2009年12月31日木曜日

来年はDream見ません

来年は決して見まい。
Dreamはセンスがない。
谷川さんは、いつまでたっても僕らが求めているモノを感じ取る能力が身につかないようだ。


1.魔裟斗はミドル級王者と引退試合するんじゃないかったのか?

あれだけ今秋行われたミドル級トーナメントの王者と引退試合をすると公言しておいて、なぜ、対戦相手が、王者(ジョルジオ・ペトロシアン)にぼろ負けしたサワーになったんだろう。トーナメントでのペトロシアンの圧倒的な戦いぶりを見たとき、引退試合での魔裟斗の勝率はゼロだと確信していたんだが。
完敗したサワーに勝って何の価値が生まれるというんだろう。

もっとも強いことを証明するんじゃないのか?
惜しまれながら引退したいんじゃないのか?

しいていえば、モミアゲがすっきりしたのが良かった。それくらい。


ペトロシアンの出現で魔娑斗(´・ω・`)ショボーン


2.マットに倒れた相手に中指突き立ててしまう青木真也

青木真也が今回もっとも残念。
それ以上やったら相手の腕が折れるのを分かった上で、へし折り、さらに試合後、マットに倒れた相手に顔を近づけ、挑発的な表情し、中指を突き出した。

トチ狂った犯罪者をそのまま見せ付けられた感じ。
驚いたよ。ありゃなんだ?
勝っても奢らず敗者の健闘を称えるのが人間というモンだろう。
早稲田大学もあんな阿呆が入学できるくらいだから次元が低い。

しかし、TBSも年末に不愉快な映像を全国に流すなよな。
カットするという技術を持っているだろうに。

青木真也という男




3.石井彗のか弱さにビックリ

ここまで総合の試合をやらなかったのにはワケがあることは感じていたが、吉田秀彦が打撃の選手に見えるほど、石井彗の防御センスというか運動神経がないとは思いもしなかった。吉田も、石井彗が柔道無差別級の金メダリストだから遠慮して手を緩めてしまったが、相手がブラジリアン柔術の選手だったらああはなってなかっただろう。



総じて。
Prideがなくなって以降格闘技はすっかりこんなだ。
来年はきっぱり海の向こうの戦いに期待しよう。
ヒョードルは相変わらず痛快に勝ち続けているし。

2009年12月27日日曜日

嗜好のハーモニー

先日、美空ひばりについての番組をやっていた。
あるおっさんが彼女を「世界一のシンガー」と評していたが、その理由を、好きの程度、にあると言っていた。
その程度は尋常ではないと。

人は誰しも好きなことには苦なく情熱を注げる。
楽しいからやる。
やりたいからやる。
他からの動機付けは一切要らない。

でも、その嗜好のベクトルは必ずしも世の中から歓迎されるものばかりではない。
ここがちょっと人生の難しいところ。

でも、僕らは一人ですべての問題を解決するわけじゃないから。
重ね合わせれば、この上ないハーモニーになるかもしれない。

2009年12月24日木曜日

行き着く先がタイガーウッズ

今年最初で最後の格言。

「行き着く先がタイガーウッズ」

僕らはどんなに理想的に生きようと、行き着いく先はタイガーウッズなのかもしれない。
つまり、、、

いや、あまりに多くのことが言えそうで、これをどう解釈すべきかは言う気が失せてしまう。

2009年12月23日水曜日

小学校の通信簿

えー、小学校の通信簿を実家に帰った際、見ることになり、己のアホさ加減にげんなりしてしまった。

先生からのコメントも辛辣だった。先生見えてねーな!と思ってしまう部分もあるんだけど、おや、近年どっかで言われたセリフ・・・とぐさりくる部分もあったりし。まあ、総じて反省すべきところは反省しようと思った次第です。

そうそう、最近、iPhoneを買いました。寝る前は決まって、日本むかし話を見ています。こんな秀逸なコンテンツはなかなかないです。それから大人になって改めて見てみると、気づくことがたくさんあります。

忙しいみんなのことだから、俺と同じように寝る前に見るといいです。







は話が似すぎてます。偶然連続で見たんだけど、展開の酷似ぶりに驚きました。派生元は同じなのでしょう。

そしてその晩、不機嫌なオランウータンに八つ当たりされそうになる夢を見ました。

身を隠すに十分な場所がなく、俺は目いっぱい存在感を消して岩にへばりつくんです。そこへ超怒ってるオランウータンが戻ってき、、ああこりゃだめだ、さすがにばれる、、

と思った瞬間、心臓バクバク、大汗かいて目が覚めました。

なんだったんだ、今の夢・・・。

その時はまったく気づかなかったけど、後日、ストーリー的に、上の二つの話が大いに影響している気がしました。なんならば。俺の悪夢もこの近辺の住民に言いまくっておけば、川崎市の伝承、としていつの日か日本むかし話に登場するかもしれない。

しかし、寝る前に見るというのは、そういう意味で危険が伴います。
昨晩は、部屋の電気を消してから、これを見ました。



「軽くホラーだな」とコメントしている人がいるけれど、完全にホラーだろ。いやな予感がして、別の話を見たんだけど、それもまたホラーで、結局、もうひとつ見てしまいました。なかなか寝られず困りました。

というか、ここで紹介した3つはどれもホラー要素が入ってるよね。
ではついでにホラーつながりで閻魔大王の登場するこれ。



何が言いたかったのか、とかは深く考えないほうがよさそうです。


そうそう、俺の中でもっとも秀逸なのはこれです。既知かな?


