学生の塾講師の兄が一番答えられるのかもしれない。よかったら正解よろしく。

たまに理系の学部に進むのもよかったかなと思うんだよね。今回の解があってるか否かは別として、こういうの決して嫌いじゃない。まあ数学は公式覚えるのが苦痛で断念したんだけど、研究職とかへの憧れは僅かになくもないかな。いやー、俺は飽きっぽいから無理か。

そういえば昨日から「3つの星を惑星に昇格させる」みたいなことをしきりに言ってるよね。候補は20近くあるらしいじゃん。でもね、太陽を遠い昔から周回している星たちからしてみたら随分と勝手な言われ様だと思うんだ。自分たちよりずっと後発の人間に「君は惑星に昇格」とか適当なこと言われたくないよね。1492年、アメリカ大陸発見!ってやつも同じ。主観が偏りすぎてる。発見も何も先住民がまずそこで生活してるんだから。

でもそういうポジティブ?な考え方も役に立つこともあるのだよ。俺も、中田か俺かっていうくらい抜群なポジティブ思考を発揮することがあるけど、これがけっこう笑えるんだ。

そうね、できればジョークとわきまえて言ってくれるとみんなも笑えて楽しいんじゃないかな。



しかし、いきなり惑星3つ追加とか、真実と疑わないものが、もろくも覆されるこの感覚、すごく怖いよね。なんだか何でもありえる気がしてくる。

・・・

ま、まずい眠い。話を膨らませようと思ったんだが、うとうとが止まんない。寝ます。

それでは。

2006年8月16日水曜日

百合ヶ丘スカイブルー

「モーツァルトの曲が美しいからと、近隣の迷惑を顧みず大音量で聞いてよいのか。」

ベートーベンだったかな。バッハだったかな。まあ、昨年も書いたけど、これは小泉さんの靖国参拝に対する管直人の弁だ。

#そういえば俺のうちの隣のおじさんは、朝六時に大音量のザードで目覚める人だった。

 

ところで、どうだったでしょうか水墨画。

突っ込みどころ満載だったと思うけど、俺のこの丹精込めたマイソウルが伝わればそれで十分です。

 

って、これ先日書いた暑中見舞いの話ね。近年年賀状を出してなくてね。もらってばかりで申し訳なかったのでひとつ筆をとってみたのだ。タネを明かせば実は先月トライした水墨画もこれを書くことが目的だったのです。

しかし、絵の具は百合ヶ丘スカイブルー(世で言う水色のこと)単品では売ってないんだよね。仕方なく全色を買う羽目に。今度登山がてら絵でも書いてみようかな。

まあ絵心は生まれもってないんだけど。

2006年8月13日日曜日

サマーソニック

NIKKIソニックもあいかわらずやってますな。日記なのにタイムテーブルがあるところがいいです。

俺のほうは昨年に引き続き、3度目のサマーソニックへ出かけてきました。ちょっとずつ値段は上がってきていて、今年は15000円弱なり。


入場前から雲行き怪しい。


分かりやすい二人。


いつものスマイル。


しょっぱなは恒例のビーチへ。


うーん、曇り気味。


まあ写真だと目茶暗いが、これほどではなかったよ。


爽やかなボーカリスト。


えっと、この人は・・・名前忘れた。

ってか写真撮っちゃまずかったのかもしれないので名前は出さないでおこう。モザイクとか入れとけばいいのかな。


実はこんな遠くからの撮影だったのだ。光学12倍ズームはすごい。


いやー、この人の絵はアートなんだが、俺の水墨画の方はちょっと・・・。ふーー。

じき、分かる人には分かるかと。。(><)


タイの観光ガイドさん。


うそです。


これはあの、、めし島に言わせると「私を羽織って」を歌ってる人。


・・・。


二人とも特にオチを見つけられず。


時には爽やかに。


たまにはすかしてみせ。


幕張のアンケートに答えてボールペンゲット。

めし島のおやじギャグがいっこうにとまらない。

「幕張なのに幕張ってないじゃないか!」とかね。

満面の笑みでそう言われると俺も笑わずにはいられない。


サマソニといえば、サイケなロックを期待しているわけで。。。


ここはひとつ、達磨崩しで盛り上がってみようかと。


あれ?めしじまいないけど?


うーん。残念。


次はバスケにトライ。


がんばって懐かしい駄菓子をゲット。


メッセ内のMCでは大雨が降っているとのことだったが、すっかり雨も上がり、見上げれば虹が架かっていた。


こういうのはいい。


ところでみんなはアベサダヲって知ってるの?


グループ魂って知ってるの?


紅白に出たとか言う噂だけど。


彼らはすごい。


すっかり夜に。

彼らすごかったんだけど、最後まで見れずにまた別の会場へ。


これは誰だったのだろう。


そしてキター!ダースベーダーみたいな二人。ピラミッドの真ん中に影となって、分かるかな?


いつほんものが出てくるんだよ!と待ちわびていたら


彼らがその、本日のトリのアーティストでした。


声はすべてボコーダーがかかっていて、


実に宇宙的。そして、


ほんとにあのピラミッドの二人は、顔見えないけど本物なのかよと。


なんかゆっくり動いてボタン押している風だけど、


機械ミュージックなんだから最初のスタートを押せば、後は何もする必要ないじゃないかとか、


やつらは実は照明の操作をずっとしてたんじゃないかとか、


そういう疑念を抱きつつ、今年のサマーソニックも無事終焉!

マリンスタジアムに打ちあがった花火がわずかに見えました。

 

ってか、俺でも知ってる有名人を呼んでほしかった。

 

とはいえ、ジャンプしすぎたか、もともとダメージのある頚椎を刺激してしまい、帰り道、相当グロッキーになりました。