2006年6月17日土曜日

ワールドカップは戦争以下

最近、海に潜らずにはどうもいられない気分で一杯になってる。今さっきも耳抜きの練習を台所でしていたところだ。それに近々こんなカヤックでも買おうかと思ってる。三浦半島あたり、探してみればちょっとしたシーカヤックポイントもありそうだ。ブルジョワなクルーザーよりよほど自分の五感、体力、運動能力をフル活用できて楽しいのではないだろうか。そして、絶好のポイントまで行ったら海に潜るんだ。

ということで、神奈川+素潜りでググってみた。

結果

上位は死亡事故のニュースばかりだ。

くわばらくわばら

そして気がつけば「マイヨールはなぜ死んだ」を読みふけっていた。

このおじさんの仕事はなかなか興味深い。さらにけっこうな文才なのである。


(以下ここから借用) どうせ死ぬのならば、一緒に死んだほうが良い。敵機が爆弾を落としても、直撃でなければ人間は死なない。
  その頃のことは、ほんの数ヶ月の出来事も、数年の間の出来事のように記憶している。その日一日を生き延びることが大変だから、記憶が濃縮されているのだ。
その頃の子供は、米国の戦闘機の形と名前を知っていた。あれは、グラマンだ、とかあれはコルセアーだとか、言い当てることができた。日本側の戦闘機は、雷電と飛燕が防空に活躍していた。月光は夜間戦闘機だったから、昼間は飛ばない。圧倒的に米国の飛行機が多く、日本側はあんまり飛ばさなかった。本土決戦にそなえて飛行機を温存しようとしているのだと大人たちが話していた。たまに飛ぶと日本の戦闘機は結構強かった。空中戦で、雷電がコルセアーを落としたところを見たことがある。飛燕が落とされるところも見たこともある。そんな光景は軍国の子どもたちにとっては、今のワールドカップよりも血を躍らせるものだった。子供に「大きくなったら何になるの。」と訊ねる。子供の側の選択は、陸軍か海軍、そしてあこがれの飛行兵、予科練、その三つしかない。
(ここまで。)


なるほど。読みながらにして自分も血が踊ってしまった。やはり戦争と比べるとワールドカップなんてつくづくなんでもない。勝っても負けても世の中何も変わらないもの。敗退した国はそんな出来事忘れ去ってしまうだろうし、勝った国だけがぽわーんとアホみたいに余韻に浸っているのだ。

そもそもワールドカップなんて日本人にとってなんてことはない大会だったのに、ドーハの悲劇以前は大会が存在していることすら知らなかったのに、ひょっとしたらあれ以前は一部の人が捏造した歴史でそもそも大会すらなかったかもしれないのに、今のこの盛り上がりようはすごい。

そう、つまり、今のこの盛り上がりそのもののが、無から作り上げた奇跡のストーリーの一場面なんだ。

とか思ってみるとなんとなく素敵だし、みんなも俺もここは一つ頑張ってみないかという気にさせられる。そして今夜のクロアチアとの勝負に俺は

2−1日本勝利に4000円

を賭けた。当たれば12000円になる。あほな日本男子3人は分の悪い日本勝利にそれぞれ、1−0、2−1、3−2のスコアで賭けたのだ。前回のオーストラリア戦に凝りもせず。

ということで、そろそろいざ出陣かな。

いや、番組表見たら明日だった。

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