それにしても、なんかクソさみーなと思ったら、エアコンが除湿になっていました。
乾燥して鼻の奥が痛いです。

2009年11月20日金曜日

年末調整

そういえば、俺の爺さんは国立病院の事務長だったらしい。
だから何ということもないんだけど、医療の仕事をやっていると、その立場の人がそれ相応の権限を持っていることに気づかされ、今のところ、少し負けた気がしている。

でもがんばろうと思ってるよ!

しかし、年末調整ってなんなのかね。
このご時世、なんでこんなアナログなのか。
要らない作業の代表格。

きっとまた人が読んでそれをどっかに入力するんだよね。
人間らしい仕事といえない。
説明読むのも、字を書くのも、えらいストレス。

さっさとコンピューターに任せる方向で、役人も調整すべきでしょう。

はー。
俺は爺さんと違って、事務職の性質を微塵ももっていないようだ。
違う方向で頑張るよ。

2009年11月19日木曜日

Yokohama Town 横浜町

時間があれば、GoogleEarthをしています。
なんというかな、脳の体操的に、登山と似た感覚なんです。
通じますかね。
方向感覚を刺激する感じが心地よいです。

ここのところ、東京から北海道に行くくらいの距離にあるヨーロッパ(?)、ウラジオストクが気になり、上空からその周辺をぐりぐり見てるんです。ロシアは一応ヨーロッパってことになっていますが、ウラジオストクを見る限り空気の色は隣国、北朝鮮となんら変わらないです。暗いです。

北朝鮮との国境付近は、一本の大きな川が流れています。河口のある日本海から上流に向かって暫くするとロシア側に、サハンという人口千人にも満たない小さな町が現れます。それまでは両国ともに何もありません。その先もほとんど何もありません。仮に北朝鮮の人が、脱北してロシアに行っても、そこにあるのは広大過ぎる大自然のみです。

しかし、これが長年アメリカとライバル関係にあった大国なのかと疑いたくなるような寂れっぷりです。ひょっとすると極東だけなのかもしれませんが、極東に関して言えば、これ以上ない寂しい佇まいです。バルチック艦隊を秋山兄弟が撃破したのをドラマチックに語ってる場合じゃないですね。

そんなこんなを思いながら、ズームアウトすると日本が向こうに見えてきます。そして視界に入ってくるのが「Yokoyama Town 横浜町」という文字です。青森県にあると見られます。


俺は初めて知りました。広島や福岡が省略されているのに、ばーんと目立ってますね。

「さいたま Saitama」も、文字の面積的には「日本」以上に目立っています。

いや、それだけです。ちょっと気になったので。

すごく眠いです。寝ます。

2009年11月9日月曜日

「4台はい~る」と言っても、SamsungのHDDは入らない。だけじゃなく。

そういうことらしい。

HDDなんてこのご時世どこのでも大丈夫だろうと、サムスンのHDD、HD154UI(1.5TB)を購入し、「4台はい~るKIT」に増設してみた。ところがうまく動かない。

1.まず、普通に、HD154UIを、「4台はい~るKIT」の2台目のHDDとして増設した。ところが、これまで普通に使えていた1台目(日立製)も認識されなくなった。コンピュータの管理>ディスクの管理にも表示されない。

2.HD154UIを外すと、やっぱり1台目は普通に使える。

3.「4台はい~るKIT」を改めて読み直すと、スイッチについて書いてある。だが、背面を見てもそのスイッチは正しい状態になっている。

4.HD154UIはSATAだがジャンパがついている。が、ジャンパピンがない。普通ならHDDに簡易説明があるはずだが、なんの説明も書いていない。ネットで探し出した英語のリファレンスを読んでみたが、Mater/Slaveには関係ないようだ。実際に別のHDDのジャンパピンをさしてみたが認識されない。

5.仕方ないので、「4台はい~るKIT」の1台目(日立製)を外して、HD154UIを1台目として接続してみた。すると、コンピュータの管理>ディスクの管理には表示されるようになった。

ついにやったか!!

と思うもつかの間、フォーマットができない。右クリックのオプションをもろもろ操作してみたがどうにもフォーマットできない。

6.「4台はい~るKIT」のドライバ更新を試みた。けっこう手間のかかる作業だったので大いに期待したが、今度はなんと、コンピュータの管理>ディスクの管理に表示されなくなってしまった。

7.「4台はい~るKIT」のHPをよくよく読んでみることにした。すると、やっぱりどんなHDDでも動作するようなことが書いてある。むしろ動作しなかったらNOVACがHDDメーカに問い合わせるとまで言っている。そして、最後にこう補足されていた。

