2006年8月20日日曜日

タッチ

例によって前回のお話、タイトルからだいぶずれてしまった。

夏の甲子園の一番古い記憶は、桑田や清原がいたころのPL学園だ。俺は当時、小学校3年くらいだったかな。生まれもって巨人嫌いな俺は、本能的にPLにも同じ匂いを感じていたんだろう。なんとか負けんかのうと対戦相手を必死に応援していた気がする。これは母親譲りの気質かもしれない。

二年生が半数以上を占める破壊的な打線とエースピッチャー谷口のスクリューボールで快進撃を続けた浦和学院(鈴木健が二年生で四番だった)、それから私立高校が台頭する中、平均身長、平均打率、ともに甲子園出場校中最低ながらも爽やかに勝ち続けた市立浦和、彼らがベスト4まで駒を進めたのは俺が中学校へ通っていた頃の話だ。あれからもうしばらく経っているが、話し出せばあの興奮が蘇ってくるのは間違いない。

ちなみに鈴木健が三年時の浦和学院は、その前年ベスト4となった二年生たちで結成されたチームであり、メディアからは満を持したとして優勝筆頭に挙げられていた。俺もそれを期待し、浦学を県予選からテレビ埼玉で応援していた。甲子園2回戦の相手は香川、尽誠学園だった。激戦の埼玉を勝ち抜いた浦学が四国のよく知らん高校相手に負けるはずがなかった。浦学はごく普通に1点目を入れるが、その後はチャンスを作るもののなかなか点が入らない。向かえた終盤。スクリューの谷口が尽誠四番にスリーランホームランを浴びた。スカーンとあがった打球がレフトスタンドに吸い込まれていった。よく覚えている。アナウンサーも優勝候補の浦学を応援していたか、まるで日本(または読売)テレビで巨人以外のチームがホームランを打ったときのような実況をしていた。そのホームランを打った四番バッターは、実はエースでもあった伊良部秀樹だった。まさかその後日本最速158km/hを記録することになろうとは思わなかったし、家のすぐ近所のロッテ二軍球場にきたり、ヤンキースに入団することになろうとは皆目思ってもみなかった。

高校の夏休みはきまってタッチを見た。ウィークデイの午前中10:30~11:30に二話ずつ放送していた。エースだった双子の弟が死に、ボンクラな兄貴が代わりに頑張ってみるという、盛り上がらないわけがないシチュエーションをベースに物語は展開された。ラグビーを題材にしたスクールウォーズはいまや20代前半の人たちは完全に知らないようだが、タッチの方はどうなんだろう。一番印象深いシーンは劇場版だった。かな。上杉達也が和也の代わりにマウンドに立ったはじめての甲子園地方予選。地方大会の決勝戦で、延長だったか、最終回の裏に宿敵の新田君をバッターボックスに迎える。マウンドにはなんだかんだ弟を思い、影ながらひたすら練習し続けてきた上杉達也が立っている。そしてその彼の死力を尽くした、渾身を込めたボールを新田君が見事に捕らえる。

カキーン

逆光の夏空に打球が舞い上がる。まさかと思った。そしてエンディングが流れ始める。

いくつ目の夏が二人の間をねえ過ぎたの
君がいなければはしゃいで写した渚の写真さえモノクローム

・・・

岩崎良美のやさしい歌声はひどく俺の心を突き刺した。まさか主人公のチームがサヨナラ負けをするとは。

 

横浜高校の松坂は平成の怪物と呼ばれていた。彼の最後の夏の甲子園は多くの人の記憶に留まっているかもしれない。その春優勝をした横浜高校は春夏の連覇が掛かっていた。順調に勝ち上がった準々決勝、横浜高校は延長17回の死闘を繰り広げる。そのすべてを一人で投げきったのが松坂だった。よく準決勝で投げられるわけもなく、別の投手が出場したが8回表まで0-6で横浜高校がリードを許していた。9回表、ようやく松坂がマウンドに上がる。最後の記念的な登板と思ったのは俺だけではなかっただろう。が、しかし、その裏、横浜高校は見事に逆転サヨナラ勝ちする。決勝戦はまるで地方大会を苦しみ勝ち抜いた明青の3年夏の甲子園のようだった。漫画の中では甲子園の模様は詳しく描写されない(たしか)。松坂の決勝戦は、結果だけニュースで聞いたのだが、なんとノーヒットノーランだった。あまりに美しすぎる幕切れだった。こんなドラマ誰が書けよう。書いたものが馬鹿にされるような、それくらい出来すぎたストーリーだった。

 

ということで、今年もなんか盛り上がってるよね。

 

Webページをいくつかご紹介。

早実エース 支え続けた兄の存在(8/16ニュース)

荒木大輔

P/L学園

横浜高校

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