2006年11月3日金曜日

宿坊

息が白い。ここは寺。21:53。布団の中。

ガラス格子の扉の向こうは100以上の位牌がひな壇のように並んでいる。うーん、心地よいとは言い難い。

時計は少し進んでいて、今、22:00を告げる鐘が10回鳴った。俺の耳元だ。って待てよこれ。30分に一度、夜通しなり続けるってことか!?

そもそも、今回のお誘いについて電話があったのは昨晩。日中、たしかに

「座禅しに行きません?」

とメールはあったけど、翌日だとはな。こんな企画を考えてくれるのはもちろん彼しかいない。俺のいっこ下の、同じ誕生日の彼だ。

ここ暫く個人的なことがまったくできない状態だったので悩んだんだが、座禅という沈黙の中の神秘的な儀式に以前から興味があったし、漠然と宗教全般に関心もあったので、いっちょ行ってみることにしたのだ。

登戸、府中本町、新秋津、秋津と乗り換え、飯能に到着したのが14時過ぎ。

しかしあれだ、飯能といえば、駅周辺にビルはなく、ロータリーの木々は枯れ、ベンチはやや風化しかかって、、どこか時代に取り残された感じがたまらなく哀愁。

などと勝手な想像していたんだけど、着いてみると普通に駅ビルあるし、スタバもあるし、ミスタードーナツもあるし、松屋も吉牛もあるし、たくさん人いるし。哀愁なのはむしろ百合ヶ丘の方だし。ということでちょっと寒かったのでユニクロでフリースを買った。便利な町じゃねーか。


ここは秋津。


飯能からのバスの中。


次はつくえー。つくえー。京急のYRP野比も驚いたが。


埼玉県民におなじみの国際興業バスだ。飯能駅から1時間ほどかけて終点、名郷に到着。


ふと下を見るとビ、ビニールの手袋が!いきなり事件発生か!


なんて、旅に出るとどうしてもそういうのを期待してしまうわけで。


のどかだ・・。


ああ、さっきから言ってる彼はいちだい君。

シャッターの瞬間そっぽ向いちゃったけど、ちょっとにやけてますね。


寺発見。


お寺の奥さんに撮っちゃ駄目なところを尋ねたら、特にないと言っていたので安心してとりまくる。


この右の猫・・


だいぶ俗っぽい。金運か。。

でだ。

寺に上がると、既に先客が4人来ていた。しかしなんだかみんな無言なのだ。座禅の予行演習か、ただ単に人見知りなのか、人に興味がないからなのかよく分からなかったが、とにかく全員無言。超寒いのに寒いとも言わず、肩幅を狭めているだけなのだ。みんなすごい。

そこでいくつか質問を投げてみることに。

Q1.寒くないですか?

寒いです。(みんな)

Q2.どこから来ましたか?

東京です。(みんな)

Q3.ブディストですか?

ブディスト?ああ、仏教徒ではありません。(みんな)

だめだ会話が弾まない。みんな一人で来ているようだったが、核心の寺に来た理由についてはやっぱり俺も聞けないし、諸事情あるんでしょうから、名前も聞けない。写真もへたにとって、写ったりしたら怒られそうだから撮れない。

そうこうしているうちに、住職現る。そして開口一番、

「え?寒くないですか!?扉閉めていいんですよ。」

ああ、玄関の扉が全開じゃねーか。

「お茶も飲んでくださいね。」

ああ、お茶あったのか。

きっとみんな郷に入ったら郷に従うつもりでいるんだろうが、仏教という特殊な郷のルールをよく分かっていないため、ひとまず可もなく不可もなく何もしないでジッとしておこう、という流儀を貫いているようだ。

「このお茶がえらい薄いのも修行の一環なんですかね。。」

「どうなんですかねー、はは・・」

ということで、ちょっと文章書くのが面倒になってきたので、スピード上げますが、その後は、40分座禅して(苦痛)、説法聞いて(なるほど仏教)、精進料理食って(粗食ではない)、20時ぐらいから順番に風呂入って(広い)、寝たい人から寝て(寝れない)。。

 