「サムスン製ハードディスクにつきましては、相性問題が非常に発生しやすいため、すべてにおいて動作保証の対象外とさせていただいております。」

なんと!!
なんとなんと。

情報テクノロジーは今後こういう愚かなミスを防ぐ方向で進化していくんだと
ずっと信じています。
本来なら、俺がこれを買おうとした瞬間に、積極的に誰かがアラートを出すべきなんです。
それから、持っている家電とかソフトとか乗用車とか食品とか、中には気づかずリコール対象になっているものもあるでしょう。
例えば、暖房器具で一酸化炭素中毒になってからじゃ遅いのです。


がっくり肩を落とすも、今回の本当の落とし穴はこの先にあった。



8.元の日立製のHDDに戻してみた。すると、なにやらワーニングが表示される。

「Windows-遅延書き込みデータの紛失 ファイルD:\$Mft(違う時もあります)のための一部保存できませんでした。データを損失しました。このエラーはコンピュータのハードウェアまたはネットワーク接続の障害によって発生した可能性があります。このファイルをどこか別のところに保存してください。」

検索してみると、HDDが「お釈迦寸前」といっている。そんなわけなかろう。日立製のHDDはずっと普通に使えていたし、ワーニングは出てるが、こうして普通にファイルを見られるし。(この時点では普通に使えた)

9.なんかの用事があって、OSを再起動した。日立のHDDにアクセスしようとすると、今度は

「D:\にアクセスできません。ディスクが壊れているため読み取ることができません。」

と言ってきた。

え?
えええ!!!!!!
ほんと?

しかし何度もクリックしても

「D:\にアクセスできません。ディスクが壊れているため読み取ることができません。」

と言ってくる。

10.チェックディスクをやってみた。一瞬で終わった。まったくチェックされていない。

11.HDDを「4台はい~るKIT」から抜いて、ファミコンのカートリッジでそうしたごとく、息を吹きかけてみた。効果なし。

何をしても、ため息を出しても、どんなに失望しても、どんなに嘆いてみせても、ドライブクリックで出てくるメッセージは
「D:\にアクセスできません。ディスクが壊れているため読み取ることができません。」


その後数日かけていろいろやってみたものの、状況は変わらず。写真やら歌やらDVDやらこれまでの多くが入った200GB分、いったいどうしてくれるっていうんだろ。


今回のおさらい。

①購入したサムスンのHD154UI(1.5TB)は一度も正常に動かず。
②これまで長年使っていた日立のHDD(240MB)までもディスク破損という事態に。

心の整理がついていません。
フォーマットすれば使えるようなんだが(実際には不明)、今のところその気にはなれません。


products - SAMSUNG United States - Main
hd154ui 認識されない
NOVAC ハードディスク相性保証
ハードディスクの物理障害、果たして本当に復旧できるのか?~前編~
Googleによると、ハードディスクは温度や使用頻度に関係なく故障する

2009年10月25日日曜日

東京22区

先日、たまプラーザ駅付近のラーメン屋に行った。

テーブルごとにノートが置いてあり、様々なことが書いてあった。その中に、東京23区をお題とし山手線ゲームをやったであろうページがあった。22区まで出せたようで、

「残り1つ!」

と書き残され、ゲームが終わっていた。


ぜひお手本を見せてやろう。

そのページを伏せて始めてみた。しかし意外にこれが難しい。17個で早くも行き詰った。残り1つどころか6つもある。

#なんならみんなにも今やってもらいたい。

基本的に世田谷とか渋谷とか港区とか品川区とか、西、南方面は悩むまでもなく出てくるのだが、東の方がどうにも分からない。もう東京17区でいいんじゃないかとも思ったが、それでも何とか脳を叩いて記憶を搾り出して、22区まで行き着いた。

そして残り1つとなった。

何をどうあがいても分からない。観念し、伏せたページにその答えを探した。そこの22区の中にこちらの出せなかった区があるはずだろうと。ところが、こちらの22区も、あちらの22区もまったく同じなのだ。

「いや、ちょっと待てよ、東京が23区というのは都市伝説で、本当は22区しかないのかもしれない。」

そう考えるとすごく神秘的だった。

  「23区」という言葉と、実在する区の数。実は一致しない。
  20X9年。
  そこには政府の陰謀があった。

なんて、映画の予告編を想像してしまった。


いやいや。頭をふるって現実に戻り、携帯で調べることにした。

「23区とは、オンワードのブランド。」

これは関係ない。どうでもいいものばかりが表示される。そしてやっと東京23区が羅列されたページにたどり着いた。千代田区、、中央区、、港区、、、新宿区、、スクロールするごとにドキドキしてしまう。残りの1つは何なんだろう。そして、ついに答えが。


文京区。


あったのかよ文京区。ブンキョーク、ブンキョーク。練習してみた。生まれて初めて発した言葉かもしれない。とかいったら文京区民に怒られそうだ。

その昔さいたま市がまだなかった頃、私の生まれ育った埼玉県の県庁所在地を言い当てるのは、地方の小学生にとって難しいらしく、そういう扱いでテストに出題されていると大阪からやってきた転校生が言っていたことを思い出した。

たまプラーザの人にとっての文京区。文京区の人にとってのたまプラーザ。

たまプラーザ・・。
俺はここに住んでなかったら、たまプラーザと多摩センターの区別がついていない。
そもそもみんなはどちらも知らない?

2009年10月18日日曜日

HALLELUJAH

HALLELUJAH(ハレルヤ)。綴りは一生覚えられそうにない。

Airがあるアルバムの中で歌っているが、歌詞はすべて英語で

「また随分白人かぶれな歌だな」

くらいに感じていて、大概その曲はすっ飛ばされる運命にあったのだけど、ある時、その運命は変わった。

えー、ユーチューブ上で見かける、ウクレレで適当にかっこよく歌い上げる、イギリス人風の女の子が、まさにAirのアルバム中のHALLELUJAHを歌っていたのだ。この子の話はまた今度書こう。

彼女が歌う曲は、すべてメジャーな曲ばかりなので、HALLELUJAHも間違いない、と検索してみた。

そこで辿りついたのがこの動画。

http://www.youtube.com/watch?v=T2NEU6Xf7lM
(残念なことにタグの埋め込みできず。クリックして見てね。)

HALLELUJAH。とてもいい曲じゃないか。

なんなら俺も混ぜてもらいたい。
ついそう思ってしまいました。


参考まで、ハレルヤとは、「ヘブライ語由来の言葉で、「主をほめたたえよ」の意」とのこと。

2009年10月6日火曜日

ベイズで未来を推定

えっと、俺は中学までは数学が超得意だった。それから国語がダントツ苦手だった。
けど、暗記が苦手で、総じて記憶する学問が嫌いだったので、大学は、直感だけで試験が通りそうな文系に進んだ。(高校の数学は公式を記憶する学問という印象。)

もう少し真面目に勉強し理系に行っていれば、もう少し違った今があったに違いない。

なんていう言い訳がまし気持ちがずっとゼロではなかったけど、それは妄想に過ぎなかったと、文系に進んで正解だったと最近仕事をしていて思う。

理系のみんなは知っているかもしれない回帰分析とかベイズ推定を用いた研究?をここ3ヶ月ほど某大学の教授とやっている。大学の数学は、なるほど~!!と今さらながら納得することも多々あるけど、公式がひどい。

勧められるがまま本を3冊買った。

入門ベイズ統計―意思決定の理論と発展
ベイズ統計学入門
入門 医療統計学―Evidenceを見出すために

ペラペラめくるだけで十分。
これが噂の相対性理論ですか、と聞きたくなるような公式が頻出する。
どれもこれも数学に頓挫した高校時代の挫折感を蘇らすには十分。

代数幾何
微分積分
サインコサインタンジェント。

ああ走馬灯。
決して覚えたくない。
覚えてはいけない。
見てもいけない。


そういえば、数学の時間は中抜けしてよく床屋に行った。
校門で五月蝿い先生が見張っているときはフェンスを越えるなどしたもんだ。

そう、あの頃から既に自分で髪を切ることをトライしていて、時に左右不均衡になることがあった。

その床屋は切った髪の量で値段が決まった。
バランスを整えるだけなら200円。
全体的に切ってもらっても500円。
髪の多い友達は800円した。
その値段の差を友達は悔しがっていた・・(^^;
俺、あの頃、まだまだ直毛だった・・


話は戻り、数学は奥が深い。
でも俺の言葉ではその奥深さは語れない。

 過去に発生した無数の事象と結果・・・・標本
 結果ごとに有意といえる事象の列挙・・・回帰分析結果

 標本、回帰分析結果を踏まえれば、
 今回の事象から、起こりうる結果(未来)をベイズの定理により算出されるはずである。

なんとなくそういう感じです。
この結果は、僕らの直感が間違っていることを未来永劫証明し続けることになるかもしれない。

2009年10月3日土曜日

明治の後に江戸はやってこない

民主党政権はどれくらい続くのか?

うちの親父が自民党に戻ったら子供手当てがなくなるだろうと心配していたのでこう言っておいた。

「俺がどこに投票するかは分からないけど、民主党は20年もつよ、だから大丈夫。それから二大政党というけれど、もう一方は自民党じゃなくなってるよ、おそらく数年先にはね。」

どうでしょう。この予測。
当たったらなんかください。はずれたらすいません。
明治維新の後に、徳川幕府が復活することはない、ということなんだけど。

自民党で必要とされていた能力は、日本のビジョンを明るく指し示すことではなく、大義名分を掲げつつもごく狭い柵の中で上手にやりくり能力、だったとか。お陰で今じゃ、世界からおいてけぼり気味です。

ところで、おいてけぼり、って何ですかね。

なんだかんだいって

0時にテレビをつけて、もし東京に決まったらどうしよう、なんて淡い期待を抱いてしまった。

しかし、なんなら今この瞬間ブラジル人になって歓喜の輪の中に入りたい、

http://sankei.jp.msn.com/photos/sports/other/091003/oth0910030213062-p1.htm

この写真をみてそう思ってしまった。
仮に東京に決まっててもこんなに盛り上がってなかったよね。
リオデジャネイロ、正解でしょう。

でももしこれでブラジルの治安が良くなるなら、旅してみたい。
サッカーのワールドカップもやるみたいだし、しばらくはブラジルが熱そうです。

2009年8月30日日曜日

今日は選挙

情報収集し未来をそれなりに正しく予想できる人と、そうでない人がいる。
とはいえ、平等という言葉の元に、人間一人に一票の投票権が与えられている。
なかなか未来を予想することは難しいけれど、投票権を与えられている以上、
それを時間を割き真摯に考えてみる、というのも同時に課された化された使命と言えるんじゃないですかね。