で、就寝の前の、修学旅行だったら枕投げをする時間に深く会話をしたのが今まで20カ国に行ったことのあるニコヤカくんと、10代の頃をパラグアイで過ごしたシュウちゃん。

#シュウちゃんという呼び名は後日(この二日後)聞くことになる。

ニコヤカくんの方は、カナダに留学いていたというので、オーロラを見たか聞いてみた。

「オーロラならフィンランドで見ましたね。ふと窓の外を見たら一瞬だけ見えたんです。フィンランドは出張で行ってたんです。」

とニコヤカに言っていた。

それは妖怪ではなかったのか?と聞き返したんだが、残念ながら普通にオーロラだったようだ。しかしオーロラなんてそれくらいがちょうどいいよな。高い金払ってオーロラツアーに行くなんて馬鹿馬鹿しい。やめよう。

それからシュウちゃんの方がまたすごくて。このお方は、座禅の最中に遅れてやってきたので当初の沈黙メンバーにはいなかった人。いたら雰囲気間違いなく違ったと思う。

彼はほんと守備範囲が広いのだ。どんなネタにもついてこれるし、というより、だいぶ先を行ってるのだ。いろんな話に聞き入ってしまった。ついでにスペイン語を操るシュウちゃんに俺のうる覚えのスペイン語が正しいのか確認してみた。

?Que hora es?(今何時ですか?)

Adios amigo, hasta la vista!!(じゃあ友よ、またな。)

あと、

tener que (=have to。~しなければならない。)

おおー、使えねー。使えないスペイン語3フレーズしか覚えてない。だてに再履修していない。ちなみに、パラソルもスペイン語だ。

para sol(=for 太陽)

しかもシュウちゃん、実家の最寄り駅の駅ビルに入っているマッサージ屋さんのオーナーでよ。俺、その店の前、何度も通ってるし。三宿通りの奥のタイ古式マッサージの話をしたら、どうやらそこにも店を出す前に勉強で行ったことあるって言ってるし。その他もまあ、実にいろいろやっていて。


で、ここが寝室。奥が位牌堂。

ちょっとお化けがでないかと期待しつつ、電気を消したが普通に寝てしまった。

浅い意識の中で聞こえてきたのは鐘の音だった。その鐘は12回鳴った。0時なら0回でいいのに。。

しかし、妖怪にはなかなか会えないもんだ。

 

宿坊二日目


水墨画のような朝だ。↑クリック

えらい寒い朝だった。

座禅は壁に向かってするのが正しいそうだ。今回は窓を壁と見立てやったのだが、鳥は飛び交うし、気を抜けば、あの俗猫に視線が行ってしまうし。


笑いを堪えるので精一杯だった。


雑念だらけの座禅後の掃除。


美しい朝食。

食後はお湯を注ぎ、漬物でごしごしと綺麗にし、それを食す。確かにそれ正解かもしれない。

それとこの器、ちょっとずつ大きさが違って、見事に簡潔に重なるようになっている。


写経。1000円也。


他のみんなは帰ったというのに、しゅうちゃんとの会話はとめどなく続き、結局この後温泉に行くことになる。

ロサンゼルスドジャースのキャップをかぶった郵便局のおっちゃんが、勧めてくれたのが、


この大松閣の温泉だ。


たしかによい見晴らし!


皇太子殿下がごひいきにしてくださるんだと、誇らしげに地元愛を語る姿がなんとも謙虚で美しかった。


別館の食事処で、2800円の御膳を頂く。雰囲気も相まってうまかった。

 

まとめ

座禅しにくる人たちはむしろ、煩悩の赴くまま興味本位で動くタイプが多いんじゃないか、という俺なりの結論に至った。ゆえに気がよく合う。

それと説法を聞いて、表現の違い、実践方法の違いこそあれ、抽象化すると世界中のどの神様も同じになるんじゃないかという思いがより強まった。住職の言葉にもあったとおり宗教は生き方の教典に他ならない。

 

楽しもうという心があれば、人生何もかも楽しい。それに、人の喜びを自分の喜びに変えることができるなら、その幸福はより間断なく訪れるんじゃないかと考える。

 

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