目的は、どこぞの党に政権を取らせる、ではないと思うんです。
テクノロジー、それから政治の進化により、
利己的な人、私利私欲の強い人が報われるのではなく、人、地球、世界に貢献した人が報われる、
そういう社会になって欲しいと願います。

今日の僕の一票はそのための一票です。
今回で終わるのではないですね。

微々たるようにも感じるけど、この思い一つが世界を変えていくんだと信じています。

2009年8月25日火曜日

神津島

三日前に急遽手に入れた三連休。
街に行ってもつまらんし、
山は富士山の苦い経験がまだ消えてないし、
地方都市は出張で時々行ってるし、
御蔵島、三宅島、大島、式根島はもう行ったし、
八丈島は飛行機が満席だし、
ということで、この度、消去法により選び抜かれたのが神津島。
フェリー、ジェット船で行くのが一般的と思うけど、
それらは何度でも乗っているので、小型飛行機を選んだ。
初だ。

調布飛行場から神津島。フライト時間はたったの40分。値段は片道1万5千円ほど。ちなみにジェット船は3時間で1万強、フェリーは9時間くらいで7千円くらい?

しかし、調布飛行場行きのバスは驚くなかれ1日、2、3本。そして調布駅からタクシーにのって、着いたのが、



こちら。羽田、成田とは大違いですね。

しかし、府中と調布はよく似ている。俺レベルの記憶力だと、区別がつきにくく非常に困ります。



出発ロビーも到着ロビーもチェックインも荷物のお預けも、機内持ち込みのチェックもすべてここで完結。ある程度予想はしていたものの、それを遥かに越える規模の小ささ。売店は自動販売機のみ。空港にちょっと早めに入って、ロビーで朝食でも食おうか、なんて考えを抱いていたことは決して口にできない。



歩いて飛行機に向かいます。



狭いです。立てません。

離陸の瞬間は大型飛行機と違って感動しましたね。プロペラの轟音と滑走路を走り出す時の振動と、、どういうわけか零戦に乗り激戦地に向かう兵士の気分になりました、一瞬。ええ。



上空からうちを捕らえました。確かに写ってます。



富士山です。右下は江ノ島ですね。

登ったあの日の富士山はどうしようもなかったのに、頭を雲の上に出してます。
正直、悔しいです。これなら、8合目以降は雲の上に出る、と確かに言えるよね。



新島です。



目的地、神津島です。「神津島上空は不安定なので、着陸できない場合、調布飛行場まで引き返します」という条件付出航だったけど、山以外は晴れています。手を合わせて祈った甲斐がありました。



民宿のおばちゃんが空港で待ってました。気さくで謙虚で素敵なおばちゃんです。この軽自動車を翌日借りることになります。



浜川荘。旦那さんが3年前に他界されたそうで、おばちゃん一人で切り盛りです。



客室は3部屋。他の客がいなかったので、もっともよい部屋をゲットです。



神津島唯一の信号機、だそうです。この時、レンタサイクルの自転車に乗ってます。24h2000円。



ぐるぐる漕ぐこと1時間も掛かってないですね。赤崎です。



ディズニーランドのアトラクションのようだけど無料です。ライフセーバーも見守ってくれます。ただ、どっから飛び込んでも注意してくれません。橋から飛び込む人もいれば、写真には写っていないけど橋の3倍くらいの高さの岩場から飛び込む人もいます。開放的でよいです。都会のPTAみたいなことを言ってると、人間の能力が退化します。



真ん中に浮いてるのが俺ですね。



もぐってます。水深5m以上ありましたかね。海底に練習用と思われるオモリが沈んでいたので、潜っては掴んで海面まで上がってきて、そして、ポイントを選んでリリース、これを何度も繰り返しました。うっすらみえますか、黄色のフィン。ミミ抜きが下手なのでミミがすげー痛いです。

ふと見ると、海底には初心者とみられるダイバーが固まっていました。ダイバーはまた別の領域に足を踏み入れているのですね。これも興味深いです。



上の方からの写真です。



向こうに見えるのは、新島か式根島です。



空が青いといいです。



行き止まりです。でも、トンネルの暗闇が非常に気になります。目を凝らしても暗闇以外に見えないのです。柵をこえ、自転車で暗闇の中を突き進んでみました。



しばらくいくと、トンネルの向こうに出ました。土砂崩れで先には道がありません。



左手に海がありました。誰もいません。例により石をゲットしました。ゲームでアイテムを手にしたときの音楽が流れてしまうのは、俺だけじゃないはずです。



トンネルを振り返るとこんなです。



里へ帰ってます。日が傾きかかってますね。



傾きかかってるけど、空はこんなに青いです。笠が掛かっているのは天上山。この島でもっとも高い山です。たしか。



緑と青。

二日目



初日自転車をこいでいて、富士山の時に痛めた左ひざがうずき出したので、二日目はおばちゃんの軽自動車を借りました。学生時代のすし屋のアルバイトで軽自動車は散々乗っていたけど、それ以来の重ステ。ハンドルもブレーキも非常に重いです。



多幸湾。



だいじんこ。方言だそう。意味はわすれてしまいました。
スリッパに履き替えるティースペースです。ティースペース?確かにそう書いてあったけど。ここのおばちゃんが俺のカメラに興味を示してくれました。なので、ちょうどこの写真をお見せしたのです。



店の外にもテラスがあり。いいですねー。



返浜。かえすはま、と読むらしい。車で山を通り抜け辿りつける秘境です。この写真がたまらなく気に入っています。



長浜です。なんだかふいに長浜君という小学校の時のクラスメートを思い出しました。彼は、運動が得意じゃないのに、ジャンケンで負けて体育委員になってしまったのです。もちろん、体育の授業では前面に立って準備運動するのだけど、その彼が

「じゃあ、次は手足足首」

と自身なさそうな印象的な声で言ったのです。手足足首?みんなそわそわしました。手足と足首。なんか違うよな?って。次の瞬間、みんな大爆笑しました。平和だったな~。

何年前のことですかね。もう25年くらい経つんだ・・。つい昨日のことのように覚えているんだけど。

三日目





曇りのち雨の予報が外れ、完全なる快晴です。



天上山もご覧のとおり、雲ひとつなく山頂まではっきり見えます。



崩れようとしている波の向こうに海底が透けるんです。



屋久島で作ってしまったドカタ焼けのコントラストが少なくなるくらい焼けました。



タラバガニのような太い足を持った蜘蛛です。



14時過ぎの便だったのですが、余裕を持ちすぎて空港に着いたので付近を散歩です。



離陸後の神津島。来た時とは違って見えます。もう未知ではないのです。



帰りもプロペラの向こうに富士山を確認しました。確かに、頭を雲の上に出してます。

くそう、と。

そうそう、なぜ僕らが富士山にアタックした時、山頂に笠が掛かっていたか。推測によるとこうです。多分、その雲は冬の間に積もった雪が蒸発しできたもの。だから、蒸発しきった黒い山頂の富士山にはもう笠は掛からない。



読売ランド上空。高度は飛行中ずっとそんなに高くならないです。たった40分なんでね。最初から最後まで離陸着陸態勢みたいな感じです。



神津島はスカッとしていたのに、本土には分厚い雲が掛かっていました。

毎度のことながら、旅の思い出プライスレス。

2009年7月20日月曜日

富士山

ただのでかい山

近年、それなりに山に登っているから、そんな風に高を括っていたけど。
一生に一度はご来光を見ておこうと18日夜から富士山に登ってきました。



ひゃっきんで頭に装着するライトを購入したところ、電池の購入を勧められた。うーんと悩んでいるとなんとくれた。ただでくれた。格好から登山に行くのを察したらしく、ここんところのニュースもあって妙に心配してくれた。おばちゃんに非常に感謝m(_ _)m。ニコタマ改札前です。



新宿のヨドバシカメラには電子楽器などを買いに何度も足を運んでいるけど、目の前に高速バス乗り場があるとはまったく気づきませんでした。収集する情報を意外と限定してしまってるんだなと・。


今回は三連休の初日の土曜の夜。月曜日にゆっくり休めるとあって、バスは臨時便が出るほどの盛況ぶり。臨時便が二台目のバスかと思ったらそうではなくて、合計五台出ました。19時30分発、22時富士山五合目着のバス。外国人が多くいます。

これですね。片道2600円。



府中あたりですか。花火が上がってました。



車内では知らない人との相席に。なんなんで話しかけてみると、彼が意外に話好きで、大いに富士山情報を提供してくれました。写真がその彼、千葉在住、富士山三度目の登山の清水さん。自動販売機で買ってる彼です。掲載許可をもらわなかったので本人と分からない程度の控えめな写真です。

天気予報が冴えなかった点を尋ねると、

「八合目以降は多分、晴れてますよ。以前の二回とも下界は雨降ってましたが、八合目あたりまで行くと、雲の上にでるんです。ご来光もそうですけど、雲海すれすれの雲の感じがほんといいですよ!あれは見ておいたほうがいいです!」

「でも、確かに七合目あたりから雲の上に出るという話もありますけど、出かける前に見た富士山のライブカメラの写真によると、雲は山頂の遥か上空で、さらに山頂には厚い雲の傘が被ってました。」

「いや、多分大丈夫です。」

ライブカメラの写真と、雲の上に出るという証言。どちらが正しいんですかね。

それから、ヨガの呼吸法とか、ジャックマイヨールの話とか、鳥海山のこと、屋久島のことなどなどについて話し込んでいるうちに、少しは寝ようかと思ったのだけど、バスは富士山のふもとに到着します。

そして突如、渋滞にはまったように進まなくなりました。フロントガラスの向こうに見える信号が何度青になっても一向に進みません。しかもその理由を運転手がなかなか説明しません。日ごろ、都会の一分一秒争う電車に乗りなれているこちらとしては、つい、この黙りこくる運転手に何か言いたくなってしまう。ようやく流れた車内放送によると、五合目の駐車場が満車で規制を掛けていると・・。

え?バスまで一般車両と同じに待たされるって、どういう管理?

こぼれそうな言葉をひとまず飲み込みます。清水さんも、こんなことはなかった、この調子だと登山道は大渋滞かもしれない、今日は外れの日かもしれない、と嘆き始める。さらに暫くすると、車内にあったトイレのタンクが満タンに迫っているので、トイレはもう利用しないでほしいと、運転手がアナウンスした。なすすべなく時だけ過ぎてゆき、30分ほど待っただろうか。

ようやく麓を発車するころには、到着予定時刻の22時近くになっていました。結局着いたのは、22時半すぎです。好いていれば、21時半に着いたので、1時間遅れた勘定です。

少しずつ計画が狂い始めていました。




賑わっています。



いよいよ登山開始。闇夜をひゃっきんのライトが照らし出します。どうせならちゃんとしたヘッドライトがよいです。ひゃっきんのライトは3つあったのだけど、そのうちの一つは、「マンガン電池を使用してください」の警告を無視して、アルカリ電池を入れてたことにより、登り始めてすぐに、電球が切れてしまいました。おそらく、パワーが強すぎました。



団体さんです。ツアーだと自由行動は取れずこうなってしまうようです。




既に0:04。まだ6合目についていません。



見下ろせば、夜景が広がっています。写真はぶれてます。登りはじめは感慨深かったけど、次第にそれも普通になってしまいます。山頂方面を見上げると、山小屋の明かりとそれを繋ぐ人の流れか、ナイターのスキー場のごとく光っています。それらは、すぐそばに見えるようで、一向に近づいてきません。



六合目でカップヌードルは500円です。



山小屋は駄菓子屋のようです。ただ、みなそれなりに準備してくるので、食品が売れている感じはしません。



水で炊けるご飯です。前衛的です。
んが、結局これから数時間後の下山途中で食させてもらうものの、試作品といった味わい。ぱさぱさしてます。



クリックで拡大してください。満点の星空です。岩場にカメラを置いての撮影。



七合目あたりから、噂どおり寒くなってきます。



実はこんな大渋滞。山小屋を抜けるところがもっともひどい渋滞となります。



湖面に月光が浮かびます。太陽光には描けない幻影です。



八合目、3100mです。



寒さは予想を上回ります。



4:15分ごろです。日の出は4:41なのに、もう白んできています。



3250m。七合目以降、空気の薄さを徐々に感じていたものの、八合目以降、それはより深刻に。踏み出す足の踵は、支える足のつま先を越しません。少しでも普通に歩こうものなら、動悸が激しくなります。



4:40ご来光直前です。



4:41雲が怪しげに覆ってきます。

この日のご来光はなしです。



以降はずっと雲の中でした。この写真を最後に、5:13から7:46(十合目)までの2時間半、写真を撮っていませんでした。

八合目半ばで、みな、寝不足、足の痛み、呼吸のつらさ、疲れ、などで生きた顔をしていないんです。よそのおじさんなどは相当苦しそうに道にしゃがみこんでします。高山病か、トイレで吐いている人もいたそうです。

僅かにそこでのリタイアも考えましたが、あと一息九合目の山小屋まで頑張ろう、そこで温まりながら考えようということになりました。が、ついてみると九合目には休憩所がありません。そして山頂まで500mとありました。そっか500mならいくか、となりました。

残り500m

そして、この500mがこの登山でもっとも過酷な区間でした。大渋滞で一歩も進まないのです。どこかでつかえているのか、たとえ僅かに進んでも、前の人との間合いが詰まったり、列が横に広がったりで、根本的に進む感じがしないのです。動かないと猛烈に寒くなってきます。軍手は完全に濡れて、手の感覚はほとんどなく、がくがくぶるぶる悪寒が止まりません。

暫くすると、上の方で何か言っている声が聞こえました。怪我人が降りるので道を明けて欲しい、といっています。しばらくすると、腕を包帯でもちあげた女性が降りてきました。頭に巻いている包帯には血がにじんでいます。

突風に吹かれたんでしょうか。

参考にしたサイトには、落雷、落石、突風での滑落に注意とあったのですが、突風が想像を超えていました。その前の週に、落石で駐車場で休んでいた方の車を1トンの岩が貫通し、車で休んでいた方はなくなられたそうですが、1トンの岩が動き出すのが十分に理解できる激しさでした。突風が吹くと、みな手を地面につけ、身をかがめます。そうしないと飛んできた石がぶつかるし、自分自身も飛んでしまいそうな、そんな感じです。まともに風を受ければ、2、3mは軽く動かされます。つまり、斜面のそばだと、十分に滑落もありです。

一向に進む気配がありません。中には、引き返す人もいます。僕らの隊も、そろそろまじでやめないか?と言い始めました。丁度そのころ、ようやく、流れ始めたのです。
九合目からの500m。2時間ほど費やしたでしょうか。



ついに、7:48、十合目に到着。くたびれ果てました。

前日の23時から登りはじめて、およそ9時間、予定から、2時間50分遅れの登頂でした。「寒さの中、太陽の偉大さを感じることができる」という前情報はまったくあてになりませんでした。

山頂につき、まず知人の中山さんから紹介されているヒロアキさん(山小屋のオーナー)のいる山小屋を探しました。トン汁トン汁、と言いながら探していると、どこかの誰かが富士吉田口に降りる道を尋ねていました。それは僕らが登ってきた道であり、また、尋ねられた人が答えられていなかったので、横から「きっとこっちですよ」と言ってみました。すると見覚えのある顔。バスで隣だった清水さんでした。

おーー!!と。

そこで、いつ登頂したのか聞いて見ると、渋い顔をしながら7時であると、

それから続けて、

今日は天候も人の多さも非常に良くない、
上まで登ってこの景色はない、
明後日までの予定だったけど天候が回復しそうにないので今日でもう帰ろうかと思う、

と・・。では気をつけて、アデュ、と別れました。




山口屋でトン汁を頼みました。うまいんだけど、ほぼ味わう余力なし(^^;
ヒロアキさんも簡単にご挨拶したものの、客をさばくのにテンヤワンヤでもう大変。

「みなさーん!!まだ登山は終わっていませんからね!!まだ半分です!!下りに怪我をする人が圧倒的に多いです!!今日はコンディションも非常によくないので早めに下山してくださいね!!!」

と大声で言ったのが、ヒロアキさん。たくましそうな山男でした。中山さん、日本アルプスの件、チャンスがあれば誘ってくださいね!

本来なら、お鉢めぐり、という火口一周も計画していたんだけど、それどころではなく下山することにしました。



雪はまだ残っています。



そして下り始めてすぐに気づいたこと。左ひざを、曲げたり、軸足にすると激痛が走る、どうやらじん帯を伸ばしてしまったようである、ということ。なんとなく登りで分かっていたものの、まさかこれほど痛いとは・・。

普通に下れないのです。とにかく左足は曲げないように、できるだけ軸足にしないように下りました。足場はほどよくジャリで勢いつけて走っても問題ない斜面なのに、地道に歩くしかない、これはきつかったです。



八合目あたりまでくると、登りのとき、雲の中に入ってしまったのとは逆に、下界がうっすらと見え始めます。



こういう岩が落ちていくんでしょう。危険です。



例によって小石をゲット。って富士山のは持って帰っちゃいけないんだっけ?

石を持って帰るのはよくないか

石を持って帰るのはよくないと言われているんですよ(どちらかというと霊的な感じで。)

と、以前にも何度か言われたことのあるセリフをそこでも言われました。そうなのかと僅かにビビリながら考えました。俺の人生は、ひょっとすると、あの石たちがなければ凄いことになっているのに、石の負のパワーでそのすべてが遮断されているのかもしれない。ということか?すべてあの石のせいだったのか!!
いや、でもまてよ、もしその仮説が本当なら、パワーストーンとかいって石を売ってる店は、俺んちと比にならないほど最悪といえるよな、それに石そのものを携帯するのも悪いということになるよな、でもそんなのは聞いたことないな。幸運のアイテムとしてみんな身に着けてるよな。
といういうことで、その仮説は信ずるに値しない、ということになりました。
一件落着です。

それともう一つ、霊的にではなく、そういった人の行為により、地球の環境が変わっていくのが問題であるという視点がありますね。これは、難しい問題と思います。過去のままであり続けることが正しいのか?、それから、自然から生まれた人の行為は自然とは異なるか?という問いに答えられるのは誰でしょう。例えば、人間によって絶滅したオオカミを再生しようとした時に浮かんでくる、一体どの年代の生態系を正とすればよいのか、という問いと似ています。



ここが須走口に向かう最後のコース。ざっくざっくと真っ直ぐに下りてゆける、楽しいコースです。七合目付近から五合目付近まで一気に下るのです。



しかし、これがまた左ひざを痛めているこの上なく過酷でした。



急斜面で、ひたすら長いのです。どこまで下りても景色が変わらないのです。頼むから終わってくれ~、何度も心で訴えました。



遠くの湖面に竜巻がおきているのがみえました。



やっとついに終わったー!と思ったら、またここから2km下ります。



森を抜けると、須走口です。

富士急行もお前もか

須走口から御殿場駅までバスです。バスの運ちゃんがまた白タクの運転手のような、腹の据わった声で、それはいいんだけど、これまた態度が横柄な品格なしで。神奈川のバスもそうなんだが、富士急行お前もか、と。本気で多くを言いそうになったのだけど、みんなもいる手前、噛み殺しておきました。^^;
富士山観光業に携わる人々は、霊峰富士に甘えてはいけないと思う。



不思議な雲でした。田園都市線から。



さぎぬまです。ここまでくると非常に落ち着きます。



パン屋の脇のこの空が好きでよく写真を撮ります。


富士山、なるほど日本一の山でした。想像以上にスケールが大きかったです。
ただ、逆に、もう少し変化があってもよかったかな。と。


そういえば、まだ自分が3歳だった頃、五合目から見た山頂の、あまりの雄大さに怯え、怖いよと泣いたらしい。でも、その感覚、少し正しかったのかもしれないよね。